CONTENTS

ページビューの合計

2011年7月28日木曜日

日本語教室お仲間部隊 陸前高田市に「炊き出し」

しばらくのご無沙汰でありました。
旅団員は遊んでばかりではないのであります。
実に、わが茶水幽玄隊鉄兵隊員は、日本語教室のアジア各国のお仲間と共に、炊き出し行動に参加しております。
エスニックの香り高いらしい(うまそ~!)料理部隊の実力はいかんなく発揮され、強い連帯の心が被災地にも届いたようです。
以下、鉄兵隊員よりの報告です。                    ★旅団長

************************************


7月18日,陸前高田市に炊き出しに行った.私が関わっているボランティア団体「町屋日本語教室」(滞日外国人の日本語学習サポート)の生徒さんたちから被災地で自分たちにできることをしたいという声が出て,毎年恒例の旅行の目的地を被災地にしようと決めた.そして,教室でできそうなユニークなこととして,各国の自慢の料理の炊き出しをやろうということになった.

参加者は,スリランカ人3名,ベトナム人4名,フィリピン人2名,タイ人1名,中国人4名,日本人ボランティア10名,資材搬入およびバスのドライバー1名の計25名.

連休で宿を取るのが難しかったが,水沢に宿を取ることができ,そこから一番近い「陸前高田市災害ボランティアセンター」に連絡した.ボラセンから斡旋されたのは,陸前高田市横田小学校だった.陸前高田市では避難所は次第に閉鎖されており,被災者は仮設住宅に移りつつあるとのことだった.

当初200食分を考えたが,横田小学校の副校長さんによると,私たちの炊き出しは2度目で,最初の「あっぴそば」の炊き出しにはお年寄りしか来なかったとか,和太鼓の演奏イベントにも20人しか来なかったということで,予定した200食分を半分にした.

横田小学校の校庭に仮設された住宅はあまり大規模なものではなかった(57棟)ので,副校長さんは近くの中学校の仮設住宅にも呼びかけてくれた.ありがたいことです.

炊き出しの前日,つい最近世界遺産に認定された平泉などを観光した日本語教室の一行は,宿泊地の水沢を早朝に出発.着いた横田小学校は青々とした稲田と山に囲まれたのどかなところだった.

到着するとすぐに食事の準備だ.炊き出しのメニューは,スリランカ・カレー,ベトナムのフォー,フィリピンのアドボ,タイのサークー,中国のチンゲン菜炒め,そして中国茶,これらをワンセットにしたアジアンランチ.

横田小学校の副校長さんの計らいで,家庭科教室を借りることができたので,炊事には大変助かった.各チームのチームワークは抜群で,
てきぱきとみんなよく働くこと!




最初は,もしかしたら数十人しか来てもらえないかもと不安で,最初の数人を見かけたときは「おっ,来てくれた.何人かは来てくれるだろう」と変に安心したりしたが,あれよあれよという間にたくさんの人が来て,配膳に大慌て.一時は20〜30人の待ちが出るほどだった.

予想に反して,本当にたくさんの人に来ていただいた.12時開始から1時間足らずで100食分がはけ,全部で120〜130人くらいになったろうか.最後は,肉なしカレーとサークーのみ,そしてついにご飯もなくなり断らなければならなかったのは非常に申し訳なかった.

炊き出しは好評だったが,配膳などで忙しく,現地の方と話をする時間があまり取れなかったのは残念だった.少し話ができた人の話によると,仮設住宅はまだ空きがあり,近く第2次募集があるとのことだった.このあたりの詳しい事情は分からないが,人は仕事がある近くに住もうとするのだから,
家があればいいというような単純なものでもないのだろう





陸前高田市の市街地,なんと表現すればいいのか.見渡す限り何もない.数えるほどのビルが残っているだけ.瓦礫は片付けられているものの,車や木材などの瓦礫の山があちこちに.未だ水没しているところもある.7万本の松林があった海岸で生き延びたのはたったの1本.
まさに「真空地帯」と化した町.


   












人口2万3千人の町は,「震災後6000人近い人口が流出」との情報もある.これから動き出す復興会議とて利権と金が垣間見え,集約化という名前の小規模生産者の壊滅と大企業優先の経済復興.こんな現実を目の前にして,自分には何もできないという想いは強いけれど,とにかく現実を見て考えよう,それしかないとも思う.


気仙沼市では,海辺で献花を行い犠牲者を追悼した.気仙沼市も被害は甚大で,損壊した鉄道は手付かず,大きな船もそのままになっていたりしたが,海から少し入った商店街では営業をしている店も散見された.










一行は時間ギリギリで新幹線に乗り込み帰路についた.生徒のみなさんは口々に「来て良かった」,「温かい気持ちで料理できた」,「人のためになれて良かった」,「また炊き出しをしたい」などと語っていた.そうこう言っているうちに,疲れで爆睡.私も缶ビール一本でぐったり.しかし,充実した一日だった.






2011年7月11日月曜日

もみもみ肉球班 小名浜ボラセンお応え作戦報告


紆余曲折の末に、小名浜ボランティアセンターからの要請を受ける形で、わが「もみもみ肉球班」は現地入り。
行く度に状況が変化して、どのように「もみもみ肉球班」が活動していくのかを、いつも問われることになります。
けどね、のぼセンセのゴッドハンドは必ず必要とされるところがあると、旅団長は思量しとっとですばい。
「もみもみ肉球班」については、あせらないこと、あわてないこと。
いまはこれです。
実は、福島は、原発事故を抱えているために、それに対応するようにして、おそろしいほどの勢いでさまざまなことが進んでいます。
はっきりいえば、なんでもアリの事態が現出しつつあります。
いっぽうで、そのスピードとは別のテンポで進む(あるいは後退する)事態も出来しているのです。
のぼセンセの「そろそろ終わり」「なにかできることがあるのだろうか?」への、旅団長の(頭悪いけど)の考えは以下のようなものであります。

おそらく、まもなく、福島県知事の「リコール」の動きさえ出てくるでしょう。
よ~く、考えておかなければなりません。
個々の課題はつながり始め、誰がどのように「仕事」を現実に即して展開していくのかが、問われる局面が始まりつつあります。
そんな中で、ウシトラ旅団は、あくまで実践的でなければなりません。
その実践のなかでこそ、役立たずどもをまるごと一掃し、人々の真の利益と役立つ行動に立とうとする人たちが、互いに手を結ぶようになっていくでしょう。
「もみもみ肉球班」の活動も、また、別の領域でかならず必要とされる場が出てくるでしょう。

日本の「政治(屋)」の能力はたいしたことがありません。むしろ正しく名づけられるような政治はないといったほうが正確だと思います。
実践的に、思いっきり、彼らの鼻を明かし、まっとうな方向へひっぱる機が来つつあります。
さ、旅団員諸君、そのときに向けて準備しよう。
そのためにいま知恵を絞り、行動せよ。      ★旅団長

*********************************

いわき入りする時は必ず寄るラーメン屋さん。
昨日は冷し中華、750円、本当に少しですが現地に貢献。
店のおばちゃん「牛から出ちゃったね」、「牛がダメ、野菜ダメ、魚ダメ、観光ダメでどうなっちゃうのかね」と言っていました。

小名浜ボラセンには14:00着。
「小名浜ボラセン 臨時整骨院 2F診療中」を掲げ患者を誘致?
今回は15名程の方を診れました。


中には5月から車中泊でボランティアを続けているとゆう60歳位の男性も、
この方は小名浜ボラセンが休みの水・木曜日は陸前高田や遠野に行っているとの事、凄い!
他にも車中泊で継続ボランティアを続けている若いお兄ちゃんも。
みんな偉すぎます!マジ。
昨日は団体のボランティアの方々も、この人数は一人では太刀打ちできない(泣)


16:30に小名浜ボラセン出発。
途中、港湾部に寄ってみたが、稼働していない工場がまだ多数ありました、歩道は手つかずでこんな感じ。


17:15に「南の森スポーツパーク」に到着。
いつもと雰囲気が違います、聞くと大方の方の住宅が決まり、バラバラのなるので全員で宴会をするとの事。
3名の方を診て、早々に帰りました。



※小名浜ボラセンはこの連休で現在の場所を閉じて、違う場所で8月から再開するそうです。(活動内容は未定だそうです)
※昨日、話を聞いた方の長男(高校生)は平で生活しているそうです、次男(中学生)はクラブが終わって避難所に戻ると10時過ぎになってしまうので、友達の家に身を寄せているそうです。家族バラバラですがこの家族は避難所を出られる予定は解らないそうです。
※小名浜地区には仮設住宅は建てておらず、仮設に入るなら平になるとのこと。(車で40分、通学は難しいとの事)
※南の森の方達は借り上げ住宅に入るようですが、家電6点セット待ちのようです、テレビ・洗濯機・冷蔵庫・炊飯器・電気ポット・電子レンジ。
※避難所はとにかく暑いです!一つの家族に扇風機一つ。これリースなんだそうです、出るときに持っていける普通の扇風機がいいのにと言っていました



ボラセンはこの先未定、南の森の解散もそう遠くはないでしょう。
「なさけな隊」の活動もこれで終わり?
なんか出来ることありますかね???


ノボ

2011年7月8日金曜日

6・26 福島アクション 報告記

「<フクシマ>というとき、ああ、<フクシマ>と、やさしくこたえてくれるだろうか」
栗原貞子の詩を心のうちで言い換えて、旅団長は福島入りをしていたのでありました。
好きな詩人とはいえないのに、<ああ、ヒロシマ>を呼び起こす、この詩ばかりはずっと胸のうちで鳴り続けております。
フクシマは福島市ばかりでなく、避難地区には指定されていない福島市も郡山市も二本松市も、まったく、<フクシマ>として、旅団長は意識せざるをえない。
実際、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニに続く、4度目の被爆地となってしまったのでありました。まったく、日本人は、人類は、何をやっているのか!
福島市で大きな集会をやることに、批判を持つ人がおります。実態としてはこれは正しいのです。それくらい福島市は放射能の線量が高くなっている場所があります。
それでも、ここからはじめなければならない、と考えた人たちがおり、それに応える道を、わがウシトラ旅団は選んだのでありました。
フクシマを再生させる道は、一方で、東京電力と政府の責任をはっきりさせて、人々の命と健康を守っていく、ということでなければならないと旅団長は思うんよ。
少なくとも、ウシトラ旅団は、その立場から、このフクシマでのイニシアチブを強化していく支援をしていくつもりです。            ★旅団長


★ミツトシ会計長

626日(日)「グッバイ原発!さよなら放射能!!」福島アクションに、東京から旅団長、会計長の2名で参加してきました。
旅団長は、この日に先立つ3日前から宮城、郡山にヒアリング行脚に行っており、旅先から会計長に「福島パレードに参加するのでウシトラ旅団ののぼり旗を持参するように」という御下命があり、これに色よい声音で応じた会計長も旗をもって福島入り。県庁前で合流したのであります。




この日は朝から雨で、集会開始時の午後1時半には本降りとなるあいにくの天候。会場となった福島県庁前広場は、参加者の色とりどりの雨傘で溢れました。以下は会計長の印象に残った発言のいくつか。

主催の佐々木慶子さん(6.26福島アクションを成功させ隊)。「フクシマは原発被災地として世界に名を馳せてしまった。だから、フクシマからこそ世界に向けて脱原発のメッセージを発信しなければならない。佐藤雄平県知事の責任は重大だ。県庁前で声を上げることの意味は大きい」。



「子供たちを放射能から守る福島ネットワーク」の佐藤幸子さんは、対文科相交渉にたびたび東京に来て、鋭い舌鋒でアホな官僚に迫る姿がユーチューブで報告されている人。「今、子供たちを山形に疎開させている。先日、高校生の息子から涙ながらに『僕だって友達に会いたい』と訴えられた。こんなことがどこの家庭でも起きているのが現状です」。

相馬市で「エム牧場」を営む吉沢さんは、「300頭のウシを育てている。国から他の牧場仲間も含めて、殺処分の説得が続いています。餌も与えられず牛舎のなかで痩せ衰えたウシたちが折り重なるようにして死んでいる。こんなことが許せるか!私はウシたちの命をたとえ一頭たりとも無駄にはさせたくない。せめて、放射能汚染の影響を調べるために役立たせたいと思っている」と、声を詰まらせながら訴えていました。



雨の降りしきる中をデモが出発。東京から、太鼓など鳴り物持参で駆けつけた一団がしんがりをつとめます。デモは福島市内のメインストリートを一周するコース。
東京のデモとは違うのは、道で出会う人たちの表情です。無視や冷笑といったものは微塵もなく、ただただ、マジマジとデモ隊を見送る表情がなぜか印象に残った会計長でありました。県都のデモは効果甚大だったように思います。

解散地点で佐々木慶子さんから、この日午前中のイベント「生活村」の会場となったMAX福島のAOUZ(アオウゼ)に、この集まりを今後に活かすため1週間後に再び集まろう、との呼びかけがありました。
旅団長は、福島在住者ではないけれど、そこに参加することを決めました。福島の運動は産声をあげたばかりのようです。(文責:会計長)

この日、宣言文として読み上げられた文書が、困難な中でずっと反原発運動や避難・疎開に取り組んできたお母さんの間で、「涙が出た」「共感いっぱい」と、話題になっています。
いま少し、整理と補強をして、改めて公開がされるようです。
旅団長は、独断で、会場で読み上げられた宣言文を掲載することにいたします。
たとえいま不十分と主催者が判断しているとしても、それより、時間的な早さのほうに意味があると考えるからです。完成したものが、公開されたときには、あらためてそれを、このブログに掲げることにいたしましょう。
この日の集会と「ハンカチパレード」を準備したお母さん方は、その後、「グッバイ原発! ハンカチの会」を結成しました。福島市の自立した運動の始まりを応援したいと思います。    ★旅団長



6、26  宣言文


私は  この場で皆さんに問いたい。

ふくしまは死んでしまったのか?
地震で津波で、愛する家族を、友人を、失った。

ふくしまは死んでしまったのか?
いいや、我々は、このふくしまで生きている。
そして叫びを上げている
ふくしまを遠く離れようとも、こころを同じく叫びを上げる人たちがいる。

ふくしまは絶対に死んではいない。

我々はどんなことがあっても生き続ける。
我々が生き続ける限り、我々の子供たちが生き続ける限り、ふくしまは必ずよみがえる。
必ず、新しいふくしまになって、よみがえってみせる。
もう一度言おう。ふくしまは絶対に死なない!

県議会も脱原発に大きく舵を切った。
ふくしまは新しいエネルギー、新しい社会、その入り口に立った。
市民も、政治も行政も、企業も大学も、全ての叡智を結集して希望の新世界を創り出すときが  きている。
皆さんもその一員だ。

命を守り、安心して生きていける世界を、必ずつくりだす。
今、ふくしは、世界のふくしまになって、ふくしまから世界に向かって、  声を限りに、  以下を宣言する。

①国・東京電力は世界中からの協力と知恵を集め、
一刻も早く原発事故を収束させなければならない。

②大震災被害者の救援はもとより、国・東京電力は 原発事故被災者への十分な補償を迅速に実施しなければならない。

③国・東京電力、そして県は、将来の放射能による健康被害から国民、そして県民をあらゆる方策を尽くして守らなければならない。


④とりわけ放射能の影響が最も危惧される子ども・妊婦等を一刻も早く避難させ、背負う理由のない危険から遠さけなければならない。


⑤その背負う理由のない危険を、詭弁を弄して国民・県民に押し付ける輩は、 即刻ふくしまから立ち去らねばならない。


⑥原発事故は人災である。その人災を起こしたのは、それを推進する国・東京電力、それを受けいれた福島県である。
それぞれが県民に、国民に、世界に、「安全と安心」を守れなかったことを  謝罪せねばならない。
⑦福島県民は、その原発に対して、もっと関心をもって、事故を阻止できなかったことを  反省しなくてはならない。

⑧そして、我々はエネルギーの無駄遣いを控え、今までの暮らし方を見直さなければならない。

⑨そのような反省に立って、福島県民の総意により
福島原発全機の廃止を宣言し、真に安全なエネルギーを創り出し利用する、「新エネルギー社会」を 目指さなければならない。福島県は  その先進的モデル特区として復興せねばならない。

⑩この大震災と原発事故という未曾有の大災害を通して、国のあり方、国民の命、暮らしを根本から見直し、甚大な犠牲・被害からの復興を根本から見直し、  甚大な犠牲・被害からの  復興を 固定的観念や固定的価値観から脱却して、市民・県民の視点により、そして政治・行政・産業・学術が 新たな視点から、あらゆる叡智を結集して社会を再構築させねばならない。 
これは、大きな過ちを犯してきた人類の愚かさからの、独立宣言に他ならない。

 今こそ世界に向かって真の独立宣言を叫ぼう!この言葉を唱えよう。

 グッバイ原発!さよなら放射能!
 もう一度~
 グッバイ原発!さよなら放射能!