以前にこのブログで紹介した「原発立地・大熊町民は訴える」は売れ行き好調であるらしい。
実は、ウシトラ旅団では、木幡さんの町長選挙について、どのように見るべきなのか、あれこれと議論もしておりました。
この本に書かれてある状況がそこにはばっちりと重なっていたのでありました。
というわけで、本の内容の少しの紹介と、会計長が主張してきた、大熊町(を始めとする原発被害の町村)についての捉え方、考え方をここにみなさんにも公開いたします。
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『原発立地・大熊町民は訴える』(柘植書房新社刊)
木幡 仁(前大熊町議)、
木幡ますみ(大熊町の明日を考える女性の会代表)共著
誰もが当事者であることを免れない現実の告発
「棄民」と闘い、自治を取り戻す想像力
東京電力福島第一原発の事故から十五ヶ月が経過しました。1号機から4号機の立地町であった
福島県双葉郡大熊町は全域が警戒避難区域となり、町民は未だに応急仮設住宅(と借上げ住宅)での日々を強制され続けています。
昨年十一月の大熊町長選挙は、「町ごとの移転と政府への保障」を求めた新人の木幡仁氏と、「町への帰還」を主張する現職の渡辺利綱氏との一騎打ちとなり、選挙結果は、二三四三票対三四五一票で現職側の勝利となりましたが、木幡氏は今も町民一丸となって国と東電に要求する姿勢を貫いています。
本書は、政府発表はもとより東電に買収されたマスコミが決して報じることのない原発被災地の現実と「棄民」の実態を、木幡仁・ますみ夫妻が明らかにする告発のドキュメントです。
私たちは放射性物質を外に持っていけと言うことはできない
三章構成のⅠ章「原発立地・大熊町住民に明日が見えるように」は、「大熊町の明日を考える女性の会」11人が国会に行き、原発担当大臣細野豪志に直訴するシーンで始まります。
「女性の会」は三つを要求します。
「福島県民の医療費を無料にすること。子どもが将来にわたって差別がないように被爆者手帳をつくること。そして、中間貯蔵施設を受け入れるかわりに、私たちに移住すべき土地や家をください」。
女性たちが中間貯蔵施設を受け入れる決断をするには、もちろん葛藤がありました。家族にも反問されます。帰路のバスで女性たちの携帯電話はコールが鳴りっ放しになります。
この決断を私たち読者はどう受け止めるか。本書を読む核心の一つであるように思います。
★「私たちは放射性物質を外に持っていけと言うことはできない」
女性たちは原発立地町の当事者として結論を下しました。この問題に対して、立地町民でさえなければ当事者の立場を忌避できるのでしょうか。
原発被害者は誰なのか、それは立地町であると否とを問わないはずではないのか。
例えば現在の瓦礫拡散をめぐる問題は、こうした当事者性を抜きにして語られてはいないか。
それは私たち一人ひとりに問われています。
Ⅰ章はこの後、大熊町の歴史を素描し、震災と事故の日から木幡仁氏が大熊町長選に立候補するまでの夫妻の日常と町の混乱とを織り交ぜながら追っていきます。
★そういう情報がなんで、みんなに来ないんだべ
Ⅱ章「大熊町の明日を考える女性の会 会議メモ」は、女性たちの発言録です。
日常生活の困難を、一時帰宅で見た大熊町の現実を、町の行政のありさまを、暮らしに向き合う女性たちは情報交換しながら語り合います。
語らいはリアリティに満ちています。国と東電の嘘を、崩壊した行政の怠慢を、県の無策を容赦なく衝き、暴いていきます。
「役場の人は、箱の中に入っているから、何もしらないんだよ」
「――新しい情報が入りました。新しい国の線引きで、大熊町は全員、帰れません。
町長なども、除染して何年経っても帰りましょうという一点張りだったから、それを覆されたらね。
取り下げればいいんだよ。できないことをやろうとしたことがだいたい無理だったんだから。
――
そういう情報がなんで、みんなに来ないんだべ――」
★「2343票(木幡) 対 3451票(町長)」の行方
福島第一原発の事故による約十五万人に及ぶ避難住民(双葉郡、南相馬町)と、東電、国との関係を、今どのようなものと見るべきか。
現在進んでいるのは、「大規模な棄民」です。原発が奪ったものは、家と仕事(生活と生産基盤)そして地方自治です。
木幡氏の立候補は「町として国、東電に要求する」施策を掲げ、自治のあり方の一つとして住民の利害と国、東電との対決の構図をくっきりと描いてみせたことに大きな意義があったように思います。
町長選の公約の違いは表面的には「戻ろう」と「戻れない」の選択でした。
「戻ろう」は長期にわたっても復興は可能という見通しを前提にし、一方、「戻れない」という木幡氏の主張は一時的避難も長期に及べば、郷土一体のコミュニティの再生など現実ではあり得ないという見通しです。
そして、原発立地で成り立ってきたこの町の未来に原発は必要か否か。
渡辺氏はその基本政策では言及していませんが、これは原発との明らかな共存を意味しています。
木幡氏は原発は立地も含めて人災であったと主張します。
この二つの「政策」の間で大熊町民は選択を迫られました。
しかし、この選択の前に不可欠な前提が、極めてあいまいなままでした。
一つは、大熊町が生活を営めるような安全な状態になるのは、果たしていつのことなのか。もう一つは、「戻れない」として国、東電に町民が保障を求めたら、それに国、東電はどの程度応じるのか。
これは町民の選択外にある問題です。町長選当時、国も東電もこれについては何一つ言明していません。
誰も答えてはくれないこの問題に大熊町民は各々の責任で結論を出さざるを得ませんでした。そして、もう一度原発と共存するか否か、一人ひとりに問われたのが、この町長選挙でした。
二三四三票と三四五一票という結果をどう考えるのか。投票者の年齢、震災前の生業の比率なども考慮する必要はありますが、この問題にその現実性を町民がどう判断したかを示すものだったと考えることができます。
そして現在、除染も効果がなく、帰還も困難という現実が突きつけられている今、この比率には大きな変化が兆しているだろうことは大いに予測できることです。
★私たちの闘いは、始まったばかりです
国と東電は、このまま双葉郡の住民が自治を拠り所とした結束を失い、無力な個人に解体されていくことを射程に入れています。
野田政権は「復興支援策を急ぐ」とぬけぬけと表明し、復興が実効をあげていないのは、あたかも自分の責任ではないかのように装っています。
原発事故は家と仕事(生活と生産基盤)だけでなく、自治行政をも崩壊させました。戦後自治行政始まって以来の大事態に、双葉郡の行政組織は呆然自失し、新たな展望を見出すことが何一つ出来ていません。
「棄民」の実態は当事者にも理解しにくい構造を持っています。原発立地町村には「内なるコロニーの心理」が働いています。
立地町村は原発立地を自ら望んで選んだという「原罪意識」まで背負わされています。
「大熊町は、若いときに出稼ぎ行っていて、原発ができたから、出稼ぎに行かなくてすむようになった。だから東京電力によって自分の生活は支えられたという人たちがいる。大熊町は貧しい町だった(94頁)」。
本当に原発立地は自ら選んだ道だったのか? 選ぶ他に選択肢を与えなかった国の開発行政の責任ではなかったのか。国に依存しない自治のあり方はなかったのか。
本書は、戦後地方自治の隠された擬制的構造を告発しています。
問題はひとり大熊町に限りません。今双葉郡の外にいる私たちも、いったん当事者となれば「内なるコロニーの心理」の呪縛から自由でいられるでしょうか。
このことは他の原発立地自治体にも言えます。「棄民」と闘い自治を取り戻す想像力が、いま私たちの一人ひとりに試されています。
Ⅲ章「「原発事故被災者の生きる権利を」は、木幡仁氏によるメッセージに加えて日弁連をはじめとする各意見書、宣言等で構成されています。木幡仁氏は最後を次のように結んでいます。
「私たちの闘いは、始まったばかりです」。
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