いよいよ、こどもサマーキャンプが始まります。
旅団長は、本日、泉玉露応急仮設住宅に入り、明日の出発に備えます。
向かうは、南会津の山村道場。
広々とした草地と、大きな樹木が周囲をとりまく絶好のキャンプ地です。
ここを選んだのは、さまざまに理由があったのですが、その中でも大きな理由は、とにかく放射能汚染が少ないということでした。
実際に測ってみましたが、なにしろ、東京より低いのではないかと思える数値なのです。
ここで、泉玉露の子供たち13人と、付き添いのお父さん、お母さんの2人。
そしてわがウシトラ旅団のスタッフが入れ代わり立ち代わり、一緒に3日間を過ごします。
今回も、この企画に協力してくださる方は、看護師さん、栄養士さん、小学校の元教頭で理科の先生、はたまた日本拳法の師範というジツリキある人々が名乗りをあげてくれたのでありました。
日本拳法師範は、薪割り、飯炊きなんでもやると言っていますので、素手で薪割りをやらせようと思います。「チョエッツ!」って、違うか(笑)。
大熊町・好間工業団地には、ガールスカウトの人たちが支援に入っており、仮設に緑を増やすことなどに取り組んでいるようです。暑い夏の日差しを避けるヨシズ掛けも見ました。いい目の付け所だと感じます。 |
残念ながら、大熊町の子供たち(好間工業団地応急仮設住宅)は、このまま子供たちだけで出すことが心配だということで、参加を断念されました。
もともと、参加申込みが2名と少なかったこともあるのですが、ずっと入り続けてきた泉玉露仮設のような信頼感が、まだまだウシトラ旅団に対して、ないということだと思います。
活動領域を広めながら、大熊の人たちと一緒に進み、本当に信頼してもらえるところを目指さなければならないと思っています。
もう一つは、それぞれの自治会の個性というか、意識の違いもそこには存在しているように感じます。
自分たち自身の手で、自治会活動や生活を作っていくというときの、人や組織の体制、意識というのは、本当に難しいところがあります。
キャンプを準備している最中、いわき市で開催された「ふくしまフォーラム」というものにもチラリと参加しました。
泉玉露仮設と行ったり来たりでしたので、まるで、つまみ食いのような参加の仕方だったのですが、たくさんあった分科会で私が参加した「被災者支援」では、「3.11被災者支援いわき連絡協議会」が立ち上がったことを知りました。
事務局員が常駐する事務所もすでに準備しているそうで、これから、ここがいわき市における支援活動のセンター的な機能をはっきしていくことになると思います。
原発被害でいわき市に逃れてきている双葉郡の人たちを、町の垣根を越えて結び合わせ、自分たちで立ち上がっていくことを支援する、という発想でしたので、大いに期待しています。
そこには、行政主導でこれまで、あまり効果を上げてきたとはいえないやり方で、不満プンプンだったありかたを越えて行こうとする意志がみられます。
むろん、ウシトラ旅団も、この連絡協議会に参加することになると思います。
会津名物・こづゆ 講師や仮設住民と打ち合わせしつついただいたのです。よろしいお味でした。 |
そして、またまた、その頃、ウシトラ旅団は会津若松にも出没したのでありました。
大熊町から避難してきている人たちと一緒に、「これから」についての勉強会をしたのです。
「仮の町」構想が語られ、あれこれと思惑やら想像やらが先行していますが、実際にはどのような問題がそこに発生するのか、補償はどうなるのか、といったことを、地方自治や補償問題に詳しい講師を派遣して、勉強と個別相談を始めたのです。
これは、とても重要なことであり、かつ、被災者自身の関心も高い実践的な問題ので、会津若松だけに留めず、いわき市などを中心に広めていこうと考えています。
ウシトラ旅団は、子供たちと遊びつつ、大事なことにも取り組み続けていくのであります。
これも会津名物の玩具、はりこの「赤べこ」。 虎さん相手に一歩も退かぬのであります。 これこれ、喧嘩はよしな。俺たち、ウシトラだろ?! |
1 件のコメント:
こづゆ…宮城の「おくずかけ」に似ている。おいしそう。
赤ベコ…こちらの小学校の修学旅行は会津方面だったので,おみやげは赤ベコだった。鶴ヶ城にも登った…
ところで,「ふくしまフォーラム」の動きについて
>行政主導でこれまで、あまり効果を上げてきたとはいえないやり方で、不満プンプンだったありかたを越えて行こうとする意志がみられます。
いいですね。
コメントを投稿