9月2日、大熊町の被災者が住む、好間工業団地第2応急仮設住宅で、「損害賠償に関する学習会」を行なってきました。
これは大熊町町民に対するものとしては、3回目の取り組みになります。
前2回は、会津若松で行なっており、「ぜひ、いわき市でも」という要望がウシトラ旅団に寄せられてのことです。
主催は「大熊町町政研究会」、講師はもちろん東京自治研究センター研究員の伊藤久雄さんです。
伊藤さんによる講義は、いわきでは、富岡町・泉玉露応急仮設住宅で行なったものに続いて2度目になります。
当日、参加者は35人ほど。
会津若松から、「町政研究会」の木幡仁さん、同じく「大熊町の明日を考える女性の会」の木幡ますみさんたちも駆けつけてくれました。
司会をする木幡仁さん。隣は講師の伊藤久雄さん |
いちばん切実な問題であり、しかも油断をしてはならない問題です。
伊藤さんによる講義は、回を重ねるごとに鋭さを増しています。
そして、より住民の置かれた実態からくる要求(であるべき内容)に即して語られ、住民の質問に答えるものでした。
損害賠償にはさまざまな住民個別の事情があります。
たとえば、この前週に富岡町・泉玉露仮設住宅で行なわれた学習会で、如実に明らかになった「未登記」の土地や建物の問題です。
実は、最重要課題、もっとも重大な問題点が存在しています。
賠償がどのような基準でなされるのか、という問題です。
この問題を、政府も町も、実はなんとなく(よく使われる表現で言えば「スルーする」かの如くに)、進めようとかかっているのです。
★一年半かかって、棄民宣言の如き賠償基準
前回のブログでちょっと触れてありますが、国はようやく「賠償基準」なるものを原発事故被害者に提示しました。
その第1回の「説明会」が富岡町の場合には、9月1日にいわき市で行なわれました。
ここでは、放射能汚染による区分再編・除染、そしてこの損害賠償基準の3つについて、説明会が行なわれたということです。
富岡インサイドにそのときの新聞記事がアップされていますので、覗いてみてください。
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2012/09/post_4935.html
大熊町はすでに、この説明会を終えており、そのときの様子は、ウシトラ旅団のMLで以下のように回りました。
『大熊町は、25(土)、26(日)の両日で説明会が実施されましたが、この賠償説明会は大荒れであった。
説明の行き届かない不十分さ、誠意を感じさせない説明のされ方、これらに次々と不満が炸裂したようです。
ことに、渡辺町長が「除染して帰還する」という姿勢を未だに変えていないことに対してまだそんな現実性の乏しいお題目にすがっているのかという反感から、後半は席を立つ人が多かったとも聞きました。」
「なかでも、不動産個別評価の問題、未登記不動産物件の扱いが、必須課題と思われます。」
「どうしようもない体たらくの町を突き上げるだけでは、足りない。 現地だけでなく、東京で行動するという手もある。そのような行動を真剣に検討する必要がある。
首都圏の「脱原発」行動を、フクシマや被災民とどう結びつけるのか、という点でも一石を投じることになるのではないかと、検討中。」』
つまり、政府が基準にしようとしている昨年3月12日時点での、宅地・建物の「価値」を計って、それを賠償するというやり方では、すずめの涙のような金額しか受け取れない人たちがほとんどになるということなのです。
経年で建物の価値は減じていくし、土地の値段もあらたな生活の場にしようとするところより低いことが当然予想されることは明らかです。
★生活再建のための「賠償金を!」
富岡町の人たちに向けての国による「説明会」の場では、泉玉露仮設自治会会長名で要求文書が出され、やってきたお役人に向けて、「生活を保障する政策を出せ」と、主張がなされました。
泉玉露応急仮設住民の気持ちの一端は「仮設通信」最新号のトップにある主張を読めばいくばくかは伝わってくると思うので、ご覧下さい
http://www.tomioka.jpn.org/kasetsu/izmumi/izumipdf/izumitsushin10.pdf
もちろん、ウシトラ旅団が前週に準備した「学習会」が役に立った(と、思いたい!)。
結局、昨年3月12日時点での「価値」ではなく、後にせざるを得なかったふるさとでの生活と同程度の生活を新しく始められる「賠償金」を出せ、という要求をしていくことしかありません。
しごくまっとうな要求です。
そして、これには長い歴史をもった実例があります。
「公共用地取得」で行なわれてきた「いまの暮らしと同程度を再現するにはいくらかかるか」という考え方です。
ウシトラ旅団は、被災者が昨年3月11日時点で暮らしていた同程度の暮らしを補償する、という方向性を支持します。
事故前程度の生活ができるような「補償」をするのが、被害者に対して事故を起こした側の当たり前の責任だと考えるからです。
好間工業団地にある仮設住宅。夏でも寒々とした印象を受けるのは、まさに工業団地だからか。交通、お店、学校、地域の人々のさんざめき……、そんな人間が暮らすための基本的な条件を何にももっていない。 |
だいたい、彼らのふるさとはもとには戻りません。
生活の手段であった、仕事、畑やたんぼ、住み慣れた我が家、周囲を取り巻いていた美しい環境、そんなものを根こそぎ奪われたのです。
「同程度の生活再建」といったところで、ささやかすぎる要求です。
何にも取り返すことにはなりはしない、むなしい要求です。
それでも、これで進むしかありません。
私たちウシトラ旅団は、被災者とともに、この要求を掲げて進むつもりです。
読者の皆さんの支援をお願い申し上げます。
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