しばらくのご無沙汰でありました。
旅団員は遊んでばかりではないのであります。
実に、わが茶水幽玄隊鉄兵隊員は、日本語教室のアジア各国のお仲間と共に、炊き出し行動に参加しております。
エスニックの香り高いらしい(うまそ~!)料理部隊の実力はいかんなく発揮され、強い連帯の心が被災地にも届いたようです。
以下、鉄兵隊員よりの報告です。 ★旅団長
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7月18日,陸前高田市に炊き出しに行った.私が関わっているボランティア団体「町屋日本語教室」(滞日外国人の日本語学習サポート)の生徒さんたちから被災地で自分たちにできることをしたいという声が出て,毎年恒例の旅行の目的地を被災地にしようと決めた.そして,教室でできそうなユニークなこととして,各国の自慢の料理の炊き出しをやろうということになった.
参加者は,スリランカ人3名,ベトナム人4名,フィリピン人2名,タイ人1名,中国人4名,日本人ボランティア10名,資材搬入およびバスのドライバー1名の計25名.
連休で宿を取るのが難しかったが,水沢に宿を取ることができ,そこから一番近い「陸前高田市災害ボランティアセンター」に連絡した.ボラセンから斡旋されたのは,陸前高田市横田小学校だった.陸前高田市では避難所は次第に閉鎖されており,被災者は仮設住宅に移りつつあるとのことだった.
当初200食分を考えたが,横田小学校の副校長さんによると,私たちの炊き出しは2度目で,最初の「あっぴそば」の炊き出しにはお年寄りしか来なかったとか,和太鼓の演奏イベントにも20人しか来なかったということで,予定した200食分を半分にした.
横田小学校の校庭に仮設された住宅はあまり大規模なものではなかった(57棟)ので,副校長さんは近くの中学校の仮設住宅にも呼びかけてくれた.ありがたいことです.
炊き出しの前日,つい最近世界遺産に認定された平泉などを観光した日本語教室の一行は,宿泊地の水沢を早朝に出発.着いた横田小学校は青々とした稲田と山に囲まれたのどかなところだった.
到着するとすぐに食事の準備だ.炊き出しのメニューは,スリランカ・カレー,ベトナムのフォー,フィリピンのアドボ,タイのサークー,中国のチンゲン菜炒め,そして中国茶,これらをワンセットにしたアジアンランチ.
横田小学校の副校長さんの計らいで,家庭科教室を借りることができたので,炊事には大変助かった.各チームのチームワークは抜群で,てきぱきとみんなよく働くこと!
最初は,もしかしたら数十人しか来てもらえないかもと不安で,最初の数人を見かけたときは「おっ,来てくれた.何人かは来てくれるだろう」と変に安心したりしたが,あれよあれよという間にたくさんの人が来て,配膳に大慌て.一時は20〜30人の待ちが出るほどだった.
予想に反して,本当にたくさんの人に来ていただいた.12時開始から1時間足らずで100食分がはけ,全部で120〜130人くらいになったろうか.最後は,肉なしカレーとサークーのみ,そしてついにご飯もなくなり断らなければならなかったのは非常に申し訳なかった.
炊き出しは好評だったが,配膳などで忙しく,現地の方と話をする時間があまり取れなかったのは残念だった.少し話ができた人の話によると,仮設住宅はまだ空きがあり,近く第2次募集があるとのことだった.このあたりの詳しい事情は分からないが,人は仕事がある近くに住もうとするのだから,家があればいいというような単純なものでもないのだろう
陸前高田市の市街地,なんと表現すればいいのか.見渡す限り何もない.数えるほどのビルが残っているだけ.瓦礫は片付けられているものの,車や木材などの瓦礫の山があちこちに.未だ水没しているところもある.7万本の松林があった海岸で生き延びたのはたったの1本.
まさに「真空地帯」と化した町.
人口2万3千人の町は,「震災後6000人近い人口が流出」との情報もある.これから動き出す復興会議とて利権と金が垣間見え,集約化という名前の小規模生産者の壊滅と大企業優先の経済復興.こんな現実を目の前にして,自分には何もできないという想いは強いけれど,とにかく現実を見て考えよう,それしかないとも思う.
気仙沼市では,海辺で献花を行い犠牲者を追悼した.気仙沼市も被害は甚大で,損壊した鉄道は手付かず,大きな船もそのままになっていたりしたが,海から少し入った商店街では営業をしている店も散見された.
一行は時間ギリギリで新幹線に乗り込み帰路についた.生徒のみなさんは口々に「来て良かった」,「温かい気持ちで料理できた」,「人のためになれて良かった」,「また炊き出しをしたい」などと語っていた.そうこう言っているうちに,疲れで爆睡.私も缶ビール一本でぐったり.しかし,充実した一日だった.
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