★手作りで合同慰霊祭
東日本大震災からまる2年を迎えたこの日、泉玉露応急仮設住宅では三回忌の合同慰霊祭が行われました。
行政はあちこちでそれぞれに日をずらしたりして慰霊祭を行い、東京では政府主催のそれが開催されていました。
泉玉露仮設は自分たちで「やる!」の心意気です。
仮設のおっかさんたちが朝早くからいなり寿司や団子をつくる作業に入り、男衆は祭壇や椅子をそろえて会場の準備をしていました。
ウシトラ旅団の関係者は、Nさんが人形劇のお仲間を誘って、お母さんたちの作業の手伝いに入っておりました。
練馬から出発したソメビン車が、途中で事故渋滞に巻き込まれ、何とかたどり着いた時には、すっかり準備は整っておりました。
昨年の慰霊祭のあと、懇ろに弔ってきた塔婆を伴って北海道からやって来られたお坊さんにご挨拶して様子を聞いてみれば、
何だか、昨年同様のたくさんのお坊さんが来られるらしい。
★いい慰霊祭だなぁ
今年も慰霊祭をやるというので、カッチョイ(自治会・支援者活動調整委員会)で話し合った時に、雨の場合について検討していたのです。第二集会場での開催と、動線を決めていて、本当によかったと西山さん(連絡員)と、手を握り合いました。
前夜から風が強くてテントを張れず、屋内での開催に決めたということだったのです。
始まればおよそ百数十人がびっしりと参列し、祭壇の前には、各宗派のお坊さんや、テモテの木村司祭(聖公会・カッチョイメンバー)が、おすわりになられました。
川上自治会長の開催挨拶が素晴らしかった。
地震・津波の犠牲者への追悼の気持ちと、原発事故によるこれまでの苦労と、それを乗り越えて一緒に生きていこう、というメッセージがそくそくと伝わるものでした。
やがて読経の中で焼香の列が続きました。
思わず旅団長は、自分の兄弟や親戚の十数人を津波でなくしたと語ったHさんのほうに視線が行ってしまいます。
少しずつでも区切りをつけながら、前に進むしかないのだと思いながら。
私にとって、焼香も2時46分からの黙祷も、「必ず、ここにいる人達の生存権を政府に保障させるまで頑張る」と誓うことでした。
昨年も同じようにこの祭壇に向かって誓い、どこまでできたかなとも思うけれど、やり続けるしかありません。
慰霊祭が終わって、仮設の女丈夫、西原千賀子さんと話しました。
彼女は昨年は石巻の慰霊祭に呼ばれ、今年、始めて自分の仮設住宅の慰霊祭に参加したのでした。
「町も一昨日だかにやったらしいのですが、やっぱり、自分たちで手作りしたここの慰霊祭が本当に自分たちの心に叶う、いい慰霊祭でしたねぇ」
私も、まったく同じ感想を持っておりました。
犠牲者を慰霊し、残されたもの・原発事故被災者を励ます早川和尚の法話 http://chirb.it/CB1cdh で法話が聞けます |
★仮設外からの弔問客
泉玉露仮設は開かれた雰囲気の仮設住宅です。
富岡町の方々でこの仮設ではなく、借り上げ住宅(みなし仮設住宅)に住んでおられる人や、他の双葉郡の町からいわき市周辺に避難している人たちに対しても、この慰霊祭にいらしてくださいと呼びかけていました。
たぶん、多くの人達がこの仮設での合同慰霊祭にいらしていたことだと思います。
支援者もウシトラ旅団が協力しながらともに活動してきたテモテ教会、グレイス教会や、個々に私たちがつないできた気持ちに溢れた人たちも、なんだか勢揃いの様相でした。
ボランティア団体として入ってきた者の以外でも、仮設を撮影し続けてきた映画監督、いわき駅前でひとりで「原発嫌だ」の声を上げてきた女性、社協関係者、手伝いを何かしたいと思ってもなかなか手ががりがないと思っていたのだけど、と語る御近所の人……。
こういう慰霊祭のような場が、それぞれの立場で考えていることを語りあって突き合わせ、次の行動につなげていく発想の機会でもあります。
ウシトラは、被曝労働の現実を伝えていく「写真パネル」広報への協力、お盆にやらかそうとしている「会津の高校生の演劇」の準備の話をしておりました。
「お盆に会津の大沼高校の演劇部を呼んでぶち抜き公演を東京でやります。生徒たちを励ましに来て下さい!」 俳優・近藤正臣さんに旅団長は迫る! |
★子供たちも、今しばらく、ここで生きていく!
慰霊祭が終了してしばらくして、子供たちは学校から帰って来ました。すっかりお馴染みの顔に、最近はチラホラと新しい顔もみるようになってきています。
昨秋に行われた「泉ふるさと祭り」で、仮設の子供たちは「子供クラフトお店やさん」を出店しました。
そこで上がった収益で手に入れたのが、これ『大海賊の秘宝』というゲームだそうです。
あれから旅団長もよく「ソメビンはどこにいるの?」「ぼく達のお金はどうなってるの?」と催促されたものです。
とにかく、彼らにこのゲームを決めてもらい、売上げ3000円ほどは子供部屋(第1集会場)に置かれる海賊さんのお宝となりました。
その節、ご協力頂いたクラフトの先生はじめ、多くの皆さん、こんなふうにささやかな成果を子供たちに渡しました。
ありがとうございました。
今年は正念場です。
仮設の人々が恒久的に住める住宅の確保。生活の補償、損害賠償問題。健康問題……。
そして、なりより放射能から少しでも離れたところで、子供たちの生活と教育環境を保証していくこと。
それらが焦点化していく一年になるでしょう。
こうやって仲良く暮らしている子供たちを、またバラバラにして辛い思いをさせたくない。
この子たちがまとまって、よりまっとうな暮らしができるように、みなさんの力を結集してください。
ウシトラと一緒に進みましょう!
★旅団長
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