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2012年9月18日火曜日

9.16泉玉露仮設 第2回「財物賠償問題勉強会」



★第2回「勉強会」
9月1日に国による「説明会」が行われましたが、そこで提示された算定の仕方は、仮設の方々にがよく理解しているとはいえない状況です。
今回の勉強会は、それをもう一度分かりやすく伊藤久雄さんに説明してもらい、併せて「生活再建を目的にする賠償」について、一緒に考えるということにしました。
国が出してきている土地や建物(住居、倉庫、作業小屋、家畜小屋などなど)の算定案は、3月11日時点での「価値」を算定しようというものです。
これでは、とても新しい生活をはじめられるような額にはなりません。



その算定の「カラクリ」と問題点を明らかにして、より原発事故被害者の実態に即した算定として、「公共用地取得」(道路建設、公園建設など)の時に行われる考え方で、賠償を考えたらどうか、という提起でした。
勉強会には仮設の方々と、おそらく借り上げ住宅からだと思いますが、仮設外の方数人の30数名の参加でした。

★自分たちで勉強して、賠償に取り組もう
分かりやすい伊藤さんの講義が1時間半ほど。そのあとの質疑・応答では、賠償の算定のことより「これから自分たちはどうやっていくのか?」という話に集中しました。
9月1日の「説明会」では、いわば言質を取る形で、泉玉露からの参加者が町長から「10月2日に賠償問題相談窓口を開設する」と「約束」を取り付けています。
しかし、これがどの程度のものなのか、皆目、内容もわからず、これまでの例からして、「なぁんにも進んでねぇんだとおもうんだ」という状況です。

やはり、ここは自分たちで勉強して、仮設でまとまって動きを作って行かなければならないのではないか、という発言がありました。
「そのために自分がボランティア(仮設内有志)をやる!」という勇気ある宣言も飛び出しました。

おそらくは、自治会としてというよりも、賠償問題に取り組む新たな「勉強会」なり「組織」が仮設の中に誕生することだと思います。
自治会は、そことできる限り、協力・後押しをしながら進むという、大方の方向性です。
ウシトラ旅団としては、彼らが自分たち自身で勉強し、動きを創りだしていけるように、条件を整えていくサポートをしていくつもりです。

いくつか出されたアイデアの中には、
・自治会呼びかけで「懇談会」を開こう
・仮設同士をつないでいく方法を考えよう。
・仮設の人々を支える専門家集団(プロジェクト・チーム)をつくろう
といったことが、提案されました。

難しいところはたくさんありますが、ひるまず、たゆまず、やる気になった人たちと一緒にウシトラ旅団は進むつもりです。

当日は、ウシトラ旅団から5人、いわきで復興・自治活動に取り組んでいる伊藤さんのお仲間が2人と、外からの参加者も多くいました。
とりわけ、いわきで地震・津波被害を受けた人たちが、自分たちでプランを立てて、それを県や国に提示して実現させた話は、有益でした。
「まとまって要求を出していけば、はじめは行政や国は反発するけれども、その案は実現していきます。とにかくまとまることです」
という結びは、本当に仮設の人々を力づけるものでした。

★地域とともに
実は当日は、泉地区体育祭(雨で順延になっていた)があり、そこにお呼ばれした仮設の方々が奮闘しておりました。
連絡員の西山さんは、玉入れに全力で参加、そのまま全力で勉強会の第2集会所に汗を拭き拭き駆け込んできたのであります。
川上自治会長は、その体育祭の打ち上げに出るために、泣く泣く(笑)、勉強会を中座して行きました。



勉強会が終わってすぐに、これまたご近所の方々による、伝統芸能として伝わる獅子舞と棒術・剣術の演舞が仮設にやって来ました。



お囃子のような笛太鼓に併せて行われる演舞は、見事なものでした。
お殿様の許しを得て伝わってきた、民・百姓の護身術だそうです。。



地域の人々との関係を大切にしながら日々を生きる、泉玉露仮設ならではの充実した一日でした。

2012年9月9日日曜日

次回財物賠償勉強会のお知らせ



9月16日(日) 13:00より いわき市泉玉露にある富岡町泉玉露応急仮設住宅 第二集会所にて、東京自治研究センターの伊藤 久雄さんによる「財物賠償」に関する勉強会を予定しています。



9月1日富岡町住民を対象とした国による賠償説明会が行われました。
ごく通りいっぺんとうな説明会で、各々個別の事情や、基本的な「賠償基準」の成り立ちなどかえって疑問が増えた方も多かったのではないかと思います。

泉玉露仮設のみなさんにはすでにご案内済みですが、近隣の借上げ住宅へ避難中の方にも是非参加していただきたい内容となっております。

読者の皆様のなかにお心当たりの避難者の方がいらっしゃいましたら、ぜひお知らせください。



賠償は「生活再建」でなくてはならず、国・東電が示したこの賠償基準がはたしてご自分の「生活再建」につながるものなのかどうか?
ぜひ勉強会に参加していただいて検証していただきたいと思います。

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2012年9月4日火曜日

大熊町・好間工業団地仮設住宅 『損害賠償・学習会』

★大熊町町民、3回目の「学習会」

9月2日、大熊町の被災者が住む、好間工業団地第2応急仮設住宅で、「損害賠償に関する学習会」を行なってきました。

これは大熊町町民に対するものとしては、3回目の取り組みになります。
前2回は、会津若松で行なっており、「ぜひ、いわき市でも」という要望がウシトラ旅団に寄せられてのことです。

主催は「大熊町町政研究会」、講師はもちろん東京自治研究センター研究員の伊藤久雄さんです。
伊藤さんによる講義は、いわきでは、富岡町・泉玉露応急仮設住宅で行なったものに続いて2度目になります。

当日、参加者は35人ほど。
会津若松から、「町政研究会」の木幡仁さん、同じく「大熊町の明日を考える女性の会」の木幡ますみさんたちも駆けつけてくれました。


司会をする木幡仁さん。隣は講師の伊藤久雄さん
何しろ、みなさん熱心に学ぼうとしています。
いちばん切実な問題であり、しかも油断をしてはならない問題です。

伊藤さんによる講義は、回を重ねるごとに鋭さを増しています。
そして、より住民の置かれた実態からくる要求(であるべき内容)に即して語られ、住民の質問に答えるものでした。

損害賠償にはさまざまな住民個別の事情があります。
たとえば、この前週に富岡町・泉玉露仮設住宅で行なわれた学習会で、如実に明らかになった「未登記」の土地や建物の問題です。

実は、最重要課題、もっとも重大な問題点が存在しています。
賠償がどのような基準でなされるのか、という問題です。
この問題を、政府も町も、実はなんとなく(よく使われる表現で言えば「スルーする」かの如くに)、進めようとかかっているのです。

★一年半かかって、棄民宣言の如き賠償基準

前回のブログでちょっと触れてありますが、国はようやく「賠償基準」なるものを原発事故被害者に提示しました。

その第1回の「説明会」が富岡町の場合には、9月1日にいわき市で行なわれました。
ここでは、放射能汚染による区分再編・除染、そしてこの損害賠償基準の3つについて、説明会が行なわれたということです。
富岡インサイドにそのときの新聞記事がアップされていますので、覗いてみてください。
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2012/09/post_4935.html

大熊町はすでに、この説明会を終えており、そのときの様子は、ウシトラ旅団のMLで以下のように回りました。

『大熊町は、25(土)、26(日)の両日で説明会が実施されましたが、この賠償説明会は大荒れであった。 
  説明の行き届かない不十分さ、誠意を感じさせない説明のされ方、これらに次々と不満が炸裂したようです。 
  ことに、渡辺町長が「除染して帰還する」という姿勢を未だに変えていないことに対してまだそんな現実性の乏しいお題目にすがっているのかという反感から、後半は席を立つ人が多かったとも聞きました。」
 「なかでも、不動産個別評価の問題、未登記不動産物件の扱いが、必須課題と思われます。」
 「どうしようもない体たらくの町を突き上げるだけでは、足りない。 現地だけでなく、東京で行動するという手もある。そのような行動を真剣に検討する必要がある。
  首都圏の「脱原発」行動を、フクシマや被災民とどう結びつけるのか、という点でも一石を投じることになるのではないかと、検討中。」』
 

 つまり、政府が基準にしようとしている昨年3月12日時点での、宅地・建物の「価値」を計って、それを賠償するというやり方では、すずめの涙のような金額しか受け取れない人たちがほとんどになるということなのです。
経年で建物の価値は減じていくし、土地の値段もあらたな生活の場にしようとするところより低いことが当然予想されることは明らかです。

★生活再建のための「賠償金を!」

富岡町の人たちに向けての国による「説明会」の場では、泉玉露仮設自治会会長名で要求文書が出され、やってきたお役人に向けて、「生活を保障する政策を出せ」と、主張がなされました。


泉玉露応急仮設住民の気持ちの一端は「仮設通信」最新号のトップにある主張を読めばいくばくかは伝わってくると思うので、ご覧下さい
http://www.tomioka.jpn.org/kasetsu/izmumi/izumipdf/izumitsushin10.pdf


もちろん、ウシトラ旅団が前週に準備した「学習会」が役に立った(と、思いたい!)。


結局、昨年3月12日時点での「価値」ではなく、後にせざるを得なかったふるさとでの生活と同程度の生活を新しく始められる「賠償金」を出せ、という要求をしていくことしかありません。
しごくまっとうな要求です。
そして、これには長い歴史をもった実例があります。


「公共用地取得」で行なわれてきた「いまの暮らしと同程度を再現するにはいくらかかるかという考え方です。
ウシトラ旅団は、被災者が昨年3月11日時点で暮らしていた同程度の暮らしを補償する、という方向性を支持します。
事故前程度の生活ができるような「補償」をするのが、被害者に対して事故を起こした側の当たり前の責任だと考えるからです。


好間工業団地にある仮設住宅。夏でも寒々とした印象を受けるのは、まさに工業団地だからか。交通、お店、学校、地域の人々のさんざめき……、そんな人間が暮らすための基本的な条件を何にももっていない。

だいたい、彼らのふるさとはもとには戻りません。
生活の手段であった、仕事、畑やたんぼ、住み慣れた我が家、周囲を取り巻いていた美しい環境、そんなものを根こそぎ奪われたのです。
「同程度の生活再建」といったところで、ささやかすぎる要求です。
何にも取り返すことにはなりはしない、むなしい要求です。
それでも、これで進むしかありません。

私たちウシトラ旅団は、被災者とともに、この要求を掲げて進むつもりです。

読者の皆さんの支援をお願い申し上げます。