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2011年12月5日月曜日

11.27 小名浜下神白サロンは最終戦?

震災から9ヶ月たっても、ボランティア体制では思いがけないことがたびたび起こります。
つい、この間、「ウシトラ旅団のサロン活動(もみもみ肉球班)は、下神白の住宅へ入り続けよう」と、確認したばかりでした。
前回の10月の訪問から、規模も拡大して、取り組もうとしてきたのです。
しかし、現地のボランティア態勢は変更されつつありました。


これまで、ウシトラ旅団が関わりをもってきたいわき市小名浜地区復興支援ボランティアセンター(小名浜ボラセン)と、いわき市復興支援ボランティアセンター(いわき市ボラセン)との間で役割分担をする構想の進展で、この下神白の担当が基本的にいわき市ボラセン受け持ちになるということなのでした。


小名浜地区ボラセンは、事務所のすぐ近くに設立された「小名浜地区交流サロン(ショッピングモールの2階のスペース)」に力を入れ、同時にいまも増設されている仮設住宅の一部を受け持つということのようです。


これは、いわきの現状を反映したものです。
いわきは海辺で津波被災した人々のほかに、膨大な原発事故由来の避難者の町になりつつあるのです。
双葉町、楢葉町、富岡町、大熊町などからの避難者がたくさんいらしております。会津地方などへ避難していた人々がいわきの仮設に移ってくるなど、およそ2万人の人口増。その傾向は続いています。


そしてまた、いわき市は同様に、市から他のところへ避難していった人たちが認定される原発避難者特例法の指定地でもあります。
さらに、いまも重度の放射能被爆の危険にさらされながら、「福一」の惨状と格闘している労働者、作業者の「出撃地」でもあります。


こうして、二重三重に入り組む事情を抱えています。いわき市はそれらの重圧に何とか耐えて持ちこたえている、というところでしょうか。
そんな事情は、ボラセンの活動を当然にも規定し、その配置地図で、わたしら「力なきボランティア」も、必要とされるところへ転戦をしなければならないということなのかもしれません。


と、いうわけで、下神白住宅へ入るのも、おそらくこれで一区切り。条件が合えば、また、ここへ継続して入ることも追求いたします。






今作戦も前回同様、もみもみ肉球班を押し立ててのサロン活動です。
いつものとおり、集会場の掃除から。
行ってみれば、集会場のガラス窓に、「臨時整骨院」開院のポスターが貼ってありました。
小名浜ボラセンのみなさんに感謝。
さ、さ、みなさん、ソメビン隊長の指示「中学生みたいだけどよぉ、雑巾持参だろうな!」を忘れておりませぬ。


8次を数えた「なさけな隊もみもみ肉球班」小名浜入りは、今回、新隊員を二人加えての8名編成。
もみやの若き精鋭は、「Hi! 鍼灸整骨院」を開いている飯妻センセ(神奈川カナブン隊)と、ボヘミアン的中学英語教師・渡辺センセ(さきたま方面いくじなし隊)の参加であります。


やる気満々! 飯妻センセはさっそく雑巾がけ


駆けつけてくれたいわき自由労組の桂書記長は、実はこういう作業も得意。リフォームの事業をやっているのだ




「いらっしゃいませ~」。番頭役もはまり役。なさけな隊を率いるソメビン隊長が呼び込みです。


予定より早く到着して準備していたら、すぐに、「もみもみ肉球班・臨時整骨院」の幟に引かれて、お客様はいらっしゃる。
「わたしがみんなをつれてきてあげるわよ」と、おばちゃまの励ましの声。ありがとうございます。




  前回、いらした方たちはノボ先生の手の内にあり(笑)、新しくいらした方は、やっぱり彼のゴッドハンドに魅惑されておられます。
なにより、いいのは笑顔になって、「こうしておけばいいだな」と日々の暮らしの中での体のケアを学んでいかれること。
これはやっている側もうれしい。






飯妻センセは、兄弟子(?)のノボ先生の仕事ぶりをじっくりみながら、真剣な目で患者さんにあたる。
「それそれ、その肉球使いが、ここちよい」。


いっぽう、実は前回の体力ぎりぎり、尻尾取り鬼ごっこをまたやるのか、と覚悟していた旅団長の前には、子供たちの集団は現れませんでした。
なんでも近くに新しいショッピング施設が当日に開設されたとかで、子供たちはそろってそちらへ行ったのではないかと、いうのが小名浜ボラセン・人見さんの解説。


かくして、室内でのカード遊びに、小学一年生を相手に、いつも「いくじなし隊」を自称している渡辺センセが奮闘することになったのでした。
もともと、もっとたくさんの子供たちを相手に、「英語で遊ぼう!」をやる予定を立てていたのですが、ちょっとそれが残念。でも、渡辺さんは子供の相手がうまい。


集会場は、この、もみもみ肉球班、ボヘミアン神経衰弱戦、そして、お茶のみサロンが渾然一体。
臨時整骨院にいらした10人は、みなさん、ずっとお茶とお菓子で、あれこれとお話をされていた。
まさに、「サロンさ、よってがっせ」通りの良好状態でした。


奥では「もみもみ肉球班」が治療中、順番待ちや治療を終了したかたは、あれこれとおしゃべり。ここでのおしゃめりが普段のみなさんの暮らしの大変さや、地域と避難者の関係の問題など、多くを私たちが学ぶ場でもあります。



今回の下神白住宅入りは、前回が好評で、現地の要望に応えて実現したものでありました。
そのような形で進むことが大変にありがたかったのですが、冒頭に書いたように、おそらくウシトラ旅団は別の仮設住宅のほうへ力を入れていくことになると思います。


次回は、12月18日、泉玉露仮設住宅へ入ることになりました。
ここは、富岡町から原発事故で追われるようにして、やってこられた方々が住む住宅です。
まだ、できたばかりで、これから支援活動も手をつけていく、という状態のようです。
現地をみながら、じっくりとやっていかなければなりません。


帰りにちょっとだけうれしいことが。
総括会議と称して、軽い飯を食いに入った店で、前回の下神白で会った元気な女の子2人にばったり。お父さんと食事に来ていたようです。
鉄兵の髭に、むさくるしさを感じたか、始めはつれないそぶりをしていましたが、元気ないい挨拶をかわしてくれました。


常磐自動車道で2時間。
解散地点の池袋に下りれば、なんといったらいいのか、いわき市のありようとは別世界。
ボヘミアン渡辺センセ曰く
「ヨーロッパから帰ってきたときに、日本は変に夜が明るすぎるところなんだと、思ったなぁ。こんな暮らしをしなくてもいいのになぁ」。
そんな生活をやり続けて、この始末だ。
たいへんでも、自分らで何とかカタをつけなきゃな。










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