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2012年4月30日月曜日

4.22 泉玉露「もみもみ肉球」「カッチョイイ!会議」




4月22日は、「もみもみ肉球班」が泉玉露仮設へ入り、旅団長・ソメビンは自治会・支援者活動調整委員会(カッチョイ会議)へ出席しました。
当日の行動参加者は、ノボせんせ、カナブンせんせ、2度目の仮設入りの「てやんでぇ紅神輿隊」のHさん、記録班の鉄兵、ソメビンに旅団長。


前回もみもみ班のときと同様に、足湯(茨城のボランティア)ご一緒。足湯の方々と一緒においでになったらしい気功の一行。
ボランティアで第2集会場はえらい賑わいでした。


というわけで、急遽、カッチョイ会議は会議の場を第1集会場に変更して行いました。
まずは、旅団長よりそちらの報告から


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★自治会、年間活動へむけて
☆総会の成功
泉玉露応急仮設住宅自治会は4月8日に総会を行いました。
昨年12月の設立総会に続く2回目の総会です。
役員は12月決定のまま留任、そのうえで今年度の自治会活動内容を決定していく大事な総会でした。
出席者89名、委任状35名で成立。少ないように見えますが、実質200名ほどの住民数なので、りっぱな総会です。
仮設住宅自治会の難しさは、その名の通り「応急仮設」という位置づけの中で、「一時の腰掛け」という意識を克服して、住民が自主的で実質のある自治会にしていけるのか、というところにあります。
しかも、自治会は任意参加なのです。
それを考えると、自治会役員さんたちの苦労もわかります。


総会では、前年度事業報告、予算案、今年度事業計画など、
8つの議案がきちんと準備され、全ての議案が承認されました。


「もっと、もめたりして大変かな、と覚悟していたのだけど、スムーズに進んでよかった」
「あら、しゃんしゃん大会をやったんですか」
「いやいや、ちゃんと質問も発言もあって、みんなに理解してもらって、いい総会だったっぺよ」
ということでした。


ウシトラ旅団は被災者から支援を受ける理想のボランティアであります、とワハハハ!




・ゴミ分別問題(自治会は富岡町に属するが、ゴミ処理はいわき市)、駐車場問題(特に事業者は数台を置きたいと希望)など、生活に密着することがらを、全体の確認の上で解決していくことに苦労があるようです。
・事業計画の中にある年間スケジュール(予定)では、ウシトラ旅団が協力できそうなのは、昨年度のもちつきなどの他、8月の盆踊りというイベントでしょうか。


☆キャンプをやるべか
・カッチョイ会議のなかで話題になったのは、子供たちのことです。
仮設にはおよそ20名ほどの学童がいるのですが、これまでの経緯から二つの小学校に子供たちが通う学校が分かれており、その子達をまとめていくのにどう工夫をするか、でした。
・子供会結成への道が当然に考慮されました。具体的な活動を通して、子供たちをなかよくさせよう、というおはなし。
・たぶん、これは、具体的な活動として夏のキャンプに結びついていくことになりそうです。
・また、子供たちの学力の低下が心配され、これへの対処についても話し合われました。


☆高速料金
・被災者無料対象が見直しされたことの問題、利用できるインターから「いわき湯本」が外れたこと。
これに対して、「原発避難者全てを対象、無料対象インターを限るな」という要求をしていくことを確認したとか。
・さて、ここからウシトラ旅団の話になり、「活動するのに、高速料金がかからないようにしよう」とあれこれと、知恵を絞っていただいた。この問題はいずれあれこれと試みてみなければならなくなるので、いまから準備しておこうと思っています。
こういうふうに心配してもらえるところがウシトラらしい、まさに力なきボランティア・ウシトラ旅団の面目躍如(笑)でありました。
最近のウシトラ旅団は被災者に支援してもらってることが多いんだよなぁ。


☆☆☆スローガンを策定☆☆☆
最後の議案で、「スローガンを策定し、今後の活動に当たり一つの指針としたいと考えます」と提案され、決定されました。



一、 政府はわれわれへの生活保証を行え
一、 東京電力は被害に応じた補償を直ちに行なえ
一、 富岡町当局は、国・東電に補償実現を要求する先頭に立て
一、 国・県・富岡町は、双葉郡住民のための暮らしと健康を守る施策を直ちに実施せよ
一、 双葉郡はひとつだ。ともに力を合わせてこの困難を生き抜こう!


実は旅団長はちょっと心配してました。
現実はどんどん動き、しかし、その現実に被災者の意識がついていけなくなるのではないか、言うべきことを表現しないまま置き去りにされていくのではないか、という心配です。
発言すべき機会に、このスローガンを打ち出すことで、泉玉露仮設自治会は、かろうじて現実の要請に間に合ったと思います。
内容はもっと深く掘り下げたり、時宜にかなったものにしなければいけなくなるとは思いますが、まずは、ここから出発です。
きっと、あのときが意味のある大きな一歩だったと、あとから思える「議決」にしていきたいものです。


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★「もみもみ肉球班 泉玉露入り」 ノボ報告


          福島は桜満開でした


今回は、一月に玉露入りしてくれた「カナブン隊」飯妻先生とHさん、旅団長、ソメビンさん、私と妻の「ゆっこ」。


今回もたくさん来てくれました。
8割の方がリピーターです、12月から月一で5回目、40名の方が臨時整骨院に来てくれました。



同行してくれた飯妻先生、ロン毛で外見はチャラ男みたいなんですが・・・いつも真剣に手伝ってくれます、ありがとう。


五十肩の方にハイハイの指導をしたんですが、後から妻に聞いた話ではとてもハイハイ出来る広さは無いみたい・・・(汗)。





臨時整骨院のお手伝いも落ち着き(2人で処置すると半分の時間)、「カナブン隊」Hさんと鉄兵さんは近所を散策、地元のお婆ちゃんと話をしたり、鉄兵さんが花見で仲良くなった仮設のIさんと小名浜の心光時の松を見に行ったりしていました。



鉄兵さん談
『さて,私はと言えば,先週の花見でお会いした I さんとうまく出会うことができ,小名浜の心光寺という寺にあるすごい松の木を見せてもらった。
写真を見ていただきたい。どちらが根の方か分かりますか。I さんの話によると,300年前の津波で折れた松が,その先端が土中に埋まり,そこからまた枝が出てきているという大変珍しい松なのだそうだ。
I さんは,電気・設備の仕事をされていたが,避難後は庭の剪定で生計を立てているという。この松も I さんが剪定したものだそうだ。貴重な松なので仕事に取りかかったときは手が震えたとおっしゃっていた。
実は先週お会いしたとき,「また来てくれるのか」と問われたことが妙に心に残り,ちょっと無理をして今回も参加したという次第。』




旅団長とソメビンさんは「カッチョイイ会議」最初からこの名前にすればよかったのにぃ、旅団長。何を話していたのか?ちょ~長かったですね!




旅団長はメモを取りながらの聞き取り調査も忘れません。




私の妻はと言えば、前回から仮設のS夫妻に教わっている籠作り、ご主人がとても器用で見よう見まねで四角い籠やら帽子の様な形の小物入れまで作っていました(驚)。




S夫妻はお孫さんと3人暮らし、何でもお母さんの勤務先が遠く仮設からは通えないらしく、おじいちゃんとおばあちゃんが預かっているとのこと。5歳の男の子でとってもかわいいんですよ!
前回、仮設入りした時に患者さんからディスポのマスク1万枚!と新品のラジコンカー5台、任天堂Wii(これも新品)を現地に直接持って行ってくれるなら、と、提供してくれたのです。


前回はマスクしか車に乗らなくて、今回ラジコンカーとWiiを持って行って5歳のお孫さんに手渡しました、仮設の子供たちの間ではラジコンカーが流行っているらしく、飛んで喜んでいました。
私の妻は、Sさん宅でちゃっかり昼食を御馳走になっていました、次に来る時は「前の日に電話しな、煮物作っとくから」とも言われたそうです。





2012年4月27日金曜日

4.15 花見だよ! 泉玉露仮設自治会


4月15日 泉玉露仮設住宅 お花見会

ナサケナ隊もみもみ肉球班 ノボです




遠く西の彼方、ウシトラブログの読者の長崎市内在住のTさん、五島列島在住のSさん、お待たせしました!
彼女達は私の妻「ゆっこ」の元同僚でありまして・・・何かしてあげたいけど「遠すぎて何もできない」、しかし、毎日、毎日、ウシトラブログ見て「心より応援しています」とゆう方々です。

旅団長はご多忙でブログ書けないそうなので・・・私は文才ないし・・・今回は鉄兵さんの素晴らし写真のスライドショーです。




同行の看護師Sさん、Hさんも会場準備のお手伝い(ありがとうございます)


              まずは会長挨拶






餅つき大会に続きCLAPSの登場、この子達、最高。ダンスだけでなくお年寄りの会場への誘導等々色々やってくれました。





    座ったままノリノリ!Sさん、Hさんもノリノリ。


              続いて「ひょっとこ」



神戸から来ていると聞いた、テモテボランティアセンターのイケメンのお兄さんも今日は一緒に楽しみます。


ソメビンさん調達「夏子の酒」で有名な久須美酒造の「祝鶴亀」に御満悦の連絡員の西山さん、いつも御苦労さま! 

旅団長談:西山さんは実は「利酒師」なんですよ。
旅団長とソメビンは、久須美の「亀の翁」を西山さんがまだ飲んでことがないというので「うふふふ…」と笑う。小さな優越感にあぐらをかく、我ながらちっちえ奴だ



ウシトラ旅団、岡野隊員のスピーカー内蔵のウクレレ(初めてみたW)。




みんな本当に楽しそう。

旅団長談:花見最大の課題は仮設住宅とこの会場を結んで安全にマイクロバスのシャトル便で運ぶことでした。
Sさんはバスの運転手だったので、酒も飲まずに大活躍。また、今回も下支えをしてくれたのは、いわき自由労組(大型自動車の運転手さんたちが主力の労組なんです)でした。本当に頼りになるのはこのような人々です。


         Hさんにつられてオジさんもピース!





会長もみんなに飲まされてヘロヘロ、SさんHさん、介護は本職です!

旅団長談:いつもみなさんをまとめることに心砕き、ストレスばかりの会長。
こんなときにしかハメを外せない会長も、いささかきこしめして頭を氷で冷やつつ特製「御車」の乗ってご帰還です。






片付けは、ボランティアの仕事って、思うけど。
どうも仮設の人たちの方がよく働いていたような……。旅団長も珍しく働いております、ハイ。



なんとこの方々「艮会」と言う。昭和12年生まれ(丑年)と13年(寅年)でつくるお仲間。半世紀続く友誼の契

「こらこら、もっと仮設の人たちと語らんかい! 」と旅団長は言いつつ、飲まないこの人たちがいないと
ボランティア行動はできんのです。



「会長は酔ってないじゃない。さっきは両手に花が欲しかっただけか?」と、飲みながら二人会議



仮設に戻っても二次会で盛り上がります!
みなさんと仲良くなって、現実の話を聞いた私。
私「みなさん、線引きされて帰宅可能の区域の方は帰るのですか」
お母さん達「もう、どこに行ってもこの人たちと離れたくないの」
仮設に入り始めた時にはこのお母さん達は昔から(富岡町で)知り合いだと思っていました。が、みんな、避難所や仮設で仲良くなったお仲間なのです。(仮設に通っているうちに知りました)。
私「もうコミュニティーができているから、でっかいマンションでもなんでもいいから、このままゴソッと移りたいってことでしょ」
お母さん達「そうそう」「それそれ」




最後に仮設→お花見会場、お花見会場→仮設のピストン輸送。往路、復路とも大渋滞の中、全員爆睡の旅団員を運んでくれた宮下さんお疲れ様でした!




他ボランティア団体の方々とももうお友達。また、いわきでお会いいたしまししょう



2012年4月18日水曜日

4.14 「一緒に生き抜こう!」ライブ


ウシトラ旅団結成1周年 「一緒に生き抜こう!」ライブは、雨で出足が心配されたというのに、100人!を超える方々に来ていだだきました。
まさに立錐の余地もない、というほどの集まり。
ありがとうございました。
当日は、いわき市にある富岡町泉玉露仮設住宅と、会津若松の大熊町松長仮設住宅・借り上げ住宅に住んでおられる5人の方においでいただき、「仮設と心をつなごう!」の合言葉どおり、ほんとにいいライブになりました。







この日の構成は1部で旅団1年の活動報告と、被災者5人にお話をうかがう、2部でミュージシャンや声優さんによる音楽と朗読という実に盛りだくさんのメニューでした。


でもね、旅団長はあとでソメビンに聞いてぐっときたね。
ミュージシャンたちがこのライブのあとで、
「今日はなんだか誇らしい気分だ」と語っていたと。
この日のライブの成功をどんな言葉よりもよく表しています。
おじさん旅団長はちと涙ぐんでしまいます。


関係は互いに対等、やるべきことはそれぞれに違っているけれど、自分たちができることをやって、心をつないでいける、と思ったのでした。
被災者も、そんな人間がここにいることに励まされたようでした。そんなイベントとして成功したということです。




★活動資金集めの報告会&ジャズライブとして
始まりはそんな思い付きだったのです。なさけな隊隊長と旅団長がいわきに通う車の中は、いつも思いつきの会議の場です。
ふたりともせこいから力と金なしでもできることに知恵をしぼり、かつ軽薄でありますから、
「おお、やるべ。人脈はあるし、できるよ」と、
たいがい、ジャズか落語が流れている車の中で、決まるのであります。


「泉玉露仮設から来てもらって話をしてもらおう」から、どんどん内容は濃くなっていって、この盛りだくさん。
「金集めなんて問題じゃねぇな。仮設と心をつなぐ! だよ」ということになったのです。
とたんに、ギャラなしで出演してくださる方々の心意気も違ってきたように思います。


★ウシトラ旅団、1年の活動報告
やってきたことは、このブログをずっと遡っていただければすぐわかります。覗いてみてください。
だから当日は、旅団長は写真に合わせてさらりと報告をしました。
言いたかったことは「やる気があれば支援は誰でもできる」。でも「継続が必要だ」。そして「それぞれにやれることで力をあわせよう」。そのために「お互いがテコになろうじゃないか」という呼びかけでありました。




★原発事故避難者の報告と訴え
ウシトラ旅団が入り続けている富岡町泉玉露仮設から自治会副会長の西原清士さんと、奥様の千賀子さん。
大熊町からは「大熊町の明日を考える女性の会」の木幡ますみさん、赤井さん、飯田さん。
(木幡さんもご夫婦で参加をお願いしていたのでしたが、町長選出馬以来、夫の仁さんが忙殺されているとのことでした)。
この交代は結果的に正解でした。
富岡町の様子と大熊町の様子の違いが、「女性の会」がクローズアップされることによって、際立ったように見えました。






地震・津波の被害、原発事故による避難の苦労は、それぞれの生活の場・職場から始まりました。
これらも聞くたびに胸が痛む話に満ちています。
避難所を転々として、そしていま、仮のおちつき先で、何をやっていくのか、がリアルに語られました。


泉玉露仮設は自治会作りを小さなところからキチキチと進める、大熊は政府や東電に対して、はっきりとした要求を「女性の会」が先頭になってぶつけていく、というふうなのです。






西原清士さんは自治会づくりの始まりから、たくさんの年配者の避難者を抱えるなかでの現在の苦労や、工夫を語ってくれました。
西原千賀子さんは介護福祉士として施設の老人たちの命を守るために4日間職場で不眠不休であったこと。
その後も「行くところがないので、実家のある石巻に行き、そこで半年、炊き出しなどのボランティアをやっていた」と語ります。




農家だった木幡さんは家・畑を捨てて避難し、夫の病気に「おとさんにわたしの腎臓をひとつあげちゃって」というなかで、「女性の会」を立ち上げます。
政府に押しかけて細野環境相などを相手に奮闘してきた様子を明るく語ります。




赤井さん、飯田さんは、「女性の会」に参加する「不利」と、抑制を跳ね返して、借り上げ住宅から、木幡さんに合流して活動してきた苦労があります。
いまは、大熊の被災者全体の運命を「女性の会」が切り開いていこうとしているかのように見えます。
女性の会は「補償、新しい居住地、町民全員の被爆管理手帳」を掲げます。
中間貯蔵施設についても「放射能汚染を拡大するな。大熊が引き受けよう」という立場に転換しました。
他にも、いま現在、原発の事故現場に踏みとどまっている労働者たちの話も出てきました。


仮設住宅の話や、借り上げ住宅に避難している人たちの課題や、何を感じているのか、といったことは、十分に伝わっていません。

旅団は、そこをみなさんに伝えていきたいと考えてきました。
聴衆のみなさんが身を乗り出して真剣な表情で話を聞き、ときに涙している姿がありました。
ウシトラがやれることの第1弾はできたかなと喜んでいます。









★バツグンだったぜ、プレーヤーのみなみなさま
第2部の開始は
☆森田貢さんと染井みゆきさん。
この二人、昨年の5月1日にウシトラ旅団と一緒にいわき市小名浜に入ってくださったターギニカピア隊でした。
そのときの印象も交えながら、まずは、このギターとピアニカで入ってきたのが憎い。


娘のピアニカ取り上げて、避難所だった江名小学校に行ったんでしたっけねぇ。










☆魂の声が聞こえた朗読
「あ、あの役の」と聞けば分かるアニメの声優などで活躍している真山亜子さんが4人の作品を読んでくれました。




震災直後に韓国の新聞に掲載された高銀(コ・ウン)さんの「日本人への礼儀」。
ウシトラが入っている泉玉露仮設にいらっしゃるおばあちゃん佐藤紫華子さんの詩集『原発難民』から数篇の詩、大熊町で農業を営んでいた佐藤祐禎さんの短歌集『青白き光』と、近詠から数首。
そして、昨年9月の「1000万人アクション」の明治公園で発言された、武藤類子さんの「わたしたちは静かに怒りを燃やす東北の鬼です」というアピール。
真山さんはこの20分ほどの朗読で、自分でも倒れてしまうのではないかと思ったそうです。
全霊を込めなければ読めない詩歌だったのです。




朗読につけたミュージシャンみいきしゃんのピアノがまたたまらない。
参ったぜみいき! 見直したぜみいき!






みな涙を流しながら朗読に聞き入っておりました。




加えて、山野さと子さんの飛び入りもあり、「ドラえもん」を歌ってくれました。凄みのある朗読、希望に臨むアピール文、そして、みんなで歌った「ドラえもん」、ありがとうございました。


☆トリは最強ジャズマンたち
ああ、おなつかしや。昔、聴きに行った三槻直子さんが、「A列車で行こう」から入りました。
ピアノはプロがほれ込むピアニスト湊孝夫さん、ベースは前に出ずにあまりに見事に支える成重幸紀さん。
「スマイル」やら「マイ・フェバリット・シングス」「素晴らしきこの世界」……。









スタンダードたまりません。
調子こきのウシトラのメンバーは、大盛り上がり。




やがて、大団円。
出演者みな、ステージに上がり、会場全員で「ふるさと」の大合唱。
ちゃんとハモってるところが、ああ、ミュージシャンたちだ。
これもまた、みんな、涙・涙…。



そうだった。
このライブのテーマで「『新しいふるさとを!』じゃないのか?」「いやいや、まだ、『生き抜こう!』だろ」と、侃侃諤諤だった。
それでも、(ここまでだけど)、力なきボランティア、ウシトラ旅団はやれることをやったのでした。


★ありがとうございました
このたびのライブは本当に心意気にあふれた人々が集まって実現できました。
ミュージシャン、声優さん、PAを担当してくれたみいきの教え子さん、映像を準備してくれた友人、映写を何度も練習してやりきったスタッフ、ゲストのホステス役をやってくれたノボせんせの奥様、会場準備や受付をやってくれたみいきしゃんの妹夫妻、ソメビン・旅団長の娘っこども…。
そして、何よりもわがままを許して会場を用意してくださった「音倉」さん、協賛してくださった「国境なき楽団」、庄野真代さん、本当にありがとうございます。
あらためてお礼を申し上げます。


出演者のほとんどに関わりをもっていて、彼女がいなければ、この企画が成り立たなかったミュージシャンみいきしゃんは、
「わたしがやるんだもん、うまくいかないわけがないじゃない。で、次はいつやるの?」


ありがとう。その意気だぜ。またよろしくお願いいたします。