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2011年5月28日土曜日

いわき市の被災者のいま

5.1 いわき小名浜乱入作戦のおり、現地でボランティアをして奮闘しているSさんがウシトラ旅団に合流して、一緒に行動してくれました。
まだまだ、大変な中で、活動を続けているご様子であります。

お、こいつはいけそう!
5.1に横町公園で、閲兵したおりから、人を見る目のしっかりとある旅団長は、
ぜひぜひウシトラ旅団に入ってもらおう、と考えたのであります。
旅団長は、さっそく勝手にSさんを「常磐切羽工作隊」に任命しております。

常磐切羽工作隊S隊員よりの報告「いわき市の被災者のいま」を掲載いたします。
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ご無沙汰いたしております。福島の隊員Sにありんすm(_ _)m
その節は、大変お世話になりましたですm(_ _)m
なんとかプルトニウムの風に吹かれて、

生きて行っておりますです(>_<)。




今回の一連の原発騒ぎ・・・。もう、ネタにして笑わねぇとやってらんねぇ~と云うのが、正直なココロ。
当初から「まぁ~なんだかんだ言ってメルトダウンしてるんだろうなぁ~」とは、薄々感じてはおりましたが。
なるべくだったら、吉い情報を信じたいってぇのが、人情じゃぁ~ござんせんか(T_T)
どうも、東電さんは政府の言うことなんざぁ~馬耳東風とばかりに、
海水注入を絶え間なく現場判断で続けていたそうですし、
まぁ、空白の20分とか言って騒ぎたてた某政治家連中は形無しですわな


市内の避難所も、6月までに何とか規模を縮小していきたいという、腹があるのか、先週あたりまで2000人規模だったのが、
あれよあれよという間に、800人台まで縮小。
借り上げ住宅や仮設住宅への入居がはじまりゃぁ~避難所は
いらねぇってことですかねぇ・・・。
避難所暮らしなら最低限の食事には事欠きませぬが、仮設
暮らしとなると、生活は自分持ち。まして、広いいわき市、
辺鄙な所に送り込まれたひにゃ~買い物すらままなりませぬ。


クルマが必須な田舎なれども、避難所を後にしたジジババの食事は守られるのか・・・隣の職場の地域包括さんの正念場と言ったところでしょうか。
やはり、避難所をでるのを嫌がる人も出てくるだけで、ブチ切れて、10万やるから出てってくれと宣った行政マンがいるとかいないとか。いやはや。皆さん、かなり精神的に一杯一杯ですわ。


かと思えば、優雅なホテル暮らしをしているヒトもいるらしく。
これも妙な政策でして、1日1人5千円ばかり国が面倒見るから、
被災者をホテルで見てくれって話らしく。
どういうカラクリでしょうね。1日5千円@4人@30日=60万ですぜ?
一般のアパート10万で借りて月50万で暮らした方が、よっぽど、
日常生活に戻るのが早くなると思うのはアチキだけでしょうかねぇ・・・。
不思議なことがおこるもんです。

そんな中で、頑張ってる若いアンチャン達もいるようでして。
震災の最初期からジジババにメシ運んでた集団です。
東北関東大震災支援隊「BOND&JUSTICE」てぇ集団なんですがね。
詳しくはココ。
http://bond-and-justice.com
たまたま、よく行くバーのマスターがこの一味でしてね。
アチキより若いのにホント行動力に脱帽しましたわ。
まぁ、見た目はかなりイカツイからか、あまりメディアにも
取り上げられることはないのですが、ホント、ウシトラ団といい、
アンチャン達の活動といい、こういった活動が末永く続いて
ほしいです(T_T)



2011年5月24日火曜日

埼玉県のある避難所より

さきたま方面隊リテラシー強化班としても活躍する塩爺隊員は、実はまじめなご近所ボランティアでもあります。
福島よりやってこられている人々の様子を知らせろ、と旅団長がお願いしていたのに対する報告が以下のものです。
これからも状況が刻々と変わっていくでしょう。
とにかく、彼らが少しでも体と心をリラックスさせることができ、次の生き方の方策を見つけ出せるように、ウシトラ旅団はできるだけのことを考えましょう。
参考になるかもしれないので、ここに塩爺隊員の報告をアップします。
                                                    ★旅団長


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23日(昨日)埼玉県 三郷市瑞沼市民センター(我が家の眼前)に屋内避難していた福島県広野町住民 51世帯133人が、福島県いわき市の2次避難先に移動しました。
(バス3台で出発、見送り式が行われました)
2次避難先のスパリゾートハワイアンズの水道施設が完全復旧したためです。

三郷市民センター(旧小学校)の窮屈な体育館集団生活から家族5人部屋への引っ越しで皆笑顔での出発。
尚、都合で2次避難しない方48名は、体育館から教室に移動して少人数単位での避難生活
を続ける予定。

最大300名弱(3月末の時点)の方が避難していました。
新学期が開始し、転入してきた小学生(32名)のPTSDが心配されてきました。
 *保健室は、避難してきた子供でいつも満杯 → 保健室が唯一安心して熟睡できるため)
 *子供たちの間で、‘ボール‘や‘丸めた新聞紙‘を大量に転がす‘津波ごっこ‘が流行った。
  (精神カウンセラーのアドバイスでは、こうした遊びを大人が無理に止めるより放っといていたそうが良いそうです。大人の感覚ではドッキリでしたが、、)

年寄りも大人も子供も疲労、ストレスの限界の中にいたことに心底心が痛みました。
整体治療班の活躍を祈念しています。

ほとんどボランティアの戦力にならなかった塩爺より

20ミリシーベルト撤回! 福島より上京、文科省交渉

文科省交渉は確か3度目ではなかったでしょうか。
いつまで立っても、だだ漏れの放射能の下で、ろくな対策もないまま放り出されている子供たちの状態に、福島のお母さんたちが、追い詰められた気持ちで文科省へやってきました。
それでも、文部大臣は出てこない。










































ミヤシタ隊員が事前告知に次のようにMLでウシトラ旅団に回していました。

『文科省は、福島の代表団に対して「政務三役(大臣・副大臣・政務官)は対応しない」と決めました。
福島県全市の教育委員会は今年のプールの断念を決めました。
文科省の対応はもはや福島の子どもたちに対する棄民化です』




さすがにウシトラ旅団メンバーは頭から湯気を噴いたのでした。
行けるやつがぞくぞくと文科省前へ向かいました。
福島からは、お母さん、子供も一緒にと、バス2台70人で上京。
彼らに心を寄せるものたちが500人ほど。
交渉の行方を見守ったのです。
母親たちの気持ち、訴えは、映像で見てください。
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1063


以下、役にも立たぬウシトラ旅団員ですが、参加報告と決意を書いておきます。
(旅団長)



★ミツトシ隊員
福島の子供たちの「学童集団疎開」を何とか実現できないものかと、力ない一人として、ヤキモキしております。
いわき市を訪問した折、佐藤かずよし市議と懇談し
「子供たちを放射線被爆から守る手立ては集団疎開の他にない」
という話を聞き、その重い選択に躊躇を覚えながら、考え続けてきました。


22日、反原発自治体議員結成式も、その趣旨から傍聴に行きましたが、あの場は、そうしたことを実現する場所として、少し距離感があるという印象でした。


23日、福島の父母たちの文科省前の交渉を、ギャラリーとして支えようと参加、傍聴してきました。
メディアもこれまでのような無視、看過はできず、昨夜TVや新聞でも報道しています。


雰囲気は、かつてどこかで見た「大衆団交」を思わせました。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110524k0000m040106000c.html


「学童集団疎開」は夢ではなく、運動として実現するに足る目標として目に見えてきた気がしています。
福島から来た父母たちは、受け入れ先さえあるなら、すぐにも避難したいという切迫した事情を抱えていることが伺えました。
被災地、支援者、支援自治体、支援団体、ボランティア…を糾合する企てが必要です。






★塩爺
福島瑞穂議員のアイシャドウが涙と雨で崩れ、顔半分が黒くってなっていたのが印象的でした。
(昨日に関して言えば、彼女はすごく頑張ったと思います)
福島の保護者と文科省、議員とのやり取りは、支援者が多いのと(500名位)、マイク音量が低すぎてよく聞きとれなかった。
 http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110524k0000m040106000c.html




★アカハネ隊員。
係長クラスで対応、問答無用のトップに、旧文部省庁舎を怒りの数珠つなぎ。逃げられない中庭コーナーで、かつての「大衆団交」を思わせる迫力でした。
さらに追いつめるべく、もっと見える、もっと聞こえる工夫、広がりを。


遅れて着いて地下鉄を上がるとき、マイクの叫びとどよめきが。手を叩きながら地下鉄に下りる女性も。旧文部省庁舎を一周し、ロビーの壁をよじのぼって見てると、女性が続き、「ちょっと助けて」と請われて手を出して引き上げると、自力で続いたのが懐かしい仲間Kさんでした(カバンを下に置いたまま)。


ある参加者のツィートから:
東京で運動の「ピーク」となるべきデモは、その先頭は福島の人々の隊列ではないかと。そういう態勢になったとき、東京のデモが「首都圏」のローカルデモの次元を超えていくのだろうと。今日の文科省中庭は、その祖型のように感じました。
もはや東京は、首都圏在住者の「脱原発運動」の場という段階から、「福島の原発事故被害者の運動の場」でもある、そういう段階にきたと思う。東電前や文科省中庭に(かつて丸の内のチッソ本社前歩道に、水俣病患者さんが設置したように)座り込みテントが常設される、そういう日が来ても不思議はない。
だから、東京で運動する人(自分も含めて)にとって、この東京は「わたしたち」だけが闘う場所ではない。東京という街は、福島や東北の原発事故被害者が闘う場所にもなった。
・・・首都圏に住む私たちが何を思考するか。


この方は仕事仲間で、ツィッターにフォローしていると通知あり、プロフィールをスクロールして読んで感嘆。




★ミヤシタ隊員
「大衆団交のようだな」というささやきは私もずいぶんあの場で耳にしてなるほどなと思いました。


このまま続けても官僚は絶対、撤回とはいわない、撤回させるのは別の次元の闘争なんだろう、ともずっと感じていました。
チッソ本社の座込みは私も思いましたが、私の世代はむしろ、厚労省前での薬害エイズ被害者の泊まり込みや派遣村を思いました。


ただ、赤羽さんの引用してくださった「福島の人々が先頭に」というのはちょっと違うなあ、とも感じています。


今、福島の親たちが切実に求めているのは、子どもたちをいますぐ安全な場所に避難させてほしい、現に被曝され続けている状態を何とかしてほしい、ということなのではないかと思います。


これから実際に健康被害も出てくるかもしれないし、小児がんの集団検診なども含め福島は大変シビアな状況に入っていくでしょう。
水俣病や原爆被爆者と同様、どこかで線引きがなされ、大量の「未認定被爆者」が生み出されるでしょう。
たくさんの裁判も起こされるでしょう。
チッソのように東電本社前の座込みもあるかもしれません。
福島の人たちを先頭に、というのはその段階での事のように思えてなりません。


福島の親たちはいま福島で闘うか、避難するかのどちらかです。
東京で闘わないといけないのはあくまで私たちだと感じます。
それより、「福島の子どもたち・無料サマースクール」「疎開プロジェクト」みたいなもの考えられないかなあ・・・
受け入れ態勢があれば今すぐバスで迎えにいってもいいくらいです。




★破鍋さん
文科省の交渉を終わって、参院会館での集約集会では~
全体の参加者500人、福島からバス2台で70人の参加が報告されました。
福島の参加者20人位が一言ずつ「子供たちを守らなければ」と発言されました。
赤ん坊を実家に預けて参加したお母さん、子どもと妻を会津地方に疎開させているお父さん。高・中・小と3人の子供のお母さん、孫のためにと参加したおばあさん・・・
「20ミリシーベルトの撤回」
予算が無いからなどとモニタリングや除染措置を取らない行政に~ 「お金は、東電や政府に責任を持ってもらえばいい」と訴えていました。


参議院の行政監視委員会で「原発事故と行政監視の在り方」をテーマとする参考人質疑を終わって駆け付けた小出裕章さんは、
「子供たちには何ら責任はない。私たち大人が声を上げなければ」と簡潔に訴えまし
た。


私が行く前には、民主党の原口議員の発言もあったようです。


★茶水幽玄隊鉄兵
ビルの上から我々を盗撮していた奴がいた.「ビルの上でビデオを撮っている人がいる.あれを撮って」なんて,誰か女性の人が言っておりましたが,その要望にお応えしときます.

当日については,多くの隊員が報告しているので,役立たずの幽玄隊として特別付け加えることはありませんが,写真を撮るのに邪魔なマスコミにいらだって
「おまえら本当のことを報道しろよ」とか何とか,口走っていた自分がおりました.
それから私の韓国人の友人が一人参加していたことも報告しておきます.






2011年5月23日月曜日

5.22 もみもみ肉球隊 勿来整体治療作戦報告

旅団員諸君、読者の皆さん

ウシトラ旅団伝説の古参精強部隊、なさけな隊のソメビン隊員ともみやのノボせんせが、二人の若き精鋭を加えて勿来の関をこえ、整体治療作戦を敢行してきました。
ソメビンとノボ隊員は、もともとが放射能の下でも釣りをしたい! というアホな行動を標語だけでなく「おおお、入れ食いですよ。こんなんが釣れますから!」と、やってしまっていたお仲間でありました。
そしてまた、かたや青少年時代はイングランドに留学する(心は正しくないが)、ええしのボンであり、かたや雑司が谷から池袋にかけて、悪名とどろかした(心は正しいが)、悪んぼうでありました。

この二人の人脈と悪童コンジョは、実にウシトラ旅団が誇る最大の戦力であります。
おかげさまで、若き精鋭もただちに「志願」させ、勿来へと連行したのでありました。
今回作戦は、前回の江名小学校の轍を踏まぬように、ふくろう部隊となり、夕刻から夜の作戦でした。
ともに、もみもみ肉球隊として活躍されたお二人、志賀、瀧澤の先生に心から感謝いたします。

ウシトラ旅団は「今度はいつ来てくれるの?」という最大の言葉をいただけた作戦成功を、共に喜び、次の作戦につなげようと思います。
いま、まさに旅団員数人が福島から「子供を救え! 20ミリシーベルト数値を撤回しろ!」と、文科省をたくさんのお仲間といっしょに包囲している最中です。
現地と東京、両方を結ぶ活動をウシトラ旅団は追求いたします。
                                                 ★旅団長

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整体治療作戦報告
なさけな隊ーもみもみ肉球隊 報告


勿来も海岸線沿いは壊滅的で、特に鮫川を挟んで北一帯の破壊度合いが酷。稼働を止めた火力発電所の静けさはその建物の大きさゆえになおのこと深刻さを伝えていた。








南の森スポーツパークは市営で避難所環境としては言うことがないくらい整っていた。連絡をとった5月2週目には160人の避難者がいる、ということだったがこの日到着すると約60名に減っていた。
では残ったこの60名という人々はどのような方かというと、大部分が3・11の被災者ではなく4・11、4・12の余震震度6弱の時の地震による家屋倒壊での避難者であった。


市の職員の話では3・11時点でこの避難所に入ったのは約60名。4・11,12後の収容人数は350人を超えたということだった。
なおかつ今もここに残っている被災者は災害申請が下りておらず、したがって被災者生活再建支援金や災害援助金を受け取れていない人々だ。
この申請が下りるには順序があるらしく、まずは3・11の地震・津波による被災、続いて原発関連の避難者なのだという。
だからそれ以降の余震による被災者支援は後回し?なのだと避難者の老人は語っていた。
その中で親類を頼ったり、アパートなどの借り住まいを手配できた人達は避難所を後にしたが、それも出来ずにいる人が今ここにいる・・・・




今回整体治療のミッションに手を上げていただいたのは内藤、志賀、瀧澤の3先生。治療にあたったのは約10名の方であった。
足が痛い、腰が痛い、指が曲がらない、肩が痛いと様々であったが、的確な先生方の治療とアドバイスで、初めは構えていた避難者の方々も徐々に被災当時の話をしだし、「最近は余震が少ないんでものたんないなあ」などと冗談も飛び出る打ち解けようだった。
先生方はその場限りの治療ではなく、歩き方、体操や病院での治療を勧めたりとこれからも続く避難所生活に役に立つアドバイスをされていた。
「今度はいつ来るの?」の声に応え、近々再訪の予定をたてることにした。


勿来には他に3つの避難所があるという。
各所とも減少傾向の被災者だが、いずれこの南の森スポーツパークに集約されるのではないだろうか、というのが職員・避難者の予測(たしかにここは衛生面、環境、安全性、設備などほぼ完璧という印象だった)
ただ気になったのは原発事故による影響に対する勿来の人々の反応。
まあ、気にする人もいるけど・・・といった具合で、ここは大丈夫だよ、と言わんばかり。これはもしかしたらいわき市全体に流れている「雰囲気」なのかもしれない。




★もみやの先生・ノボ隊員より

簡単に補足の報告をいたします

結果的には10名程の方を診ることができまして、まあまあの出来ではないかと。

染井隊員、同行の志賀隊員の上手な声かけ、同じく同行の瀧澤隊員の会話上手に助けられました。

「次はいつ来るの?」とのお声も頂いたり、障害のある方の奥様に非常に感謝されたりとか・・・

皆さん遠慮されている感じも何となく感じましたし・・・

次回はもっと多くの方のお役に立てればと思っています

染井隊員、志賀隊員、瀧澤隊員、お疲れ様でした


ノボ

2011年5月17日火曜日

『原発事故リテラシー』 強化のために(3)

さきたま方面隊リテラシー強化班の塩爺隊員より、福島第一原発3号機へのホウ酸注入について、以下のような、解説がウシトラ旅団作戦部MLで回りました。
第2便で「今のところ、切迫した危機ではない」というMLになって、トーンの修正が行われました。
しかし、旅団長は思うのであります。
危機は依然として予断を許さぬ危機である。
たしかその前日、細野豪志首相補佐官は「3号機のほうを心配している」と発言しており、3号機の状況について注視しておかなけらばならないと思うのであります。

そして、またまた旅団長は思うのであります。
「俺ら、おじさんやおばさんはよしんば最悪のさなかに取り残されてもよし」としよう。
ただし、「爆発的危機に向けて、ガキや孫には、速やかに関東・東北を離れるルートと準備は怠るべきではない」と。
具体的な準備をしておく必要を旅団員家族やその友人家族へ、伝えおくべきならずや?!
なぁにできることは限られている。
いざ、水蒸気爆発の報が入ったら、すぐに出立できる程度の金をわたしておけということですがな。そして、親のことなど考えずに直ちに九州へでも向かえ、ということでありますよ。
原発爆発、てんでんこ!

それはそれとして、塩爺隊員が原発について、基礎の基礎を理解するのに役立つという千夏ちゃんの原稿を見つけ出してくれました。
旅団員、読者の皆さんは、お勉強をしておきましょう。
♪あなたのこころ~に、そらがぁあるならぁ、そして、それがあおいそらならなぁ~

空を返せ、目に見える美しい空だけなく、肺に吸い込んで大きく息の出来る空気に満ちた空をかえせぇ! みんな、単純な怒りは大切だぞ。忘れるな。

というわけで、塩爺隊員のメールの内容を「リテラシー強化のために」第三弾といたします。

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★第1便
15日午後233分、東電はホウ酸注入を開始していた。


東電ははっきりした説明をしていませんが、ホウ酸注入は‘再臨界が起きた‘ または ‘起きそう‘
である事は事実と思います。
小出氏の発言(警鐘)の最悪のケース(水蒸気爆発)にならない事をただ願うのみです。
最悪のケースは風評(デマ)を超えて‘学童疎開‘どころではない悲惨な状況になる事だけは
確実です。
(地震直後に実際に起きた水素爆発と‘水蒸気爆発‘は全く次元の違う爆発です。)
(一部マスコミで、水素爆発と水蒸気爆発と核爆発(核兵器)とをごっちゃにした記述がありますが)


小出氏の過去の発言を再勉強しました。(1か月以上前のちょっと古い情報ですが)
(要約)再臨界から水蒸気爆発だと東京放棄が現実味に.
福島原発が爆発したら、放射性物質の拡散はチェルノブイリより桁違いに多いそうだ。
風下だと2~300kmまで危険なので、
250kmほどの距離の東京も風向きによっては危険領域。
この場合、避難した方がいい(小出裕章氏、京都大学原子炉実験所助教の話)。
でも、東京には(数時間から)半日以内に到達するらしいので、時間的に避難はムリかも?


小出)たぶんホウ素(ホウ酸)という核分裂反応を抑える化学物質ですけれど、その注入量が少なすぎるんだと思います。

小出)再臨界の恐れのある炉心にはホウ素をいれなければいけません。

小出)もしそれ(水蒸気爆発)が起きてしまうと、爆発的に放射能が出てくるということですので、周辺の人たちはもちろんその覚悟をしていただいて、いつでも逃げれるというそのぐらいの心構えはしていただかないといけません。

★第2便
その後、その筋の専門家に確認してみましたが、幸い現時点では
 15日の3号炉へのホウ素注入は予防的措置と見てよいようです。(一安心!)
 当面、東京脱出を考える状況までは来ていませんがもちろん、楽観をしてはいけないと
 思っています。

 ただ、2号機、3号機ともメルトダウンの可能性を政府は否定していないので、
 引き続き、冷静に事態を見守る必要があります。

 圧力容器から格納容器内へ融けた燃料棒がいっきに落ちるケース(チェルノブイリのケース)
 が最悪だそうです。
 またそのドロドロに融けた燃料棒の形状にも依存するそうです。
 (何しろ東電、政府の情報公開が少なすぎる)

☆お勉強のために
添付中山千夏さんの文章は、初心者に判りやすく
 原発(事故)を記述しています。
 皆様の勉強材料に活用してください。
 (一部、‘再臨界と燃料の崩壊熱‘あたりを混同しているようですが、
  完ぺき、簡潔な記述に敬服しています。)
『私のための原発メモ』 中山千夏・著
                                 さきたま方面隊リテラシー強化班塩爺


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おっと、ごめんなさい。茶水幽玄隊鉄兵隊員からも、「リテラシー強化のために(3)」の原稿があり、ここに連ねておきます。    (旅団長)


『原発事故リテラシー』 強化のために(3) として [2011/05/10記]
 この間,印象に残ったこと.

1. 4月30日土曜日の『原発事故リテラシー』 強化のために(2) でも報告しましたが,福島での「安心・安全」キャンペーンに反撃が始まったようです.

  「100ミリ以下は安全」放射線アドバイザー山下俊一氏に苦言殺到
   http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1037

 被曝の問題については,以下のこんな記事も参考になるかと思います.

  自然放射線と人工放射線のちがい
  http://chibichan931.blog106.fc2.com/blog-entry-115.html

 原子力発電所周辺で小児白血病が高率で発症―ドイツ・連邦放射線防護庁の疫学調査報告
 http://cnic.jp/modules/smartsection/print.php?itemid=122


5.1 いわき小名浜作戦の最終タスクの佐藤和良議員の話に出ていた「集団移転」に全く同意しますが,次の記事のように避難したくてもできない状況もあるようです.

 【原発震災】妊婦の避難を阻む呪縛
  http://www.alterna.co.jp/5516

先の御用学者たちが100ミリシーベルトでも大丈夫とか,政府が20ミリシーベルトなんていいかげんなことを言うから,妊婦が避難したくてもできないような状況が生まれるのです.


2. 3号機の圧力容器の温度が異常に上昇したり,また,4号機の燃料プールの使用済み燃料がほとんど損傷していないこと分かり,水素爆発の原因が分からないとか,そんなニュースが届いていますが,最近ネットでは,3号機の爆発は「即発臨界」の可能性があるという話題が駆け巡っています.

  3号機の爆発は「即発臨界」の可能性
  http://senmaya.at.webry.info/201105/article_2.html
  http://www.universalsubtitles.org/ja/videos/2TnNJkefdfyZ/ja/72595/

 福島原発事故の現状:ガンダーセン博士がロシア報道番組で語る4/26
  http://www.youtube.com/watch?v=_yO-_iTo-XY&NR=1

  英国バズビー博士 避難圏70キロに拡大を! 福島3号機はおそらく核爆発?
  http://www.youtube.com/watch?v=jW2Oe2S2oqU

  バズビー教授 チェルノブイリと 同じくらい深刻 それ以上の人口が被爆
 http://www.twitmunin.com/v/170714/%E3%83%90%E3%82%BA%E3%83%93%E3%83%BC%E6%95%99%E6%8E%88--%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%96%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%81%A8-%E5%90%8C%E3%81%98%E3%81%8F%E3%82%89%E3%81%84%E6%B7%B1%E5%88%BB%E3%80%80%E3%81%9D%E3%82%8C%E4%BB%A5%E4%B8%8A%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E3%81%8C%E8%A2%AB%E7%88%86/ 

 3. 以下は,もともと spam でやってきたものなのですが,マスコミの電力会社・電事連汚染の実態です.電力会社・電事連の買収工作は「原子力ムラ」などというちっぽけなムラではなく「原子力帝国」と呼んでもいいような大規模な買収です.

〈引用始め〉
 マスメディアが放射能汚染されている。
 真実の原発情報を流さない理由

 ・NHK
 経営問題委員        平岩外四(東京電力会長)
 解説委員            緒方  彰(原産会議・理事)
放送番組向上委員    十返千鶴子(原子力文化振興財団理事)
  理事・放送総局長    田中武志(原子力文化振興財団理事)
 ・NTV
  読売新聞社主        正力松太郎(原子力委員会委員長)
 ・TBS
毎日新聞設立発起人  芦原義重(関西電力会長)
 ・フジ
  サイケイ新聞社長    稲葉秀三(原産会議常任理事)
・テレビ朝日
  朝日新聞社長        渡辺誠毅(原産会議理事)
  論説主幹            岸田純之助(原子力委員会参与)
  論説委員            大熊由起子
・テレビ東京
  日本経済新聞会長    円城寺次郎(原産会議・副会長)
  テレビ東京取締役    駒井健一郎(核物質管理センター会長)
・テレビ大阪/近畿放送
  重役                小林庄一郎(関西電力会長)
・東海テレビ
  重役                田中精一(関西電力会長)

 残念ながらこれがTV局から真実が報道されない現状なのです。
 〈引用終わり〉

 「週刊現代」最新号(五月二十一日号)の「原発マネーに群がった政治家・学者・マスコミ」という記事もこの辺りの事情を書いています.東京新聞と共に週刊現代もそれなりに反原発報道を頑張っています.

 ついでに以下も参照.
  原子力ロビー「電気事業連合会」の力と実態
  http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2439

 4. Coffee Break
 最近流行っている回文
 『保安院全員アホ』
 上から読んでも下から読んでも、“ほあんいんぜんいんあほ”



2011年5月11日水曜日

5.1いわき作戦 ボラセン派印象記

旅団員諸君、読者の皆さま
ともに、5.1いわき作戦行動を担ってくださったアキさんから、報告記が旅団長宛に届きました。
行動するのも、支援する相手に対しても、ウシトラ旅団は「袖摺り合うも他生の縁」を大切にしたいと考えます。
むしろ、東京のボランティア活動のセンターで、活躍するアキさんは、ウシトラ旅団の先輩であり、たくさん教えを請わなければならない方だと思います。
このような方が、旅団の活動に参加していただけるのは、「オニカナ、ネコツノ、池にカエル」であります。つまり、とっても心強いのであります。
というわけで、これからも「やりたいことを勝手にやる! できることを一緒にやる!」の心意気で協力していきたいと思います。
それに、いい加減なウシトラ旅団だからして、アキさんにも「いつでも誰でもウシトラ旅団」員としての活躍を心から旅団長は望むのであり、志願兵(ボランティア)として、受け入れるのだぁ。
あっと、彼女のいわきのご友人Sさんは、最重要の前線部隊として、「常磐切羽工作班」を担っていただくことに勝手に決めました。
どうぞ、よろしく願い奉る。

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5月1日、いわき市小名浜のメーデーに飛び入り参加しました。
 私は、ボランティアセンターのスタッフです。震災直後から問い合わせが爆発的に増えました。おもな問い合わせは、被災地でボランティアしたい、東京でできるボランティアはないか、支援物資を提供したい、という個人・企業からのもの。マスコミからの電話も、一日ふた桁にのぼりました。
 スタッフはみな、日中は震災関連の問い合わせに追われ、夕方から夜遅くにルーティン・ワークをするという毎日。けれども、震災関連については熱い思いの人びとの志気を下げるような回答しかできず、むなしさを感じていました。

 被災地での活動は交通や現地事情によって簡単にできるものではなく、都内でのボランティアや物資の受け入れも希望者が多すぎてお断りしていたのです。
こうした問い合わせを受けながら個人としては何をすべきか考え、「当事者主体」という視点から、仕事に関わるサポートをしたいと思いました。
そんなとき、ウシトラ旅団が小名浜のメーデーに参加するということを知り、直前に参加させていただくことになりました。どんなメンバーで何人行くのかわからないまま…。





当日は、いわきに住む友人を呼び寄せ、メーデー→江名小学校→佐藤和良市議会議員のお話まで、一緒に行動しました。彼が地元の話をしてくれたのは、メンバーにも参考になったと思います。友人いわく「また、濃ゆいメンバーを引き寄せちゃったねえ」。そう言う彼も“福島隊員”としてウシトラのメーリングリストに入れてしまいました。


当日の様子は、ブログでの報告にあるので割愛します。数日後、ドライバー募集の話があり、いわきの労組につなぎました。都合が合わず実らなかったけれど、情報がきたのは少しでも行動した結果かなと思いつつ、長期的に活動しなくては情報があっても実らないままだよなと気合の入れ直し。
…というわけで、ウシトラ旅団とも長いつき合いになるのかな。あ、私も“旅団員”?

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横顔もホントはかっこいい
りっぱな旅団員だよぉ!! (旅団長)

2011年5月3日火曜日

5.1 いわき小名浜作戦報告(1) メーデー集会

ウシトラ旅団は福島県いわき市小名浜へ行って参りました。
もともと、4月11日の旅団結団式において、「今度は宮城に入りたい」という旅団長要請を、参加者みんなで拒否、原発事故で焦点になっている「いわきへ行く」と言い張って、参加旅団員は旅団長の言を聞きゃしない。
でも、おそらく正解でした。いまこそ、福島を自分たちの目に焼きつけ、話を聞いておかなければならなかったのです。


ウシトラ旅団は、「被災者ならどんな人でもできるだけの支援をする」をひとつの軸にしました(もうひとつは、「被災地の再生を担うべき団体や個人を意識的に支援する」です)。
その中で、たった一つだけ、運動体として立場を鮮明にすることとして、「脱原発にむけての運動に参加する」が決められていました。
いま、ウシトラ旅団は緊急にやるべきこととして「福島を救え!」「子供たちの命を守れ!」を掲げています。そんなわけで、福島いわき市へ向かったのでした。


作戦目的は、小名浜の労働者のメーデーに参加して激励。その後は、被災地を視察して、避難所を訪問、その後、原発問題を学ぶために脱原発いわき市議として全国区になってきた佐藤議員にお話を伺うというものです。
今回は、メーデー乱入の報告記事です。


ウシトラ旅団5.1いわき小名浜作戦実行隊は、車両2台で14人で編成。朝、6時に練馬からソメビン隊が、6時30分には川口から輜重輸卒鶴翼隊が出発。
川口出発隊は、ありがたくも輸卒のプロであるミヤシタ隊員が作戦策定中に、車両つきで志願してくるという僥倖。旅団長は天の助けに泣いたね。
稚拙なる運転技術のミツトシ隊員をすぐさま解任、ミツトシ隊員を名前だけの隊長に祭り上げ、ミヤシタ隊員を車両長として最強輸卒部隊を作ったのでありました。


ソメビン隊には、今回作戦展開の鍵を握るマイペースの森田貢さん、出たとこ勝負にめっぽう強いミュージシャンみいきしゃんが、そして無能なる旅団長が乗車。
すでに森田さんはソメビン宅に前夜より待機して、ソメビン隊員は、二人の実力音楽家相手に、酒とかつおでノーギャラ参加の約束をとりつけるいう殊勲甲。
ほんとに森田さん、みいきさん、ありがとう!!  ウシトラの貧乏ぶりにちゃんと応えてくれました。
一方の川口出発隊は、編集者、ウェブデザイナー、新聞記者、電気設備屋などのおじさんに、直前に志願してきたボランティア活動センターの女性が一名。なかなかに誇れる部隊となった。
目指すは小名浜横町公園! 小名浜地区労中心の実行委員会が開催する82回メーデーへ乱入だぁ。




★小名浜のメーデー
行ってみれば、すでに集会は始まっており、あな、遅かりし由良の介なんて言ってるまもなく、お茶とお菓子のサービスをセッティング。かと思えば、旅団長が用意するはずのコンロのボンベがない。
「あんたね。鉄砲、あっても弾無しじゃ、戦闘はできんとばい!」という冷たい視線。直ちに有能なる旅団長付テラ隊員がスーパーへ走り、補給をして事なきを得たのでありました。


集会は300人の参加者。聞いていたより、ずっと多い。とりわけ全港湾あたりに兄ちゃん風の青年部隊が集い、「いやぁ、いいなぁ」と、おじさんばかりのウシトラは思う。
辛くても、こんなときこそ、労働者は先頭に立って人々を励まさなければ。
原発事故を許さない! 首切りを許さない! と声を上げなきゃ。
小名浜メーデー実行委員会のアピールを紹介したいのですが、それにHPなどでいきつきません。
かわりに、いわき自由労組のメーデーアピールが読めます。
どうか、読んでください。
http://blog.goo.ne.jp/ff52kamatonkachi/e/fbe6caca3678c065bf299131086ad98e





集会の終わり近く、ウシトラ旅団を紹介していただいて、少しの挨拶と旅団が誇る森田・みいきしゃんのターギニカピア隊が登場、一緒に歌を歌ったのです。
旅団長の訓示(?)は旅団員にはまことに不評でありました。
「べしゃりすぎ」「んぁにアジっとるんだ」。


旅団長はこたびの被災者に「頑張れ!」と、いま、ぬけぬけと無神経に言うことに反対です。
しかし、このメーデーに参加している、とりわけ若い組合員のみなさんに、あえて
「いま、ここで頑張らなければいつ頑張るのか! 労働者が被災者の利益を守り、労働者や漁師のみなさんが元気にならずして小名浜は再生しない。ほんとに手をつないで生きられる未来をたたかい取るんだ!」と喚きました。
首切りにさらされても、仕事を失っても、組織されている労働者は、自分のためだけでなくたくさんの人々のためにたたかうべきと考えるからです。
結局、その責務をまっとうすることが、自分たちの利益を守ることにもなると、深く信じるからです。
おっとマジメに言い過ぎた。旅団長の芸風ではなかったが、ま、たまには許せ。


ターギニカピア隊は、♪青春時代の真ん中で~、と歌い、♪もう何度も小名浜へ行きましたね、と歌い、そして♪ああ、インタナショナールゥ~ われらがものぉ、と歌いました。
森田さんもみいきさんも、生まれて初めて歌ったインターでした。
おじさんたちは正しく立ち上がり、肩を組んで歌いましたが、若い衆は、ぽかんとしていました(笑)。
でも、いいじゃないか。ここからだよ。


★デモ行進
メーデー参加の組合には、震災・津波で犠牲者を出した組合もありました。
家族を亡くした方もいます。それでも、喪に服すだけでなく、あえてデモもやって小名浜で声を上げようという勇気ある決断をしました。
私たち旅団員も彼らの決断に敬意をもって、デモにも参加させてもらいました。
「福島に原発はいらないぞ!」
「ミツトシは孫がかわいいぞ! 孫に放射能入りの牛乳はいらないぞ!」
「原発は日本中、どこにもいらないぞぉ!!!」
「東京はちょっとくらい暗くてもだいじょうぶだぞぉ! 暗いと美人も多くなるぞぉ!」






まだ、小名浜は、う~ん、古きよき組合コミュニテイがあるともいえるし、そこにとどまっていてはアカンでしょ、とも旅団長は思うんよ。
がんばれ! 若い衆。未来は君らがつくるのだっ!