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2013年3月27日水曜日

お盆にこの演劇を上演!




★『フェスティバル2013 全国高校演劇研究大会』(いわき市)

3月23日・24日に高校生たちの演劇を見に行って来ました。
いくつかの作品を見させてもらったのですが、お目当ては開催県の枠で、最後に上演された福島県立大沼高等学校の『シュレーディンガーの猫~Our Last Question~』でした。

実はこのフェスティバルは地方ブロックの予選で最優秀を取れずに、夏の全国大会へ行けなかった作品の内から推薦されて、上演が行われるものなのだそうです。
会津美里町の大沼高校演劇部がいわば全国大会への道を絶たれた時の「講評や批評」について、「東北でも震災被害が風化しつつある」と報じた新聞記事に、ウシトラ旅団の数人が怒りまくったのでした。
むろん、その怒りは、この作品が一等賞を取れなかったという結果についてではなく、生徒たちが福島の問題に正面から立ち向かった演劇に対して、評価する側が「正面から」向きあおうとしなかったらしいことについてでありました。


避難者の二人。活発で芯の強い絵里(黒ジャージ)は自分を支える好きな歌を、みんなに名前も覚えてもらっていない孤独な弥生(青)に聞かせる

事の結果を報じた福島民報はこう書いていました。
『震災と原発事故を題材にした大沼高(会津美里町)の演劇に対し、他校から「重いテーマを重くやられた感じ、疲れる」「(震災を)見せ物にしている」などの講評が寄せられた。審査員の一人も「疲れた」と感想を漏らしたという。結果は本紙既報の通り最優秀でも優秀でもなく、優良賞だった。
 審査がある以上、優劣がつくのは当然で、結果についてとやかく言うつもりはない。残念なのは、被災地の視点で問題に真正面から取り組んだ姿勢に対し、冷ややかな見方があった点だ。講評者名は伏せられているが、関係者は「被災しなかった地域の生徒の意見ではないか」と推測している。思いを共有してくれていると信じていた東北での否定的な反応に、部員は落胆している。心を占めているのは悔しさより悲しみだろう』

旅団長は、怒っておりませんでした。
嫉妬で目が濁る、んな連中はいるだろうし、風化なんていえば「絆」やらのごたくで塗りたくった支援や心持ちは、すぐに風化するに決まっている。
そんなことより「共感の回路をどう作るか」を考えねばなりませぬ。
というわけで、例のごとく喚いてしまうもんね。
「この演劇、東京でやっちまおうぜ! 評価はそこで見てくれる人にやってもらえばいいじゃん」


「かわいそう」だから原発被災者を演劇にしようとするのか、自問して聡美(左端)が出す結論は


★お盆にやるべ!
ソメビン、走り回り、あっという間にプロデュースをしてくれる人を見つけ出し、あっという間に本多劇場系列の「楽園」で、お盆興行の日程が押さえられたのでありました。
顧問の佐藤先生に連絡を取り、「やろう!」という話になったのでした。
23日には、ウシトラはプロデューサーのHさんと一緒にいわきの一夜。
どんなふうにやりたいか、佐藤先生と話し込みました。
「この子供たちにしかできない演劇です。ありのままの子供たちの演劇として表現するようにしたい。本多劇場なんて、大変な経験になるし、ぜひやりたい」
そんなふうに先生はおっしゃるのでした。

24日には、鶴ヶ島広報隊アライ隊員が聴覚障がい者の運動に取り組んでいる人を引き連れて、上演場「アリオス」にカメラを引っさげて登場したのでした。
(この演劇を聴覚障がい者にもどうにかして観てもらう工夫ができないか、と考えているのです)。




★すごい! まいった! やるぞ!

「拙い作品」と謙遜していた先生の言葉は、とんでもないものでした。
もともと、富岡町から避難してきた女生徒が大沼高校の演劇部に入部したことが、この劇の誕生につながったといいます。
避難者の生徒、それを受け入れた学校の生徒、それぞれの心が深化していく過程が見事に描かれているのです。

出演する8人の生徒さんたちの見事なキャラクター。
たしかに先生が言うように、「あの子たちにしかできない劇」なのでしょうが、きっと現実に起きている事象を真正面から見つめています。
そこには、避難してきた生徒の「同情はいらない」や「怒りじゃない、悔しいんだ」の言葉の意味や、それぞれに違った思いを抱えて、それでも考え続けている受け入れた側の生徒たち、メディアの上調子などが浮き彫りにされていきます。
350人の小さな会津の高校の生徒と顧問が作った劇は、まっすぐに私たちを打ってきます。


旅団長は、終わった途端に二階席にいたHさんに向かって、親指を突き上げていました。
すこし後ろで見ていたソメビンは「参った、やられた。もう涙がとまらない」。
実際、旅団長はラストの5分間、自分の口を両手で抑えこんで、嗚咽が挙がるのをかろうじて我慢していたのでした。
演劇を見て、こんなふうになったのは初めてでした。


絵里が転校してきてダンス部はメディアの寵児。だが、ずっとダンス部を支えてきた陽佳(右端)の様子が変。学校のリーダーである陽佳の心のうちは……。

畳み掛けるように、一人でも生きていくという意志、仲間として生きるというシンプルで根底的な「勇気」が、舞台上に立ち上がってくるラストをたくさんの人達と共有したい。
大沼高校の演劇部のみなさんは、わたしたちウシトラ旅団がやろうとしてきたことを実現しようとする仲間です。


上演直後、大沼高校演劇部員の真っ直ぐな目にたじろぐ、さっきまで泣きべそをかいていたのソメビン

どうしても東京でこの作品をやりたい、必ずやる! と思いを強くしました。
お盆の数日間のぶち抜き公演です。
みなさまのご協力をお願い致します。







2013年3月13日水曜日

3.11 泉玉露仮設合同慰霊祭


★手作りで合同慰霊祭

東日本大震災からまる2年を迎えたこの日、泉玉露応急仮設住宅では三回忌の合同慰霊祭が行われました。
行政はあちこちでそれぞれに日をずらしたりして慰霊祭を行い、東京では政府主催のそれが開催されていました。

泉玉露仮設は自分たちで「やる!」の心意気です。
仮設のおっかさんたちが朝早くからいなり寿司や団子をつくる作業に入り、男衆は祭壇や椅子をそろえて会場の準備をしていました。
ウシトラ旅団の関係者は、Nさんが人形劇のお仲間を誘って、お母さんたちの作業の手伝いに入っておりました。

練馬から出発したソメビン車が、途中で事故渋滞に巻き込まれ、何とかたどり着いた時には、すっかり準備は整っておりました。
昨年の慰霊祭のあと、懇ろに弔ってきた塔婆を伴って北海道からやって来られたお坊さんにご挨拶して様子を聞いてみれば、
何だか、昨年同様のたくさんのお坊さんが来られるらしい。



★いい慰霊祭だなぁ

今年も慰霊祭をやるというので、カッチョイ(自治会・支援者活動調整委員会)で話し合った時に、雨の場合について検討していたのです。第二集会場での開催と、動線を決めていて、本当によかったと西山さん(連絡員)と、手を握り合いました。
前夜から風が強くてテントを張れず、屋内での開催に決めたということだったのです。

始まればおよそ百数十人がびっしりと参列し、祭壇の前には、各宗派のお坊さんや、テモテの木村司祭(聖公会・カッチョイメンバー)が、おすわりになられました。

川上自治会長の開催挨拶が素晴らしかった。
地震・津波の犠牲者への追悼の気持ちと、原発事故によるこれまでの苦労と、それを乗り越えて一緒に生きていこう、というメッセージがそくそくと伝わるものでした。


やがて読経の中で焼香の列が続きました。
思わず旅団長は、自分の兄弟や親戚の十数人を津波でなくしたと語ったHさんのほうに視線が行ってしまいます。
少しずつでも区切りをつけながら、前に進むしかないのだと思いながら。
私にとって、焼香も2時46分からの黙祷も、「必ず、ここにいる人達の生存権を政府に保障させるまで頑張る」と誓うことでした。
昨年も同じようにこの祭壇に向かって誓い、どこまでできたかなとも思うけれど、やり続けるしかありません。

慰霊祭が終わって、仮設の女丈夫、西原千賀子さんと話しました。
彼女は昨年は石巻の慰霊祭に呼ばれ、今年、始めて自分の仮設住宅の慰霊祭に参加したのでした。
「町も一昨日だかにやったらしいのですが、やっぱり、自分たちで手作りしたここの慰霊祭が本当に自分たちの心に叶う、いい慰霊祭でしたねぇ」
私も、まったく同じ感想を持っておりました。





犠牲者を慰霊し、残されたもの・原発事故被災者を励ます早川和尚の法話
http://chirb.it/CB1cdh で法話が聞けます



★仮設外からの弔問客

泉玉露仮設は開かれた雰囲気の仮設住宅です。
富岡町の方々でこの仮設ではなく、借り上げ住宅(みなし仮設住宅)に住んでおられる人や、他の双葉郡の町からいわき市周辺に避難している人たちに対しても、この慰霊祭にいらしてくださいと呼びかけていました。
たぶん、多くの人達がこの仮設での合同慰霊祭にいらしていたことだと思います。

支援者もウシトラ旅団が協力しながらともに活動してきたテモテ教会、グレイス教会や、個々に私たちがつないできた気持ちに溢れた人たちも、なんだか勢揃いの様相でした。
ボランティア団体として入ってきた者の以外でも、仮設を撮影し続けてきた映画監督、いわき駅前でひとりで「原発嫌だ」の声を上げてきた女性、社協関係者、手伝いを何かしたいと思ってもなかなか手ががりがないと思っていたのだけど、と語る御近所の人……。
こういう慰霊祭のような場が、それぞれの立場で考えていることを語りあって突き合わせ、次の行動につなげていく発想の機会でもあります。

ウシトラは、被曝労働の現実を伝えていく「写真パネル」広報への協力、お盆にやらかそうとしている「会津の高校生の演劇」の準備の話をしておりました。


「お盆に会津の大沼高校の演劇部を呼んでぶち抜き公演を東京でやります。生徒たちを励ましに来て下さい!」 
俳優・近藤正臣さんに旅団長は迫る!


★子供たちも、今しばらく、ここで生きていく!                                  

慰霊祭が終了してしばらくして、子供たちは学校から帰って来ました。すっかりお馴染みの顔に、最近はチラホラと新しい顔もみるようになってきています。

昨秋に行われた「泉ふるさと祭り」で、仮設の子供たちは「子供クラフトお店やさん」を出店しました。
そこで上がった収益で手に入れたのが、これ『大海賊の秘宝』というゲームだそうです。
あれから旅団長もよく「ソメビンはどこにいるの?」「ぼく達のお金はどうなってるの?」と催促されたものです。
とにかく、彼らにこのゲームを決めてもらい、売上げ3000円ほどは子供部屋(第1集会場)に置かれる海賊さんのお宝となりました。

その節、ご協力頂いたクラフトの先生はじめ、多くの皆さん、こんなふうにささやかな成果を子供たちに渡しました。
ありがとうございました。



今年は正念場です。
仮設の人々が恒久的に住める住宅の確保。生活の補償、損害賠償問題。健康問題……。
そして、なりより放射能から少しでも離れたところで、子供たちの生活と教育環境を保証していくこと。
それらが焦点化していく一年になるでしょう。

こうやって仲良く暮らしている子供たちを、またバラバラにして辛い思いをさせたくない。
この子たちがまとまって、よりまっとうな暮らしができるように、みなさんの力を結集してください。
ウシトラと一緒に進みましょう!      
                               ★旅団長

2013年3月8日金曜日

3.11 泉玉露仮設合同慰霊祭予告



★泉玉露応急仮設住宅で合同慰霊祭

今年も仮設住宅自治会が独自に「合同慰霊祭」を行います。
富岡町は、郡山市に役場を置いていて、そちらで町主催の慰霊祭を行いますが、泉玉露は住民主催で仮設と周辺にいる人々に呼びかけて、慰霊祭を行なうということです。
仮設だけでなく、借り上げ住宅にいらっしゃる富岡町からの避難者、他町村からの避難者も来て下さい、と呼びかけています。

ウシトラ旅団は昨年も慰霊祭のサポートを行い、ソメビンのおやじ様が書き上げた塔婆は、いま北海道のお寺様に行っています。
その塔婆は、北海道のお坊さんといっしょに空を飛んで泉玉露にやってきます。

「あなた方はお願いする立場ではありません。要求する立場なんです」
昨年のこの日、そんな法話を行なった自身も避難者であ浄林寺の早川和尚が、三回忌となる今年にどのような法話をしてくださるのか、そんなところにも注目をしています。

★12時からほっこりカフェ
自治会のおっかさんたちが、ほっこりカフェとともに、お供えの団子やいなり寿司を作るそうです。
第2集会所での作業になりますので、この作業の手伝いをしながら交流もできます。
ウシトラからは、クリスマス会の折に参加したNさんなど3人のご婦人方が、押しかけることになっています。
泉玉露仮設はオープンな雰囲気の仮設住宅です。
いっしょに大震災被害者の冥福を祈り、被災者とともに生きる気持ちを固めるために、心ある方はぜひどうぞ。

富岡町は郡山市に町役場を置いており、そちらで町主催の慰霊祭が行われるはずです。
それでも浜通りからは遠い。
どうぞ、みなさん、泉玉露へいらっしゃって下さい。


☆駐車場は近所の公園です


☆時程

12:00  ほっこりカフェ開始 
14:00慰霊祭開始
14:46黙禱   
15:00終了



2013年2月12日火曜日

「つなぐ」と「つながる」の試みが進む






泉玉露応急仮設住宅での餅つき以来、鳴りを潜めているウシトラ旅団。
実は鳴りは潜めてても、これからけっこう大きなプランをいくつか進めるために、あちこちウロウロしているのであります。

そんな中で感じるのは、福島の人々同士の結びつき、そこと私たちボランティアやら支援者との結びつきを作っていこう、という新たな試みが始まっていることです。
その動きに関わりあることを、まず、「お知らせ」

★とみおか未来会議、郡山で開催(2月16日)

「とみおか子ども未来ネットワーク」からの以下の呼びかけが行われています。
**********************************
『「とみおか未来会議」~私たちの本当の声を行政に届けよう~』を福島県郡山市で開催!

私たちは、東日本大震災及び福島第一原子力発電所事故により避難生活を強いられている福島県富岡町の町民で結成した市民団体です。
全国47都道府県に離れ離れになった町民の声、想いを集約しながら、“真の復興”を考える活動を全国各地で展開しております。

きたる2月16日、震災からまもなく2年、団体の発足から1年をむかえるこのタイミングで、これまで各地で重ねてきたタウンミーティングの集大成として、福島県郡山市で「とみおか未来会議」を開催します。

富岡町のみんなの不安・本音・希望を分かちあい、公開討論会というカタチで、町や国に直接伝えるために。
一丸となって、「これから」を考え、踏み出すための建設的な議論の場を作るために。

富岡町民を中心に、行政関係者の方、メディア関係者の方、
様々な立場の皆さまのご来場をお待ちしております。

日時:平成25年2月16日(土)13:00開場、14:00開始
場所:福島県郡山市 ビックパレットふくしま コンベンションホールA
登壇者:復興大臣 根本 匠(ご登壇依頼を交渉中)
   :環境大臣 石原 伸晃(ご登壇依頼を交渉中)
   :富岡町町長 遠藤 勝也
   :富岡町議会議長 宮本 皓一
   :社会学広域避難研究会富岡班 佐藤 彰彦
   :とみおか子ども未来ネットワークより
コーディネーター:元TBSキャスター 下村 健一
入場無料
お問い合わせ先:090-1068-9545/info@t-c-f.net
担当 市村まで
**********************************

とみおか子ども未来ネットワークは、富岡町の40代の人々が中心になっている団体です。
彼らは、避難先のなれない生活のなかで「先祖のお墓に入れないのか。いつ帰れるのか?」という老いていく親を抱え、一方で「子供の健康を考えれば、警戒区域が解除されても帰っていいものなのか?」と、親としての苦悩に引き裂かれている世代です。


タウンミーティング in 飯田橋 「オープン」会議


この2年間、彼らは富岡町の人々が心を開いて語れる場を作る活動をたゆまずにやって来ました。派手ではなく、大きな声も出さず、けれど、富岡町の人々を確実につないでいく努力をしてきたのでした。
代表の市村さんが自ら語るように
「どうして、こんなことになっているのか? どうして事態が進まないままなのか? 分からない」状況が続いています。
そこで、整理された「言葉」が出てくるのは難しいこと。

彼らがやってきた「タウンミーティング」は、まず富岡町の人々だけの「クローズド」の語り合い、その後に町民以外の人々も話に参加できる「オープン」の場で、出てきた話を共有して深まりを目指す、とやり方でした。
こうして町民の声をすくい上げてきた彼らは、次の土曜日に、いよいよ政府にその声をぶつけるところにきたのです。




富岡町の町長はすでにこの「未来会議」への出席を表明しています。
環境大臣の石原クンも、復興相の根本サンも、ぜひ出てきて富岡町の声にしっかり向き合ってほしいと願うのであります。

飯田橋でのタウンミーティングの前日に行われた、メディアに向けてお「情報共有会議」
こちらは、かなり踏み込んだ分析や意見がたくさん出た。



★いわきの「未来会議」

よく似た試みがいわきでも開催されました。
富岡のタウンミーティングとは少しだけ違うのですが、進め方の基本はほぼ同じ。
どうやらこのスタイルの会議(というより「語り合い」)の有効性の認識がかなり浸透しているようです。
ワークショップと呼ばれてきた「フリートーク」やら「ブレスト」のバリエーションにもみえますが、「まずは相手の言うことをすべて肯定する」ことが基本のルールになっています。

旅団長個人は「こういうのって、苦手だなぁ」なのでありますが、しかし、言葉を変えて言えば ♪知らぬ同士が小皿叩いて、チャンチキおけさ…でもあるのです。
いわきの「未来会議」は最初はなんだか共通点のありそうな人を集めて、自己紹介込みのフリートーク。
出入り自由、菓子を食い、お茶を飲んで…ということで始まりました。
わたくしが入れられたのは、毎週金曜日にいわき駅頭で原発問題で声を上げている人たちのグループでした。
そんなハメになったのも、この未来会議の紹介者が駅前アクションの人だったから、という以上の理由はなかったのです。


でも、このテーブルにいた人たちもお互いに顔見知り程度の間柄なのでした。
そういう形で駅前アクションが進行しているのもいいし、話を聞いてみると
「こどもが心配なので避難させて自分一人がいわきに残っている」や
「薪ストーブなんですけど、濃縮で高濃度。こうなると市も引き取ってくれないんです」
「仮設の手伝いに行こうとしたのだけど、どう入って行ったらいいのか分からなくて」
といった話が出てくるのでありました。

分けられたグループのテーブルは12,3も。そこに大きなテーブルクロスよろしく模造紙がかぶせてあり、「思ったこと、出てきた話、どんどんお書き」なのです。
やがて、それぞれのグループはバラされて、自分の興味のあるテーマコピーを掲げて、御仲間探しの旅へ出て行くことに。
その旅先の出会った人に、さっき話していたことを「十分ではなく、好き勝手に」伝えろというわけです。

ちょっと笑える旅先の出会いがありました。
私は「つなぐ」と大書し、被災者と市民をつなぐ、仮設同士をつなぐ、双葉郡と東京をつなぐ…、なんて札を掲げておりました。
やがて「つながる」を掲げる人と遭遇。
富岡インサイドを主催する平山さんでありました。
互いに名前は知っているけれど、面識なし。笑い出しながら
「一度、お会いしたいと思っていたのです」という挨拶になりました。



『いわきの30年後の将来にわたしが関わりたいこと』というテーマに絞り込んでいくことになっていたらしく、それぞれのグループごとにまとめられた最後のおもしろい「発表」となりました。

それを聞きながら、わたしのほうは「『いわきの30年』と提出されたときに、その語り合いの意識の内に双葉郡は入っているのだろうか」という思いが去りません。
いまも市民と双葉郡からの避難者との軋轢が言われているけれど、将来の希望を支え上げていくにも、現実的な暮らしの問題としてもある、いわき市民と双葉郡町民が一緒に歩むしかない「30年」に違いないのですから。
いわきでは、ワールドカフェが定期的、持続的に行われる予定になっています。

それにしても、さまざまな位相で語り合うことが必要で、それがすでに始まっていることに意味があるように思います。
人をつなぎ、つながり合っていく過程です。
おじさんたちには、なかなかついていくのが大変ですが、このような試みは大いに参考になります。


その過程で作られていく関係は重層的であればあるほどいい。
そんな気がするのであります。

                               ★旅団長





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2013年1月7日月曜日

1.5 泉玉露仮設餅つき大会

        

あけましておめでとうございます。

昨年、多くの皆さんにご協力をいただくことで、ウシトラ旅団は活動することができました。
お礼を申し上げます。本年も変わらぬご支援をお願い申しあげます。

★2013年最初の行動「泉玉露仮設住宅餅つき大会」
仮設住宅は2度めの正月を迎えました。
原発事故避難者の中には、町によっては年末年始の間だけの特別措置で、ふだんは宿泊を許されていない自宅で過ごした人たちがいました。
(本音を言えば、「一時的とはいえ、そんなことをやっていいんだろうか?」という思いはありますが…)。

しかし、富岡町の町民はそうゆうわけにはいきません。
それぞれの避難先で新年を迎えました。
私たちが入り続けている、いわき市にある泉玉露応急仮設住宅の人々も、基礎が傾き始め、結露に悩むこの寒い住環境で、新年を迎えました。

           

と、いってメソメソなんぞしていられない。
1月5日の自治会主催の餅つき大会を、みんなが元気になる最初のイベントといたしましょう、というわけです。

自治会主催ではありますが、小名浜のテモテ教会、玉露のグレイスチャペル、社協、そして私たちウシトラ旅団が、企画から準備、運営まで関わった共同行動といったほうがいいと思います。

冷えるという予報を覆し、うららかないい天気。ありがたや。
「私は晴れ女!」と豪語しておられた某婦人のおかげかも知れません。「よ、アマテラス!」なんぞという軽口を仮設住宅の一室で交わしていたとおりになりました。


           
        
ウシトラ旅団は、この日は総勢30数人の大人数になりました。
せっかくに機会だから、これまでに付き合いのできた人たちに声をかけて、いっしょに行っていただいたのです。

この仮設に入るようになって1年数ヶ月、家族やら遊び仲間で行動を支えてきたウシトラは、いつの間にか、それぞれの課題や現場を持つ人々とつながる関係が強くなり、その力を発揮するところまできていたのです。

           
 ★やり続けることが力になった
前日からテントや用具を運び込み、おっかさんたちが米を洗い、野菜を切りという下準備がなされていた餅つきは、小名浜のチアリーディンググループ、クラップスの演技で開始されました。
この子たちともすっかりお馴染みになりました。


今年は昨年を質も量も上回る餅つきになりそうだ、という予感がありました。
12月の準備会議に30人もの住民が集まり、とてもいい話し合いができ、具体的なことを決めていったのです。
これは、昨年の役員会とテモテ、ウシトラ旅団が参加して行なった会議とは、大きく質が違っていました。
昨年の経験の上に、より準備の過程から、住民が主体的に取り組む構造が出来上がってきていたということです。

準備会議は、実は「拡大カッチョイ会議(自治会支援者活動調整委員会)」として、全体で一気に意志一致しようという方針で行われたものでした。それからの具体的な動きは、とりわけ3世代に渡る女性陣ががっちり進めていったのでした。



     
出し物の演技が続く中でも餅つきは進みます。

アマテラスと天手力男命(?)は、周囲から冷やかされながら、さすがに息のあったところを見せるのであります。   



           
           
今年は貸切バスを準備するので、いつもお世話になるミヤシタ車両長には、「家族一緒に楽しんでくれ。酒でも飲んでればいいよ」なんて言っていたのですが、やっぱり、準備した「子どもくじ」の場について、しっかり仕事をしています。

その隣では、仙台から来てくれたイレちゃんが、これもおんなじように、子どもの相手をしてくれています。
このおじさんたちは、やっぱり子どもが好きなのです。   


           
       
「餅つきウシトラ・ツァー号」でいらっしゃった「むさしの福島ともだちプロジェクト」のお三方は、仮設のお母さんたちに混じって、雑煮の提供。
彼女たちも、
原発事故による避難した子どもと保護者の再会・交流を支援する、という活動をやってこられた武蔵野市の方々でありました。

このプランの参加者募集を「とみおか子ども未来ネットワーク」が行なうということで、富岡町住民との関係ができてきたようです。
とみおか子ども未来ネットワークは、簡単には出てこない被災者の胸の奥をじっくり聴き出しながら、富岡の人々をつないでいこうとしている、比較的若い人々が中心になったグループです。

そんなところとも、ウシトラが仮設に行ったり、あちこちに顔を出している中で、つながって来ました。



         
           
三春町のひょっとこ踊りの方々、一年ぶりに電話をしたらとたんに「待ってました」とばかりの反応だった水戸獅子舞の横須賀さん。
見ず知らずのところへ図々しく声をかけてきたのもの、ウシトラの活動でした。
情けな隊のソメビンが言ってました。
「善意や心意気はいたるところに転がっている。それを拾い上げてつなぐことが俺たちの役目だった」


           
   

ボランティアで仮設に入っている太極拳の先生は、仮設の人たちとすっかりお馴染みで、一緒に演舞です。      
 キャンプや花見で、いつも世話になってきた看護師の鈴木さんも今日は杵を持っておられました。
帰りのバスで聞けば「けが人が出なくてよかったァ。餅を喉につかえさせる人もいなかったし」。
普段は救急にいらっしゃる彼女は、緊急に備えてきっちり準備して行っていたのです。
 
         
       
泉玉露仮設が見下ろせる高台の別荘(?)にいらっしゃるケーシー高峰師匠は、差し入れのみかんを持って、仮設に時折来られます。
軽妙な語りはいつも爆笑を誘います。彼の姿を拝見するたび、東北の力を感じさせられます。

           
           
★餅つきの場は、人々が語り合う場
東北人の言葉というのが確かにあります。
長い時間、相手の心の中に入っていく会話があちこちでかわされていました。
会津若松の仮設住宅に住む大熊町の木幡仁・ますみご夫妻もいらっしゃっていて、双葉郡のこれからについて、語っておりました。
なんでも、富岡町から避難して水戸にいる木田節子さんにご用事があって連絡をしたら「餅つきに行ってみようよ」と誘われたのだそうです。

「この仮設は雰囲気が明るいでしょう?」
「んだな。俺んトコなんか(会津若松市)は、外に出るのに雪掘っているからな」
仁さんとそんな会話をしましたが、仮の町構想で、いわき市が希望候補地の一等賞になるのも、浜通りの人々のこれまでの暮らしと意識がかいま見えます。

相変わらずいわき市は、事故収束に向けての動きでも、双葉郡一帯の人々の将来に向けての準備でも、矛盾をもろもろに抱えた焦点の地です。
いわきでさまざま動きを作っている人たちが、餅を頬張りながら、学び合う機会でもあったのです。
    



             
             
           
                
今回の餅つきにはウシトラは貸切バスを出しました。
そこには、福島の子どもたちをいわゆる保養に連れ出してリフレッシュしてもらおうという活動をしている人たちのうち、練馬、武蔵野市、湘南の3グループが乗り合わせていました。

疎開裁判の会に参加している人、南相馬出身でみごとなリポートを書き続けてきたライター、そして、一番の大人数になった経産省前のテントで反原発・再稼働阻止を訴えている人々、とさまざまな人達がやってきました。

いっぽうで、いわき市で動いている人たちも顔を見せていました。
鮫川村の焼却施設建設に反対の声を上げている人、元東電社員で原発労働者の置かれている状況について支援を訴えている人、この餅つきを支えてくれるいわき自由労組は、被曝労働を考えるネットワークの一員です。

それらの人々がそれぞれに交流しながら、互いの協力を約束しあっていました。
どうやら、元東電社員のYさんは、金曜日にいわき駅前でしゃべくりまわっている、ひまわりさんと一緒に鮫川をさっそく訪れたようです。
焼却施設についても技術的なことに精通しているYさんは、ひまわりさんたちの強い味方になってくれるでしょう。
一方で、被曝労働を考えるネットワークや、いわき自由労組は原発でいまも働く労働者の支援に力を貸してくれると思います。


★学ぶことが多かった交流会
ウシトラがやってきたことは、それらの人々をつなぐところで、多少なりとも役に立っているようです。
東京や仙台からの参加者、地元いわき市で動いている人たち、大勢、打ち揃って仮設の声を聞く交流会をやっていただきました。

いつもどおり、西原千賀子さんは絶好調。
「みなさん、仮設をどんなふうに考えてこられましたか? 元気なくして、しおれているように思っていませんでしたか。違うんですよ。
でも、私たちには、まだ今日を生きるのがせいいっぱい。先が見えないんです。やれることを元気にやっていくしかないんです」

川上自治会会長
「やはり大変なことはあるのです。この仮設が一昨年の9月できてここで6人の方が亡くなっていきました。とにかく元気でいましょうね。助けあっていきていきましょうね。そこがここの暮らしの基礎です」

原発とともに生きてきた町の者は複雑な思いがあると、いつも語る西原副会長は
「とにかく、ここの人々がどうなっていくのか、こんなひどい事故で引き起こされたことがどうなっていくのか、とにかく『見届けていくというのが私たちの気持ちです」
 
水戸から来ていた木田節子さんは実は、ここの仮設に入る抽選に漏れて、水戸住まいとなったのだと、発言していました。

原発による被災者でも、当たり前のことですが、さまざまな考えや、とっている行動の違いがあります。
なぜ、そうなのか。
簡単に答えは出はしないのですが、すくなくとも、この仮設という場で、被災者の言葉に耳を傾け、やれることを一緒にやりながら、考えながら進むことをウシトラ旅団はやり続けるつもりです。

ありがたいことに、その思いは東京からの参加者の皆さんにも通じたようでした。
「行ってよかった」「勉強になった」。
たくさんの感謝の言葉を頂きました。

ここの主人公は仮設の住民自身。
たくさんの人々を結びつける力を持っていますが、それに甘えてはいけない、と自分に言い聞かせて置かなければなりません。
住民の気持ちや行動をけっして妨げないようにしながら、一緒に進んでいく。
そんなに簡単ではない仕事を果たす道を、東京から行った人たちと、いわきにいる人達とともに歩きたいと願います。








帰りのバスの中でも、自己紹介とともに、それぞれに考えたことが話されました。こちらも勉強になることが多くありました。

頂いたメールを紹介しておきます。

「むさしの福島ともだちプロジェクト」のFさんからのものです。

昨日はたいへんお世話になりました。
予想通り、ほんとに役に立たない私たちで、逆にごちそうになりっぱなしでしたが、とても楽しく有意義な一日でした。
泉玉露のかたたちは、ほんとうに元気で前向きですね。特に西原さんご夫妻の力はすごいと思いました。こういうかたが入っているところと、そうじゃあないところではまったく、ぐんとかわってくるんだろうなと思いました。

そういう人たちを外からきて支援し続けるウシトラのかたたちも、すごい!と思いました。あの仮設の不便な生活にお年寄りの避難民のかたたちが、ずっと耐えてまだ先が見えないということを考えるとそれだけで気持ちがこちらまでふさいでしまうのですが、昨日は、それでも「今」を精一杯明るく生きていこうとしている仮設の方々に、逆に元気をもらい、叱咤された気持ちになりました。

バスに乗せていただいて、なにもかもお膳立てしていただいて、ほんとうに、ありがとうございました。すごくたくさんの準備が要ったことと思います。
くれぐれも皆様によろしくお伝えください。また機会があったらゆっくりお会いできればと思います。とりいそぎ昨日のお礼まで。

★ありがとうございました
感謝の言葉はこちらから差し上げなければなりません。
現地で、本当に裏方に徹して、準備をしてくれたいわき自由労組をはじめにした、たくさんのみなさん、ありがとうございました。
今年は、もっと迷惑をおかけいたします。堂々と迷惑を掛けます。
ウシトラ旅団では、やるべきプランがあれこれと出ており、その準備にかかっています。
餅つきは今年の第一歩。これからまた一緒に進みましょう。

2012年12月27日木曜日

12.23 双葉町・元騎西高校 『餅つき会』


★騎西高校の『餅つき』
埼玉県の元中学校教師のHさんから、騎西高校の餅つき会へのお呼びがかかりました。
HさんはNPO「賢治の冒険学校」を率いて、このところ、一緒に行動することが多くなっています。





双葉町が井戸川町長のもと、埼玉県加須市の元騎西高校に避難所を定めて以来、Hさんは「賢治の冒険学校」の子どもや、その親とともに、ボランティアとして騎西高校に入り続けてきました。
いま、騎西高校の避難所には、双葉町から来た160人の人々が残っています。
私たちが通い続けているいわき市泉玉露の仮設住宅や、双葉町の方がいるいわき市の南台仮設と比べても、高齢者の比率が高いという印象を受けました。





「手は足りているから、賑やかしに」と誘われてホイホイと行ってみれば、力にあふれた冒険学校の生徒さんたちが、真面目に準備に掛かっておりました。

彼らが杵を振り下ろして、餅をつく主力部隊になりました。
加えて、南台仮設(双葉町住民の仮設住宅)でお会いしたYご夫妻も駆けつけて、まぁ、よく働く。



★まだ、避難所暮らしというあり方
つきあがったお餅は、あんこやきなこ、納豆、大根おろしの辛味餅、雑煮になって、次々に並べられておりました。
各部屋(高校内の教室)に、担当の人(?)がダンボールの箱に入れて運び込んでおられます。




食堂のテーブルについて、話しながら口に入れている情景は、ずいぶんと時間が経ってしか見られません。それも人数が少ない。
「う~ん、これは避難所……、配給、並ぶ、食べる…」。
避難所だから当たり前なのではありましょうが、未だ避難所で生活パターン、そんなままでいいのか?
そんなことを思っていたら、ウシトラのご意見番・中澤さんがちょとだけ若いおっかさん二人を捕まえて
「餅つきなんかは、女性陣が声を掛けあい中心になって、男どもをこき使ってやるのがいいのじゃないですかね」と、言っておられる。




そうなんだよなぁ
いま、準備している泉玉露の新年餅つき大会は、住民主体の「やっぺよ!」の意識が前回の時からはっきりしておりました。
それは9月に仮設住宅ができて入居が始まり、11月に自治会ができ、3ヶ月目に「震災以来、こんなにみんなが生き生きした顔をしたのは初めて」という餅つきになったのでした。
1月5日の餅つきは、前年を上回る盛り上がりになるでしょう。

騎西高校の場合は、仮設住宅よりもっと短いほんの一瞬でなければならないはずの「避難所」という意識のあり方を、なんともできなかったことに、いちばんの大きな問題があったように、私には見えます。
住民自身と、ボランティアの共同作業による生活自立への模索。
言うのは簡単、やるのは難しい課題がここに集中的に見えています。
避難所から仮設、そして恒久的な住宅へ。その過程につれて変わっていかざるをえない生活のあり方への集団的な努力。
年齢層、人数、支援者との関係、自治体の方針etc…、それぞれの避難所や仮設での条件の違いがあり、そこでどうやって取り組んでいくのか、住民と一緒にボランティアも考えなければならない問題です。

★井戸川町長と
Hさんがずいぶんと苦労して、町長との懇談の場を用意してくれました。
初期の頃から、騎西高校に入っていたボランティアの人たちや、南相馬から近くに避難してきている人などを交えて、厳しい意見も出る懇談になりました。



井戸川さんの原発事故以来の行動には眼を見張るものがありました。放射能汚染から少しでも遠くへと、町民を引き連れて、この騎西高校へとやってきて、政府や東電、県との交渉をやり、国際舞台に出張って、「双葉郡の人たちを救ってくれ」と訴えてきました。
それでも、双葉町町議会と対立し、3度めの不信任案で、それが可決された状態です(自らの辞任ではなく、町議会の解散・選挙を決断したそうです)。

双葉町の人々と話し込んでみると、濃淡はあれ、「町長は震災直後、よくやった」と、評価する声が多いのです。
けれども、現在の町長に対する評価では、私が聞いた中では否定的な人たちがほとんどでした。
井戸川町長の鮮明な主張を個人的には支持するにもかかわらず、私は、この評価が、単に原発推進派による非難・陰謀によって引き起こされたものとは思っていません。

井戸川さんがこれから何を主張するかだけなく、私は(これから先が重要なのですが)、「町民の現実的生活の再建に向けて、どのような行動を取っていくのか」に注目しています。
現実的な町民の要求と、きちんと結び合わせて、放射能防御、損害賠償問題などで、町民の多数をまとめていく具体的な行動をとってほしいと心から願っています。

町長に対しても、元騎西高校避難所の人々、いわき市南台応急仮設の人々、全国に広がっている双葉町からの避難者の人々に対しても、ウシトラ旅団は、同じ約束をしたいと思います。
町民がまとまって、国・県・東電に対して、自分たちの生きる権利を主張し、損害賠償の要求をし、生活再建と健康維持の手立てを求める行動を無条件で支持します。
ウシトラ旅団らしい方法で、そのための「やれることをやる」ということです。

東京へ戻る途中、埼玉のお仲間のところに立ち寄り、話しこんで来ました。
騎西高校、埼玉県に避難している人たちと、一緒にできることをやるべし、と具体的なお願いをしてきました。
騎西高校の餅つきを、遅まきながらの、行動の始まりにしたいと思っています。