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2011年6月29日水曜日

なさけな隊もみもみ肉球班 鯔船釣り~!

旅団長が福島・宮城を中心に東北行に赴いていたそのとき、わが、もみもみ肉球班のノボせんせは、いわきへの単独突入戦をやっていたのでありました。
まったく、いわきの木っ端官僚やら、東京豊島区の小役人の、わからんチンどもというのはどうしたもんかね。
らちの明かぬ消耗戦を経て、ノボせんせは現地に飛び込み、当初の目論見どおり、「ボランティアの人々の体をケアしにいく」という作戦の第一陣をやりとげたのです。


つまりね、豊島区は「いわき小名浜現地の要請がないと、高速道路のろはパスは出さぬ」と抜かし、いわき現地は「①   いわき市ボラセンに登録 ②   ボランティアはこっちで振り分けするものが条件。ノボせんせのような者は当てはまらないのでダメ」のご託宣。
結局、いわきのボラセンは瓦礫処理とその他の片づけしかボランティアと認めてないようです。


え、いったいこれはなんだんだ。
何度もいわきに入り、避難所でゴッドハンド振りを発揮して、被災者のみなさんに感謝されていたノボせんせへの仕打ちだぜ。
いっぱつ旅団長も喧嘩にいくべ、と思っていたところに、ノボせんせはさっさと戦果をあげてしまったのでありました。
というわけで、以下、ノボせんせからの報告です。     ★旅団長  
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三度目の「南の森スポーツパーク」訪問と小名浜ボラセン突入が今回の任務。
小名浜ボランティアセンターに14:30に到着。
アポ無しでの訪問でしたが皆さん優しく出迎えてくれました(ホッ)。
代表の方は不在でしたが、事務一般を仕切っている方にボランティアの方々の体の支援をしたいと・・・。

小名浜ボラセンは、NPOザ・ピープル http://www.iwaki-j.com/people/ が主体で運営していて代表は毎日忙しくあっちこっちに行ってるそうです。
殆どボラセンには居ないそうで、代表の携帯番号を教えてもらい、連絡取って下さいとの事。
帰りかけた時に腰が痛そうな男性の方が・・・「折角来たから診ましょうか」、「じゃあ」と、診断・体操・ローラーころころ、「あれ、あれっ」。



そうこうしているうちに事務局長が帰ってきました、色々話して、「是非お願いします」とのお言葉を頂きました。
「私も診て」、事務局長は三カ月無休だそうです、診断・体操・ローラーころころ、「あれ、あれっ」。
その他、三名の方を診ました。

板橋から来た二十歳そこそこのオネエちゃん「今回で三回目なんですけど、今日は初めて砂出しやらせてもらえた」と話してくれました、簡単な片づけから→肉体労働、なんだかやけに嬉しそうでした!凄く印象に残りました。
帰る際、「パスあげて」と事務局長。

ボランティア登録して、保険に加入し(無料です)、四時前に平に移動、四時半に庁舎に着きましたが四時で受け付け終了?
小名浜ボラセンは三時に現地終了、四時にボラセン解散です、間に合うわけないじゃないですか!
いわき市災害対策本部ぅ~、なんたるていたらく!けしからん!しっかりしろ~!

そんなこんなで「南の森スポーツパーク」には17:15着。
最初に診て、と声をかけてくれた女性は前回、前々回と話は色々としていましたが・・・
「あの人、マッサージが来ても指圧が来ても絶対に受けないのよ」と他の人から聞かされていた方でした(三回目の実績でしょうか?)。
他にも初めて診る方四名、以前に診た方が三名でした。

今回、地元のボランティアの方と少し話ができました。
避難所からみんなが出て行けない理由は三つだそうです。

※仮設住宅に入る精神的な不安
※避難所に居れば、ご飯は食べれる(仕事したくなくなちゃった人もいるとのこと)
※持病を持っている方

これに対してカウンセリングをするわけでもなく、施設を斡旋するわけでもなく、何もしていないそうです。(施設等の斡旋はボランティアがしているそうです)。
いわき市は災対本部長が、やってやってる的な感じで対応が酷いと言っていました。

「南の森スポーツパーク」は落ち着いてきているので、今回を最後にしてボラセンに集中しようかなと思っていたんですが
添付の強面のおじちゃんから「感謝してます、また来てね、待ってるから」とか言われちゃうとね、帰るときには車に乗った私に手を合わされちゃって。






小名浜ボラセンのオニイちゃんやオネエちゃんも長靴にヘルメット、首にタオル巻いて汗だくになって、とても素晴らしい笑顔でした、
若い衆もなかなかやるねえ、負けてらんないや!と思いました。

小名浜地区は、瓦礫の撤去は一段落したとボラセンで聞かされました、今は床下浸水とかのお宅の砂出しが体を使う労働のようです。

帰るときはいつも真っ暗、今回は19:30。


帰り道、勿来インターでいきなり異変が・・・出口が大渋滞!いつも車いないのに。他のインターも下り出口は渋滞。
被災者タダの影響でしょう、毎回下りは車いないんですが昨日は上りの3~4倍の交通量です。
ボランティアがほんとに沢山現地に入っている中、被災者は車でお出かけ?

朝もサービスエリア入るといつもと様子が違うんですよね、乗用車から作業着きた人が何人も降りてくるんですよね、
みんなボランティアに行くんだと思って見ています。

2011年6月21日火曜日

6.11 百万人アクション

報告が遅くなって申し訳ありません。
(こら、旅団員、もっと、さっさと報告を上げんか! なんちって、旅団長が日銭稼ぎにいそがしかったのよ)。
何はともあれ、重要な局面に入ってきております。
旅団長は、2011・6.10旅団長通達で

★旅団員はいずれの地にても「街頭へ!」
重要な局面に入っている。
脱原発を望むものばかりでなく、まともな社会を未来に望もうとするものにとって、明日は行動を起こすべき日である。
ウシトラ旅団は「フクシマの子供の命を守れ!」を掲げて街頭へ出る。
それぞれの地域で責任を果たすべし。


とMLで流しておったのでありました。
それぞれが、できるところで、応えてくれたのでありました。


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★茶水幽玄隊鉄兵

福島からの人たち,ああ,発言を再現するために動画を撮るべきだった。








乳飲み子を抱いた若い女性 (旅団長の好きな歌,隼人の名に負う夜声いちしろく... のような毅然とした姿),






東京駅でのデモ隊と修学旅行の高校生たちとの出会い (手術台の上のミシンとこうもり傘の出会いのように美しい),






   経産省や東電前では当然、声もでかくなる。
   この少し前は、幟突き出して、やる気満々のウシトラ旅団でありました。
   まったく、孫が心配で涙を流す塩爺も、旅団長弾圧班シゲッチ隊員やら
   怒鳴り散らす日の丸おじさんに向かって「こっちこいよ!」で、一触即発なんだもんねぇ。
   どっちが挑発してるのか、わかりゃせぬ、こりゃこりゃ!




 
 意外に鍛えられている太鼓隊の隊列。デモ指揮としてもなかなか見事。
 リズムで乗せられて長い距離もご老体も歩きとおした。
 ロック少女だったノッグッチ隊員、ノグッチノリノリ、警官振り切って踊りまくり~!!




新宿でのパンクの若者たち (目の据わった顔で「俺たちは原発なくなるまでずっとやりますよ」と語ったモンモンのにいちゃん),



Big Issue を売っていたおじさんは何を思う,.... いろいろなドラマがあったのであります。


しかし,私も思うのであります。まだまだ人が集まらない。どうしてなの??? そう。日本人は本当に飼い慣らされた。
犬のように。


もっと怒れ! もっと行動しろ! 6.11に集まった人たちのように。







★輜重輸卒鶴翼隊M車両長
6月11日は午前中、東電練馬支社前を通る地元のパレードに参加したあと、大泉学園で宣伝ののちそのままのスタイルで西武線を占拠して合流してきたグループといっしょに大江戸線で芝公園にむかいました。(ほとんど都庁前で降りて新宿に参加しましたが)

一時間くらい集会に参加して練馬に戻り(区立保育園の民営化がまだもめていて、その対策会議のため)夕方アルタ前にとんぼ帰りしました。

6時過ぎに新宿に着いたときは東口地下からの出口階段には規制線が張られていて「東口には出られません!」と。
そこそこやりあったのち、結局武蔵野館のところの出口までまわって地上に出ました。
地上に出たら出たで「立ち止まらないでください」「東口広場は入れません」と。

アルタの丁度真向かいくらいで、機動隊のように体格のいい特攻服を着た男が叫んでいてもめていました。
後で聞いた話では、右翼の「統一戦線義勇軍」が集会で発言することになっていて、それに対して抗議が出され結局発言は許されなかったことに対してもめていたのだそうですね。

文科省交渉の時も「民族を滅ぼすな」という横断幕をもって、歌舞伎の桟敷席のように絶妙のタイミングで野次を飛ばす集団がいたり、日の丸を掲げた女性がいたりしましたが、やはり組織的な参加だったようですね。

もう脱原発はイデオロギーを越えていると思いますが難しいところです。



  んな難しくあるまいよ、と旅団長は思うんだけどね。
  敵対してこない限り、右翼も中道も宇宙人もいらっしゃいで、よかんべよ。
  日の丸に、ただ、血が上って、塩爺もシゲッチ隊員も一触即発になったわけじゃない。
  具体的に彼らが敵対しようとするからこそ対抗の構えだからね。
  ウシトラがそんなメンバーであることに、旅団長はうれしい。
  内容によって、喧嘩するか、呉越同舟するか、考えようぜ。
  大事なのは、「反原発・脱原発」「子供を放射能から守れ」だろ。 ★旅団長


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★なさけな隊 第2野点班 611横浜別働遊撃人 テラ
●「6.11 脱原発100万人アクション神奈川」参加
集合はJR桜木町駅前広場13時。スタートは13時30分。
コースは、桜木町駅→尾上町通り→横浜市役所→東京電力→神奈川県庁→山下公園(流れ解散)。


<JR桜木町駅前広場>
 13時。地下鉄構内からJR桜木町駅へ。土砂降りだった雨が上がっていて、駅前広場にはプラカードや幟などを持ったひと・ひと・ひと(お~いっぱい居るじゃん)。
 スタート地点周辺では、パレード1番隊の「よろずピースBAND」をバックに早苗ネネさん(じゅん&ネネ)が熱唱中。近くでは「6/10の飯舘村 14.6 マイクロシーベルト/M」のプラカードを持つ女性が。
 広場の奥まったところでは、3番隊か4番隊か…ブラジル国旗はためかす群れがブブヅケぶぶぶ~&太鼓どこどんどんともう音を出してスタート待ちをしている。
 1番隊の群れのなかからか拡声器の女性の声。横浜市長のメッセージが読まれ、俳優の“山本太郎”くんも来てくれましたとも(思わず探してしまいましたが見つけられませんでした)。







<いよいよスタート>
 1番隊は、横断幕を持った子どもたち。これにネネさんとバンド連が続く。続々とスタートしていく。長くなった列を、広場の手すりの上に登って眺める。先頭はもう見えない。第3グループがスタートするタイミングで、第2グループ後半の集団に交じってこちらもスタート。




<市庁から東電へ> 右に市庁、正面に横浜スタジアムを見て左折、日本大通を港に向かって直進。周りは外国人のひとたちや若いおんなのひとたち、そしておかあさんと娘さん等々。前を歩くおんなのこもプラカードを掲げておかあさんと一緒にコール。「原発いらない」「原発やめろ」。







<東電・神奈川支社前>
 東電に近づいてきた。前方の声が強く・荒々しくなっていく。近づくにつれ、周りの声も高まっていく。
 支社入り口周辺に屯する制服、私服。怒号が飛ぶ。前へ進むと、今度は後ろから怒号が飛んでくる。それが後ろへと伝播していく。カーッと頭に血が上る。










<元気な女性たち>
 少し前のほうへ移動して、孫や娘を持つおばちゃんたちの集まりのなかに入る。ここは元気がいい。てん・てんてんと(力入れすぎの)太鼓が鳴り続け、小柄なおばちゃんの「原発やめろ」「原発いらない」の音頭もでかく休みなく続く。すげぇなぁタジタジ…と思っていると、振り向いた白髪のダンディなおじさんが、「よく続きますねぇ」とおばちゃんに語りかけた。ワハハとおばちゃん。ウフフと微笑のおじさん。右に曲がると左に港。船が見える。山下公園が近い。


<ゴール>
 公園のなかはひとの群れ。先着のネネさんがバンドとともに熱演。「18時から綱島でチャリティーコンサートやりま~す」とのこと。ギャラリーにはゴジラも。
 そうこうしているうちに赤い旗や幟の林立する集団、サンバ隊が公園に入ってくる。そして最後列のレゲエ隊がやって来た。先頭のバンドが、ゆるくて締まった心地よいリズムを奏でる。
 ♪♪もんじゅ・とめよう もんじゅ・いらない(だっけ? ンっつっつっつ―)♪♪
 辺りにレゲエが流れるなか、公園を後にするひと、残るひと。






 “昔ながら”というのがこれなのでしょうか、組織された力強いシュプレヒコール&レスポンスの集団があるかと思えば、黄金週間のよこはま港祭りを思い起こすよな集団、はたまた静かに(たまに大きな声を出しながら)淡々と進む集団あり、といった感じの横浜のデモでした。






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 各地で集結して行動を興す、ということは大事だとは重々思っているのですが、デモというのは、パレード? という印象を持ってしまったのは可笑しな感覚でしょうか。参加してみて正直考えてしまいました。
 2発も原爆落とされた国が原子力不沈空母になってる。沿道や建物から傍観しているひとたちを車道から眺め、「これで原発なくなるんだろうか」…ドイツにできて日本にできないのかとも。
 でも何かやらなきゃ始まらない。他にもっとあるのかとか…う~、なんか何書いていいか判らなくなってきて、尻切れトンボで終わりそうです。
       


    それでいいのんしゃ。
  かっこつけてはよう分かろうとしたり、分かった振りするのはろくな結果にならない。
  みんな自分の頭で考えて、自分なりの方法、ルートを探そう。
  やりたいことをやる。好きなことを勝手にやる。できることを一緒にやる! 旅団の要諦なり。
  とにもかくにも、みなさま、よく頑張った。まだまだ、これからだぞ~!! ★旅団長

2011年6月7日火曜日

年間被曝量計算表(年間積算量) はブログのお供

さきたま方面隊リテラシー強化班の塩爺隊員には、その筋の頼りになる友人がおられます。その方が、一般向けに「年間被曝量計算表」を作成してくださいました。
ウシトラ旅団作戦部MLで回覧したものですが、もったいないので公開します。
このブログの右脇に、共有された「年間被曝量計算表(年間積算量」計算機を装備いたしましたので、旅団員ともども読者の皆様はどうぞ活用してください。

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 友人(元量子物理学専攻)が、年間被曝量計算表(年間積算量)を作成してくれました。(以下は、ブログ右脇に置かれている計算表の使い方です)。

★使用法
・A列に、一般に報道(発表)されている空間線量/hを入力してください。
 ただし、1m以上で計測した場合は線量がかなり低くなるので新聞報道等の計測データは要注意です(信用できません)
東京都の場合、共産党都議団は地上1mでの計測をメインにして、活動しているようです。


http://blog.dandoweb.com/?eid=123726/



・D列の‘外部被曝軽減係数‘は、木造1戸建1階部分内(窓を閉め切った状態)を前提条件にしています。
・ボロ屋だともっと係数が高くなります。
・団地やマンションの上階にいけばいくほど係数は低くなります。

・E列に1日8時間屋外にいたときの年間実効被曝量結果(24時間x365日)が表示されます。

ちなみに添付.xlsは、私の住まいの近くの葛飾区の最近の最大線量/hを入力したものです。
1.629mSV/yで、1mSV/yを超えています。(ほとんど毎日1ミリシーベルト/年を超えています)
やはり、三郷、柏、葛飾、江戸川はホットスポットか? 
川口市も高いそうです。
ホットスポットは、河川(利根川、荒川、江戸川、中川)が影響しているとのうわさがでています。(風評であることを祈っています)

尚、事の本質は、「年間1mSvなら安全」なんていう科学的根拠は一切ありません。
崎山比早子さんが見事に言い切ったように「これ以上厳しくすると原子力 
産業が立ちゆかないから」という数字が年間1mSvなのだと再確認しましょう。
(5月20日(金) 衆議院 科学技術・イノベーション推進特別委員会での彼女の発言)
http://www.youtube.com/watch?v=95ZJTsl1nVw&feature=related

福島はもっと悲惨な状態であることは事実です!

      ★リテラシー強化班 塩爺隊員

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旅団員、ブログ読者の皆様

 毎日新聞の読者は既報と思いますが、
‘学校 1ミリシーベルト/年の混乱`の記事がWebにアップされていたので紹介いたします。
  原発事故に関し毎日新聞は結構いい。
  東京新聞が一番かな?
  朝日はかなりダメ!

 http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110605ddm001040061000c.html?toptopic=tab4_text
  
      ★朝日新聞読者の塩爺

2011年6月6日月曜日

もみもみ肉球班 勿来再訪作戦報告で~す

わが、なさけな隊もみもみ肉球班は、たった一人ノボ隊員の単独作戦として、勿来の避難所を再訪いたしました。
日々、避難所の状況も変化するようで、再会を楽しみしていたノボ隊員でしたが、新しい避難者に、もみもみ作戦を遂行することになったのでした。
しっし、これはこれで意味のあること!
実力を遺憾なく発揮したノボ隊員が新たなるウシトラ旅団のファンのおばあちゃんを獲得してきたのでありました。
以下、再訪作戦の報告です。
    ★旅団長
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東京で構える整骨院に通ってきてくださる患者さんから頂いた支援金、でガソリンを入れたので省エネ走行に努めました。
ポスターを作って、「もみもみ肉球班」の活動への理解と支援をお願いしたら、応えてくださった方がいらしのです。
おろそかにはできません。燃費をよくしようと走ったのであります(けっこう疲れる)。




いわきに入ったら、まずは釣り仲間への支援。
いわき勿来インター近くで、差し入れを渡しました。








いわき勿来「南の森スポーツパーク」に16:10着。
事務局に挨拶して体育館と柔道場を見てみたら、合わせて20名居るかいないか
みなさんどこかにお出かけのようです。



今回も色々と考えさせられた単独入りでした。

前回、診た10名は一人も居ません(出て行かれた方も数名います)。

何しに来たんだって目で見る方もいますね。
そんなとき、きっとその人は心が痛めつけられていると、感じてしまうことがあります。



一方、「こんな事しでぐれっどごあっがな?」と質問してくる腱鞘炎の男性も。

4名のマッサージのボランティアが入っていたため、私は、それが終わるまで外の喫煙所で待機(ここしか居場所がない)。


そこに一人のお婆ちゃんが杖をついて足を引きずりながら、たばこを吸いに来ました
このお婆ちゃんは6年前に脳卒中になって左半身まひ。
その後、パイプ椅子に座っていて、椅子ごと転倒して左肘の骨折の既往歴。
肘は90°に曲がっています「こうやって引っ張るとのびんだけどね」と
ならばと「ちょっとみせて」、「引っ張るんじゃなくて、こうして伸ばすといいよ」と指導。

お婆ちゃん「あれ~なんでぇ、なんでぇ」と驚きの様子、肘はほぼ真っ直ぐになりました。
足首も痛いと言うので、体育館に移動、筋肉が硬くなって足首がおきません。
で、また指導、「壁に足付けてこうやってあげると良くなるから」、はめていた装具も着けず、杖なしで歩けるようになりました。

これを見ていた周りのおかあさん達が私も診てと3人。
膝が痛い方ですが、また体操指導、「あっいだぐない」「なあんだこんな簡単なんでいいのぉ」「昨日も接骨院行って電気かけてきたんだ」とのこと。
3人の指導をしている時もお婆ちゃんは、肘を動かしては「あれ~なんでぇ、なんでぇ」立ちあがっては「あれ~なんでぇ、なんでぇ」と連呼しておりました。

お婆ちゃんに一緒に写真とらさせてと言ったら「おら~写真は」と、
実績があると許可もらえて高速がタダになるんだよねと言ったら、「じゃあいいよ」と、撮ったのが添付の写真。
もう一枚と言ったら「じゃあ、てえあげちゃうよ、ホラ」と、二枚目。




ここで夕食のお弁当の時間。
再び、外の喫煙所で待機。

60歳位の女性の方が「ご飯は?どうせお弁当余ってるから食べなよ」、「そうだよ」ともう一人の女性、
「ここに来る前に食べてきました」と私。
また、「中にコーヒーあっがら飲んだら、紙コップもあっがら」とも。

夕食の時間になると皆さん帰って来て、
前回診た方々のうち4名の方と再会、五十肩の方、足の痛い方。
腱鞘炎の男性からは「こんな事しでぐれっどこ近くにあっがな、つづけてやればねえ」とか聞かれたりと。

処置した方には喜ばれるのですが、
やはり、何しに来たんだとゆう目で見られたりもします(これが辛い)。
処置する場所が確保できればいいのでしょうが、体育館の中に入って処置するしかないので・・・。
関係ない人にとってはねえ、寝室に勝手に入ってくるみたいなもんですからねえ。

ここ一カ月、朝食が調理パンばかりで飽きたと、前は家族単位で食パンだったと、食パンなら好きなようにして食べれると。

市の職員がコロコロ変わって困るとか。

体育館のシャワーが先週から使えるようになった(何で今頃?)。

昨日は夕方から缶チューハイで静かに飲んでる男性たちもみられました。

寝る所とご飯が避難所で、仕事に行ったりと他は普通の生活といった方々が大方のように私には見えました。
これはこれで色々とまた問題になってきそうな感じがします。

「昨日も接骨院に行ってきた」との言葉に、「もみもみ肉球班」の診療支援も本当に避難所で必要なのかと考えながら豪雨の中の帰宅でした。
「なさけな隊」隊長からボランティアの支援をしたらどうかなとの持ちかけもあり。
確かに体痛いのは慣れない肉体労働している若者かなとか、でも、それを承知でボランティアしてんだから要望は無いかなとか考えたり。

ボランティアって難しいなぁ。


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ソメビンの提案はいい線をついていると旅団長は思量すっとばい。
実は、ボランティアで動いている人の多くが自分も被災者という立場の方々なんです。
七たび旅せねば分からぬこともあるし、よ~く、現地の実情を調べて、実効的戦果をあげるべく努力しようぜ。
     ★旅団長


2011年6月3日金曜日

仙台の被災友人を訪ねて

足利足軽隊のS隊員より、宮城県の被災者を訪ねた報告がありました。
読んでいたただければわかるとおり、まっこと二人は、一見、何の役にも立たぬお気楽旅行をやってきたのでありました。

しかし、旅団長は言う。
実は、彼ら二人は、彼らなりの方法で、とっても役に立つ被災者の支援をやってきたのではないか。
ついでに、温泉に行き、うまい飯も食い、りっぱな被災地経済支援もやってきたのである。
まさに「やれることをやる! 好きなことを勝手にやる! できることを一緒にやる!」の旅団行動綱領のりっぱな実践者である(笑)。

ま、でも、とにかく「足利足軽隊」の隊名称はここで変えることにする。
新隊名は「極楽トンボめおと隊」を下賜するものとする。
★旅団長

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仙台・塩釜にいってきました


我が夫婦は、5月の28、29日に仙台と塩釜にいってきました。ただただもののわからぬ呑気な観光気分で、ただただいってみたいと思うだけで、いってみました。またタイミング悪く台風が来ちゃって……。


行きは新幹線MAXやまびこは2階建て客車から移り行く景色を眺めながらの旅。栃木北部あたりから屋根にブルーシートをかぶせているお家が見え始めました。
また放射能が気になる福島でしたが、郡山、福島駅周辺を通過したとき強く思ったのは「なんも変わらないじゃん」ってこと。ホント当たりまえに水田の緑があり、山の木々があり、川が流れていました。


仙台は雲が低く立ち込めるも雨はパラパラ。そこでマイミクシィのマリさんとお会いし仙台名物『牛タン』を一緒に食べました。
マリさんはあの大震災にてお家を津波で流されてしまったおひとり。目のまえで愛犬“かん太”くんが濁流に飲まれたショックは……。ところが翌日マリさんは避難所に向かう車のなかで、かん太くんが瓦礫のなかを元気に歩いている姿を発見。
「かん太!」と叫んだところ、彼はチラとマリさんを見るだけで「まわりにいる人に尻尾ふって愛嬌をふりまいていた」というお話に我が夫婦はホッとできました。



そのマリさんに我が夫婦はいろいろ突っ込んだお話をきいてしまいました。マリさんはていねいにお答えしてくださいました。
津波がバリバリ音たてて家々を飲み込んでいく音、一晩中鳴り響く津波警報のサイレン、消防団員の叫び、常に震えているような地面のユレなどなど、いま思い出しても泣きたくなるくらい怖かったと。
また仮設住宅が余っている実態(アパート等への引越しでもお金がでるため仮設住宅には入らない)は東京では伝えられていないお話でした。


ヒドイなと思ったのは「この服誰が着るんだ!」というボロ服を送ってくる人が多く、避難所にはボロ服のダンボールが山と積まれ悪臭を放っており、避難所の人たちはそれを見るたびにガッカリするとのこと。
阪神淡路方面から送られてくる支援物資は「どれも使い勝手が良く気持ちが良いもの」だとマリさんは話していました。
また今回の大地震は「来るぞ来るぞ」と言われている宮城県沖地震とは「違う」というのも気になりました。日本はどんだけ地震大国なんだ?



お宿は秋保温泉。そのまえに津波が川をのぼった映像が記憶に新しい名取川源流になる磊々峡なる景勝地へ。雄々しい岸壁に見とれ15分ほど散策。宿に着くやすぐ風呂へ。アツすぎずヌルすぎずの適温に1時間ほど浸かりました。
夜は仙台牛のしゃぶしゃぶをメインにした豪華料理で、ビールとお酒いただきながら美味しくいただきました。食後、艶かしいオーラぷんぷん発したピンク・コンパニオン4嬢がウロウロしていて、なんだろうと、俺、鼻の穴ふくらまして目で追ったところ、福島原発事故収束に向け活躍してきたばかりとおもわれる福島某市消防団員の慰労会場の中へ消えていきました。存分に慰労していただきたくピンク・コンパニオンの活躍を切に願った次第。


翌日は開通したばかりの仙石線で塩釜へ。雨はシトシトってかんじで気分は良く『雨に唄えば』よろしく足取り軽く市内を散策。塩釜港にある土産屋で復興支援祭りなるイベントが開かれていて、塩釜産魚介類を買い込みました。
そこのオバちゃんとお喋り。他地域にくらべ津波の被害が少なかった理由を聞くと「松島のとなりにある塩釜は内湾に数多くの島があって津波の勢いを抑えたのではないか」と地元の人たちは話しているのだとか。
また市役所で公開されていた塩釜の古い地図を見ると、今回津波が押し寄せたところはかつて海だったとのこと。今こそ先人の知恵に思いを馳せるときではないかと思いました。



散策の最後は塩釜の町の由来ともなった御釜神社へ。塩釜は古くから国策で塩を作ってきた町で、御釜神社にて1000年前に使っていた製塩釜を見ることができるという。
100円の拝観料を払うと守役のオバサマが出ていらして釜の歴史を語ってくださる。「お釜の水はふだん澄んでいるのだけど、天変地異が起こる直前には色が変わる伝説がある」との説明に俺は「では3月11日のまえも変わりましたか?」ときくとオバサマ「もちろん」と仰ってました。大好き!


ひととおり散策を終え、仙台へもどる車内に高校のサッカー部っぽい男の子たち5人が乗ってきて、そのうちのひとりが「頭いてぇ」といったあと「完全に放射能にやられた」と。もちろん若者ギャグなのですが他の4人は「え?」って雰囲気醸したのちノーコメント決め込んでました。
ギャグにならない現状。また次の駅でカワイらしい女子高校生たちが乗ってき、そうなると男の子たちの態度は自らの存在をアッピールするべく変わるわけで、彼女たちの気を惹くべく大仰な態度を取りはじめました。
彼らのひとりが前面に出て行こうとしたさい、ひとりの男の子が「オメ自分の顔みたことあんのけ?  その顔イケてると思ってんじゃネ?」といったのにつづき民謡っぽい音程にあわせ「えげつねぇほどナルシストぉ」と歌い上げたそれに俺はあやうく吹き出しそうになりました。頑張れ若者!


帰りはまたMAXやまびこにて。昼ごはんは仙台駅にて行われていた駅弁祭りで弁当を買いましたが、仙台には申し訳なくも俺は米沢名物の牛肉弁当を買ってしまいました。たいへん美味しゅうございました。奥さんは牛タン弁当をガツガツかきこんでおりました。