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2012年2月22日水曜日

2.19 泉玉露入り

★「もみもみ肉球班」泉玉露仮設入り
ゴッドハンドのぼセンセは、ワンちゃんまでいっしょの総力根こそぎ動員。
たぶん、家族にも仮設を見せ、そこで暮らす人々の話を聞いて欲しかったのだと思います。




高校生・中学生のお子さんたちも、まぁ、人間味よろしい。
のぼさんのおうちらしいと感服。
あれこれと準備を手伝ってくれ、
整体の待ち時間などで、患者さんへのお世話、後片付け、いい戦力だわぁ。






やってきた患者さんの少し話を聞いていたところでは、仮設住民の一時帰宅は現在、第3次まで進んでいるようです。
地震や津波による大きな被害をまぬがれた家も、屋根が傷み、雨漏り・風でやられ、辛い思いを抱えて仮設へ戻るということのようでした。
「ああなると、とても住めないよ」
「避難するとき、ブルーシートをかぶせてきたけど、風に飛ばされて、すっかり屋根がやられてしまった」
「子供たちに渡そうと思って収穫した米三俵、そのままにしてきて、もうどうにもならない。放射能に汚染されてるだから。自分は古米で我慢して、これを渡そうと思って楽しみにしていたのに……」











混乱の中で、取るものもとりあえず、着の身着のままで自宅を後にした人々に、もし、放射能汚染を低減化がうまくいったとしても、傷んだ住居を修理する「金」の問題が出てきます。
自治会会長の森川さんが、サンケイの取材に応じた時の記事が以下にありますので、ぜひ、みなさんも読んでみてくださいな。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/disaster/545477/?utm_source=%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E9%80%9F%E5%A0%B1&utm_medium=%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E9%80%9F%E5%A0%B1







そんなことで、ほとんどの人は帰郷できるとは思っていないようでした。


治療の待ち時間に、お話をじっとそばで聞いていたのぼセンセの子供たちは、帰ってきてから、こんな会話をしたそうです。





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「日本の政治家はおかしくない!と、原発避難したりしている人が沢山居るのに、自分の事じゃないから関係ないの?」
「政治家が福島原発に視察に行けばいいのに!」
「おばあちゃん達はやることないから、あんな狭い所に居て可哀想」
「お米、一俵てどれ位?」
「おばあちゃん達はみんな器用で凄い」と。


息子にも聞いてみましたが、仲のいい友達に、奥手の息子が現地に行ってきたと話したようです。息子は息子なりに何かを感じてるんでしょうね!きっと。



昨日、旅団長訓示はどうだったと聞いたら、「なんか一生懸命なんだな」と。
一生懸命とは、もともと一所懸命なんだと小学校の時に、私の担任の影山先生に私は教わりました。


いずれにしても、子供達にはいい旅だったと思います。
明日も明後日も、現地の話しは続くと思います、多分。


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んだよ。いま、この一所に現れている状況は、できそこない日本のありようそのまま。
ここの課題につなげて、全国のさまざな問題を抱えている人たちが、一緒に問題を解こうと取り組まない限り、日本人と日本は変わらない。
そのためにウシトラは仮設に通うのさ。
旅団長はそう思っている。


のぼさん一家は、仮設のおっかさんたちが作っている「さくら さかせるぞう」と、テープかごをプレゼントされてようです。
人をつなぐこと、具体的なことによって人をつないでいくこと、これが未来への第一歩です。






★自治会との会議
もみもみ治療の時間に、別室で自治会と支援者との会議をやっていました。
もともと3月11日に、自治会主催で慰霊祭をやるというので、その打ち合わせでした。
でも、その他にもいろんな議論ができました。






出席は森川自治会長、西原副会長、西山連絡員(司会)、テモテのベテランと若手の二人、ウシトラ関係から旅団長、ソメビン、自由労組・桂さん。
驚くやら笑えるやらの話がたっぷり。
3.11慰霊祭は、坊さん、キリスト教の神父さん(といったと思う、なんかそこからして変なんだよね)入り乱れて、2時開始。焼香・講話で一時間。
そのあと6時から自治会でこれからつくる手作りロウソクでキャンドルナイト。


旅団長「ええええ、いいんですかぁ。テモテのほうは?」
テモテ服部さん「いやぁ、ひとりの坊さんは北海道の神父が連れてくるんですわ。友達なんだから」
テモテ、自らの信条にこだわらず太っ腹ぁ。
これこそ真の宗教者の姿、いいね。宗教を超えて連帯だぜ。
坊さんたちへのお礼の話になったら、
森川会長「北海道から来てくれる人には、交通費はださなきゃ」
テモテ「考えなくていいですよ。なんとでもなりますから、ボランティアなんだから」
会長「いや、そりゃいくらなんでも……」
旅団長「よ、さすがテモテ。会長!そろばんドガチャガはテモテさんがやってます。いいんですよ、 ねねね」


あんなこんなで金はかかるんだよね。ボランティアってやつは。
でも、見栄もたまには張ってばんばらないとしょうがないところがあるのです。
読者lのみなさんに対しては、ウシトラ旅団は見栄ははらんので、カンパくださいな。


そうこうしているうちに、ソメビンお友達のいわき住人Kさんが現れた。
彼にはカンパをいただいてもいるのでありまさすが、彼の存在こそ、実はウシトラ旅団結成の重要な契機にもなったんです。
震災直後から、ソメビンが彼のところに物資を運び込んでいたことが、先行行動になり、旅団長の「被災地支援をやるべぇよ」が、すんなりと現実化したのでありました。
もいちど言う。具体的なことをやって、人をつなぐこと。ここがいちばん大事。
人をつながない活動は、例えば大人数で一日炊き出しなんていうのも、そりゃりっぱな活動だけど、それだけではほんとの力になっていかんと思うんよ。






さて、慰霊祭。
ウシトラは、テント、「東日本大震災 合同慰霊祭」の横断幕の制作、スピーカーetcの準備。
仮設の女性たちが作るキャンドル用廃油の入れ物はどうすべ、というお話。
だいたいこういうときは、旅団長は「彼」のほうに眼を飛ばす。
で、桂さんはじっとうつむいてメモを取っている。
旅団長「桂さぁん、出てくるよね」
桂「うぅ~ん、あの、あ、ちょっと待ってください」と席を立つ。
電話で誰かに聞きに行ったのかなと思ったら、20Lのガソリン用缶を持って戻ってきた。
ほらぁ。ドラえもんのポケットだ。
あまりの立派さに一同どよめく(笑)。


てな感じで、さくさく話は進み、他の計画なども


☆4月7か8日、花見
別の日に富岡町夜の森公園バス突入花見計画もという話にも議論されました。
「無謀なり」と旅団長思えど、じじばば望郷の念と、自分の命の長さ、秤にかけて…。ということなんだよね。
しかし、これは例の避難・警戒区域の見直しにも関連する。
あまりナイーブなままいることもできない政治性の要素もあります。
だって、早々に帰村するとむりくりに言い張る人々の利害でいえば、徐染利権なんてのも、当たり前に存在してます。
ふるさとをぶっ壊した連中が、この機にまた銭儲けをたくらむという所業。
住宅地ならまだしも、山林、畑など、除染ができると考えている人なんか、ほんとはいやしないのです。
仮設住宅のほとんどの人たちは、このことを分かっている印象でした。






★この会議の定例化
・月イチで、もみもみ班仮設入りのときに、このメンツで開いていくことに合意しました。
これが旅団長がいちばん欲しかった「決定」であります。
自治会の「役員会」で正式決定という手続きを踏むことになると思いますが、たぶん、大丈夫だと思います。
・名称は「自治会・支援者活動調整委員会」
旅団長が提案したものですが、桂さんが「旅団長らしいよなぁ。もっと柔らかく、懇談会とか、できんのか」と後刻のたまう。


いや、柔らかいのも考えたのだけど、実はこのように硬くしておく必要があるんです(笑)。
これからの、住民自治会のために、一所懸命やらなきゃね。


★がんばるぞう、4.14報告会
西原ご夫婦に会い、報告とプランの説明。しっかり協力をしてくれる気持ちが伝わってきました。
問わず語りに聞いた、彼らの経験や感情は本当に重い。
東京、全国の人々にこれこそ伝えなきゃ。






★慰霊祭にはウシトラ旅団代表も参ります
ソメビンに連絡が入り、なんと3.11慰霊祭は、自治会に、テモテとウシトラ旅団が公に加わった形でやりたいということになったそうです。
おそろしい。いいんだろうか、と思います。
けれど、そこまで言ってもらえるなら、信頼に必死で応えなきゃな。


みんな、がんばるぞ!

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