CONTENTS

ページビューの合計

2011年8月11日木曜日

「避難・疎開」運動は、どこまで来ているのか? (1)


ウシトラ旅団が意識的に取り組んできた、福島の子どもたちの「避難・疎開」実現に向けての活動は、どこまで来ているのか?
現状について、少しの報告と課題を書いておきます。

★車両長のお手伝い
5月の対文科省、20ミリシーベルト撤回を求める交渉のときに、輜重輸卒鶴翼隊M隊員が以下のように述べていました。
「今、福島の親たちが切実に求めているのは、子どもたちをいますぐ安全な場所に避難させてほしい、現に被曝され続けている状態を何とかしてほしい、ということなのではないか。福島の親たちはいま福島で闘うか、避難するかのどちらか。東京で闘わないといけないのはあくまで私たちだと感じます。それより、今すぐにでも、避難させるために子どもたちを福島に迎えに行きたい。(けれど、一気に「疎開」は困難)夏休みに『福島の子どもたち・無料サマースクール』『疎開プロジェクト』みたいなもの考えられないか」。
このように提起されていた課題は、この夏休みに全国で実現されていきました。







このプランは、福島のお母さん方の奮闘と、全国各地の善意の人々の力によって、既に広範に実現されました。
この夏休みの間、多数の小学生や中学生が、全国に「保養」に行っています。多くは一週間単位のローテンションで、放射線の心配のない自然の中ですごすという試みが行われています。


また、3月の福島第一原発の水素爆発以来、自主的に避難してきた多数の子どもたちが各地でそのまま長期で暮らしています。多くは、仕事などで家を離れられない父親を福島現地においたまま、母と一緒に避難する、あるいは子どもだけで避難している状況が続いているということです。


★生まれ変わって戻る
本当は、この夏休みのプロジェクトがすんでも、いまのままの福島に子どもたちを戻したくないというのが、これらの動きに関わってきた者たちの共通の思いでしょう。
私、旅団長も実は昨日、わが輜重輸卒鶴翼隊M車両長が関わった「福島こども保養プロジェクト@練馬」に行って参りました。
最終日、第2次グループの帰路の手伝いと、このプロジェクトの福島での窓口になっていた「ハーメルン・プロジェクト」の代表者から話を伺うために、バスに便乗させてもらったのです。
これらのプランでは小学生保養計画が多いなか、秩父保養参加者は、2歳、4歳といった幼児が多く、むしろそのことで大事なことが見えた気がいたしました。
子どもも母親は、これらの「保養」で、単にリフレッシュするだけでなく、意識が大きく変化するのではないか。いつも悩みや恐れや、子どもたちにすまないという意識に苛まれているお母さん方が、大げさに言えば「生まれ変わる」のではないかという気がいたしました。
閉めの集まりで挨拶する母たちは、スタッフや支援者に感謝のことばを述べる途中で、本当に感極まって涙をこぼしていたのです。
孤立させられてきた母たちは、「手助けをしてくれる人間がいる」と知ると共に、自分たちもまた「手をつないで生きる」ことが可能であることを、自分の問題として考えて帰っていくように思えたのです。
母たちは、このプロジェクトに参加した人たちで「同窓会」を開催することを決定したようです。


秩父保養プロジェクトを報じる「埼玉新聞」
http://www.saitama-np.co.jp/news08/02/08.html


このような動きは、全国で起こっているのです。たとえば「子ども福島ネット」にはこういうメールがありました。
「海を渡って600キロ、みんな不安を抱えて生活してます。(中略)。本当に  夢のようなひと時でした。人生に二度とない 2011年の夏です。夜も寝ないで  様々なイベントを企画してくださっている  北海道中、そして全国のボランティアの皆さんに   深く感謝します。 福島っ子は、日本中で 新しい人間に生まれ変わりますよ。脱皮です。皆さんのお蔭です。ありがとうございます」。
子どもだけでなく、母もまた生まれ変わり、福島へ戻るのです。こういう人々が帰る福島は、これまでとは違う福島になります。
昨夜も「ハーメルン」とこの話になり、夏休みが終わり2学期になったときの運動の質の違いと「何をやっていくのか」という問題意識の摺り合わせをいたしました。


一方で、夏休み中に転校する児童・生徒は約1万4000人に上るそうです。たぶん実数はより多いと思われます。一気に「集団疎開へ」の突破口を、と構想したウシトラ旅団はこの動きに乗り越えられた。しかし、だからこそ、「集団疎開」の実現への取り組みは、これからの局面で決定的に重要になってくると考えます。
「ハーメルン」の志田代表とも、集団疎開を実現し、その間に全面的に除染に取り組むべきと、ビール飲みのみ心を合わせてきたのでありました。