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2012年12月27日木曜日
12.23 双葉町・元騎西高校 『餅つき会』
★騎西高校の『餅つき』
埼玉県の元中学校教師のHさんから、騎西高校の餅つき会へのお呼びがかかりました。
HさんはNPO「賢治の冒険学校」を率いて、このところ、一緒に行動することが多くなっています。
双葉町が井戸川町長のもと、埼玉県加須市の元騎西高校に避難所を定めて以来、Hさんは「賢治の冒険学校」の子どもや、その親とともに、ボランティアとして騎西高校に入り続けてきました。
いま、騎西高校の避難所には、双葉町から来た160人の人々が残っています。
私たちが通い続けているいわき市泉玉露の仮設住宅や、双葉町の方がいるいわき市の南台仮設と比べても、高齢者の比率が高いという印象を受けました。
「手は足りているから、賑やかしに」と誘われてホイホイと行ってみれば、力にあふれた冒険学校の生徒さんたちが、真面目に準備に掛かっておりました。
彼らが杵を振り下ろして、餅をつく主力部隊になりました。
加えて、南台仮設(双葉町住民の仮設住宅)でお会いしたYご夫妻も駆けつけて、まぁ、よく働く。
★まだ、避難所暮らしというあり方
つきあがったお餅は、あんこやきなこ、納豆、大根おろしの辛味餅、雑煮になって、次々に並べられておりました。
各部屋(高校内の教室)に、担当の人(?)がダンボールの箱に入れて運び込んでおられます。
食堂のテーブルについて、話しながら口に入れている情景は、ずいぶんと時間が経ってしか見られません。それも人数が少ない。
「う~ん、これは避難所……、配給、並ぶ、食べる…」。
避難所だから当たり前なのではありましょうが、未だ避難所で生活パターン、そんなままでいいのか?
そんなことを思っていたら、ウシトラのご意見番・中澤さんがちょとだけ若いおっかさん二人を捕まえて
「餅つきなんかは、女性陣が声を掛けあい中心になって、男どもをこき使ってやるのがいいのじゃないですかね」と、言っておられる。
そうなんだよなぁ
いま、準備している泉玉露の新年餅つき大会は、住民主体の「やっぺよ!」の意識が前回の時からはっきりしておりました。
それは9月に仮設住宅ができて入居が始まり、11月に自治会ができ、3ヶ月目に「震災以来、こんなにみんなが生き生きした顔をしたのは初めて」という餅つきになったのでした。
1月5日の餅つきは、前年を上回る盛り上がりになるでしょう。
騎西高校の場合は、仮設住宅よりもっと短いほんの一瞬でなければならないはずの「避難所」という意識のあり方を、なんともできなかったことに、いちばんの大きな問題があったように、私には見えます。
住民自身と、ボランティアの共同作業による生活自立への模索。
言うのは簡単、やるのは難しい課題がここに集中的に見えています。
避難所から仮設、そして恒久的な住宅へ。その過程につれて変わっていかざるをえない生活のあり方への集団的な努力。
年齢層、人数、支援者との関係、自治体の方針etc…、それぞれの避難所や仮設での条件の違いがあり、そこでどうやって取り組んでいくのか、住民と一緒にボランティアも考えなければならない問題です。
★井戸川町長と
Hさんがずいぶんと苦労して、町長との懇談の場を用意してくれました。
初期の頃から、騎西高校に入っていたボランティアの人たちや、南相馬から近くに避難してきている人などを交えて、厳しい意見も出る懇談になりました。
井戸川さんの原発事故以来の行動には眼を見張るものがありました。放射能汚染から少しでも遠くへと、町民を引き連れて、この騎西高校へとやってきて、政府や東電、県との交渉をやり、国際舞台に出張って、「双葉郡の人たちを救ってくれ」と訴えてきました。
それでも、双葉町町議会と対立し、3度めの不信任案で、それが可決された状態です(自らの辞任ではなく、町議会の解散・選挙を決断したそうです)。
双葉町の人々と話し込んでみると、濃淡はあれ、「町長は震災直後、よくやった」と、評価する声が多いのです。
けれども、現在の町長に対する評価では、私が聞いた中では否定的な人たちがほとんどでした。
井戸川町長の鮮明な主張を個人的には支持するにもかかわらず、私は、この評価が、単に原発推進派による非難・陰謀によって引き起こされたものとは思っていません。
井戸川さんがこれから何を主張するかだけなく、私は(これから先が重要なのですが)、「町民の現実的生活の再建に向けて、どのような行動を取っていくのか」に注目しています。
現実的な町民の要求と、きちんと結び合わせて、放射能防御、損害賠償問題などで、町民の多数をまとめていく具体的な行動をとってほしいと心から願っています。
町長に対しても、元騎西高校避難所の人々、いわき市南台応急仮設の人々、全国に広がっている双葉町からの避難者の人々に対しても、ウシトラ旅団は、同じ約束をしたいと思います。
町民がまとまって、国・県・東電に対して、自分たちの生きる権利を主張し、損害賠償の要求をし、生活再建と健康維持の手立てを求める行動を無条件で支持します。
ウシトラ旅団らしい方法で、そのための「やれることをやる」ということです。
東京へ戻る途中、埼玉のお仲間のところに立ち寄り、話しこんで来ました。
騎西高校、埼玉県に避難している人たちと、一緒にできることをやるべし、と具体的なお願いをしてきました。
騎西高校の餅つきを、遅まきながらの、行動の始まりにしたいと思っています。
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