郡山市の緑ヶ丘応急仮設住宅は、 三春町に近い開発団地の高台のてっぺんにあります。住んでおられるみなさんは、全員、富岡町の方々です。戸数130、250人程。中規模の仮設住宅といえるでしょうか。全員参加の自治会をもっています。
講師は伊藤久雄さん。郡山では初の勉強会ということになりました。
この日、集まって下さったのは20数人。私たちがよく行く泉玉露応急仮設住宅と同じ仕様のプレハブ集会所に、御ザブをしきつめての勉強会でした。
午前10時、かんたんにウシトラ旅団の活動と、伊藤さんの紹介を行なって、勉強会を始めたら、いや食いつきがよろしいのなんの。
ホントにみなさん、用意した資料に熱心にメモを取りながら、真剣な目をして伊藤さんの話に聴き入ります。
実はいつもと違ってウィークデーの午前中に行ったのは、仮設はご高齢の方々が多いので、そのほうがいいだろうという郡山の「おだがいさまセンター」の助言を受けてのことでした。
意外に壮年の方が多くいらして、活発な意見交換ができました。
1時間半の「講義」を終えて、質問・意見の時間を取ったら、たくさんの感想や意見がでました。
「このままでは(国の算定基準)、生きていけなくなる」
「火災保険の計算を基準にするようにしたらいい」
(弁護士や被災者グループはさまざまな「算定基準」が話されており、実際、火災保険での全焼算定要求を出していこうという考え方を主張している人たちもいます。)
あるいはまた
「町会議員はもっとこの仮設などを巡って、住民のために働いてくれなくては」
「町が先頭に立ってやるように、尻押しをしていくことだ」
「双葉郡は一つだといいながら、町ごとにバラバラ。やっぱり町民がまとまって、そっちの方向に行くようにしたい」
どれも現実の中から出てくる切実な声です。
こういうとき、旅団長はちょっとだけ、冷たいことを言います。
「そりゃそうです。でも、みなさんが自分自身で声を上げていかなければ、そういうふうにはなりません。できるだけまとまって自分たちの言葉で要求をしていかなければ、ボランティアとしてもやり甲斐がないですよぉ」。
よく仮設の人たちも、そのことはわかっているのです。泉玉露の5項目のスローガンは「ああ、噂にきいてるなぁ」という話が出たときは、ちょっとだけ嬉しくなりました。
たまには振り返ってみましょう。
一、 政府はわれわれへの生活保証を行え
一、 東京電力は被害に応じた補償を直ちに行なえ
一、 富岡町当局は、国・東電に補償実現を要求する先頭に立て
一、 国・県・富岡町は、双葉郡住民のための暮らしと健康を守る施策を直ちに実施せよ
一、 双葉郡はひとつだ。ともに力を合わせてこの困難を生き抜こう!
一、 東京電力は被害に応じた補償を直ちに行なえ
一、 富岡町当局は、国・東電に補償実現を要求する先頭に立て
一、 国・県・富岡町は、双葉郡住民のための暮らしと健康を守る施策を直ちに実施せよ
一、 双葉郡はひとつだ。ともに力を合わせてこの困難を生き抜こう!
ここの緑ヶ丘仮設ももちろん頑張っているのです。生活上の要求、8項目だったか、全てを実現させてきたと伺いました。
こうした自治会の活動は被災者全体の利益を代表していくものですし、そうしなけりゃと思います。
この仮設の自治会長さんは
「自分のことだけじゃなくて、それこそ私を捨てて、みんなのために動く人がリーダーじゃなけりゃダメ」とはっきり言っておられました。実際、いくつかの仮設住宅を見ていると、会長がどんな人かで、その仮設の空気が大きく変わっていることがわかります。
この自治会が明るい雰囲気を持っているのは、会長の北崎さんのキャラクターに負うところがとても大きいと感じました。
洒脱で明るくて、そして、いつも「みんなのために」を考えておらるようです。だからこそ、私たちの賠償問題勉強会も「やろう!」という話になったのだと思います。
★力を合わせ、互いにテコになって
私たちが、会津若松(大熊町)、いわき(冨岡町)から始めた「勉強会」を郡山に拡大したのは、冨岡の住民をつないでいくことの一環として考えてのことでした。
仮設をつなぎ、借上げ住宅の被災者をつなぎ、そして双葉郡の人々をつないでいく。言うのはかんたんですが、やるには大変な課題だと思っています。
でもね、始めちゃったんだもんね。
郡山にいる楢葉出身の方が勉強会にも出席してくれました。
楢葉の実家の様子を語り、
「いろいろ仮の町やら言われているけど、なぁに言ってるんだと思う。双葉郡の富岡町の役割やらを考えると、言われていることがまるでマンガのようだ。現実とかけ離れている」と発言してくれました。
つまり、冨岡町は、もともと郡役所があり、大きな店があり、病院があり……と、双葉郡の中心の役割を果たしてきた。その冨岡がほとんど人が戻れない状態なのに、「どこに再建の現実性があるのか」ということです。
私たちがかんたんに情緒的に思い込みがちなコミュニティの再生など、「ほとんどマンガ」ということを双葉郡全体の人たちは知っていると言うのです。
実は旅団長はあまりよく知らないその人にずうずうしくお世話になって、講師たちより先に郡山へ行き、話し込んでいました。
要は「あなた達も被災者で大変でしょうけど、一緒に進むために協力をしていだけませんか」というわけです。
こういう人たちが郡山で頑張ってくれるのは何よりの戦力です。
その人達と仮設住民との「交流」 も2日間に渡ってできたのです。この仮設で毎週行われている「サロン」 にまず通ってくれるというので始まりとしては上出来です。
互いの苦労や悩みを語り、いやいや大きな口を開いて笑い合うということをまずやってほしいと、お願いしました。
被災者も状況が違います。語り合ってそれぞれのことを知り、できる支援を行い、協力して進むこと。
東京も全国も、被災地と被災者をお互いに知り合うこと。そもそもそこからしか始まらないじゃないか。
東京からのウシトラ旅団もまた、へなちょこなテコの一つではありますが、頑張っていくのであります。
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