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2013年4月30日火曜日

泉玉露仮設『自治会旗』物語


富岡町・泉玉露応急仮設住宅自治会の『自治会旗』について、少し書いてみます。振り返ってみると、自治会と支援との関係など、この旗はいろいろと考えるヒントになってくれるのです。

冒頭に掲げた写真は、昨年夏だったかと思いますが、富岡町が主催した「仮設自治会のど自慢」の決勝大会に掲げられたものです。各仮設で予選が行われて、この晴れの舞台(?)、被災者は自慢の喉を披露したのでありました。
そこにしっかり自治会旗は掲げられていたのです。

先日の中央メーデーで、仮設のおっかさんたちが作る「さくらさかせるぞう」を売り切ったのも、この自治会旗のおかげが大きかったと思います。連合西北ブロック地協のみなさんはじめ、多くの人の善意と協力で完売できて、感謝しております。
その時、この旗があるとなしでは結果が随分違っていたように思います。

見ての通り、旗と称しているけれど、実は横断幕です。これを追い込み網にして、お客さんを売り場へと誘ったのでありました。



この旗が自治会によって初めて掲げられたのは、2012年1月6日、仮設で行われた餅つきの場でした。自治会が自分たちでやったもっとも大きなイベントでした。
ウシトラ旅団は、まだ泉玉露仮設住宅に入り始めて日が浅く、初めての大掛かりな「作戦」でした。

この餅つきの準備会議の様子について、こんな報告をしています。
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12月の打ち合わせの折に、喧々囂々のお好み主張、時の氏神の如くに現れた副会長の奥様の女丈夫が一言の下に抑え込んで、この三種と具材の決定で事無きを得たのでありました。
いや、この方、素晴らしい!
当日の餅つきも開始から締めまで獅子奮迅の働き。
そう、その12月の打ち合わせの時に言っておられました。
「男は搗くことと食べることしか頭にないんだから、餅つきをやるには女性を集めなければいけません。だんどりと進行は女性しかできません。男はなんでもその人たちの言うことをきいて、動くよという気でいてください。ええ、大丈夫ですよ。声をかければ20人くらいはすぐに集まってくれます」
まったく彼女の言うとおりだったのでありました。

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事前の会議は、自治会役員(男衆ばかり)と、テモテ教会、ウシトラとそのお仲間(いわき自由労組)で、行われたのですが、なんだか船頭が多くてエベレスト山に登りはじめた時に、見かねた西原副会長が「かみさんを連れてくるわ」で、なんとかなったのでした。
いま、「さくらさかせるぞう」制作などで、仮設の女性陣の中心にいる千賀子さんとの出会いでした。



その会議の席でわたしは「賑やかにやりましょうよ。旗や横断幕を作りしましょう」と提案して、それを準備することになったのです。
もちつきの幟と、意気上がるような幕を用意しようと思ったのでした。

私の頭にあったのは黒澤明映画『七人の侍』のが6つに△がひとつ付いた旗でした。野武士に襲われて、危機に陥る村の藁葺き屋根に翻った旗です。危機に負けず力を合わせようという気になる旗!
わたしは、まだ、できたばかりの泉玉露応急仮設住宅で、人々が一つになれるような旗印を上げたかったのです。

会議の中で横断幕のイメージを出したのは役員の重鎮・横須賀さんだったと思います。「がんぱっぺ! と、サクラ」です。
それから数日、鶴ヶ島広報隊のアライさん(デザイナーにしてブログやHPを一手に引き受けています)にしつこくやり直してもらって、データが完成したのでした。

もう年末、もちつきまで数日。間に合うかどうかという綱渡り。安くに確実に仕上げてくれるところを水戸に探し当てて、連絡をとりました。返って答えが素晴らしかった。
「わたしも双葉の出身です。心を込めて作らせて頂きます」。
ソメビンがよく言う「俺達は人の善意を拾い集めてやっている」の1例でした。
泉玉露応急仮設住宅の自治会旗は、当然のようにイベントのたびにあげられるようになりました。


自治会長の役目を昨年8月に途中で引き受けることになった川上さんが、玉露仮設ののど自慢予選で優勝し、代表として大会に出場したときには、自治会旗は一緒に会場へ向かったのです。


噂によれば「あんた、そんな大変な役を引き受けるなら、離婚だからね」(笑)と脅していたという奥様も、この自治会旗の前、先頭に陣取って、いとしい夫の舞台に声張り上げて応援したのであります。
入賞は逃したのでありましたが、
「あんなりっぱな旗があったのは、うちの自治会だけだったよなぁ」と、みなさん語り合ったというのです。





自治会を代表するシンボル。「生きる!」という意志を表すものとして、根付いてほしかった。
そして、フェイスブックの「富岡町泉玉露応急仮設住宅自治会」の写真はこれです。




ウシトラ旅団一周年記念報告会、「一緒に生きようライブ」にもやってきました。被災者のことを忘れないで、と100回言うよりこの旗がここにあることがアピールになりました。こうして、たまに東京に出張ってきて、自治会旗は私たちと一緒にいます。

忘れてはならないことがあると思っています。
仮設暮らしの日常の中にいる人々こそが、この旗の持ち主だということです。
こうしてプレハブの通路・路地で、自分たちが作った漬物やお菓子を持ち寄って、無理矢理にでもおもしろいことを見つけて笑い合って「今日も生きていく」と、心を決めている人たち。
あるいは、餅つきのような大きなイベントを背後でしっかり支えている、お母さんたちの生きようです。


初めての餅つきの後、イベントを支えきったお母さんたちのささやかな打ち上げ。


とにかくよく笑い声があがる路地の青空カフェ

仮設に行く、というのなら、この路地の青空サロンにこそ参加して、語り合って欲しいのです。
写真は、関西からやってきた学生さんたちを案内したときのもの。おっかさんたちに、
「まぁ、かわいいねぇ。泊まっていきなよ。うちは広いから寝られっぞ」なんて、歓待されるのであります。


現場で学べ学べ 学生さん

「さくらさかせるぞう」の販売を引き受けているグレイス教会の増井さん(牧師さん)に、言われたことがあります。
「泉玉露仮設がどうしてうまくやってこられたのか、記録に残したいですね」。

何より、この仮設住宅の人たちの明るさを引き出した住人たちの努力があったのだと思います。
また、仮設設立の初期にけして表にでしゃばらずに、きちんと活動を行った現地のテモテ教会のボランティア、そこからつながったグレイス教会のあり方がとても大きかった。
私たちはその基礎の上に、外からやってきてできることを少しだけ派手にやったということなのだと思います。

住民の力、支援とは何かをそれなりに考えることの出来た「大人」の仕事でした。
「がんばっぺ! 富岡町泉玉露応急仮設住宅自治会」の旗にはその経験が染め抜かれています。

2013年4月28日日曜日

さくらさかせるぞう完売! 自治会旗は偉大だった


★「さくらさかせるぞう」メーデー会場に登場

4月27日、84回メーデー中央大会で「さくらさかせるぞう」を販売して来ました。新生ウシトラ旅団(NPO準備)の会員になってくれたKさんが、連合の東京西北ブロックに話をつないでくれました。
東日本大災害支援のテント(出店)のうちのひとつで、西北ブロック地区協議会が、このタオル掛けを売ってくれるということになったのです。

泉玉露応急仮設住宅のおっかさんたちが作る「さくらさかせるぞう」が、こういう大掛かりなイベントに登場したのは、ひょっとして初めてだったのかもしれません。

売り子として、ウシトラからも数人。旅団長も行って来ました。
実際に泉玉露の様子や福島の被災者を取り巻く状況について、少しでも語れる人間がいないと、こういうお店の意味はありません。



9時前にはすっかり支度ができたのですが、集会会場に人々が向かい始めても、売上げはいまひとつ。
そのうち、どどどっと人が流れていくのに、店を覗く人は、ぱらぱら。
どどどッのぱぁらぱぁら。こりゃ、寂しいぞ。

ええい、流れを変えちゃえ! 網を張れ! 追い込み網だぁ。
テントの奥に下げてあった泉玉露応急仮設住宅の自治会旗をはずして、仕掛けたのであります。

「仮設住宅でつくっているタオル掛けです! 原発事故で避難している富岡町の人たちがつくってまぁす!」



おおお、人だかりができてきた。
おとなりの野菜やパンの「福島支援」のテントとともに、売れてきた。
自治会旗と呼んではいても、これは横断幕。自治会のイベントのときにはいつも飾られます。
こいつが目立つのだ。当然である。俺達が目立つように作ったんだもの(笑)。

自治会旗の威力は偉大なり。
人の流れをテントに向けた上に、被災者の状況について、聞きに来る人も出てきます。

そうそうこれをやりたかったのです。



売れ残ってしまうのではないかと心配した当初と違って、一度、勢いがついたら、飛ぶように売れるのです。
集会がはじまってまもなくの11時すぎぐらいには、完売したのでありました。

なにより一緒に店を出したり、現地のことを語った人たち(連合のいくつかの単産の組合員)の中に、
「できることをこれからも協力してやっていきたいですね」
というありがたい言葉がでてきました。

震災のことが風化している、福島の声が届いていない。そんな話を聞く。
そりゃそうかもしれないが、なぁにいっていやがる、という気分も旅団長にはあるのです。
中央メーデーの会場に行ったのは初めてのこと(好きになれんもん)。でも、こうして来れば、心ある人とつながれるのです。


ぞうを作るおっかさんたちに、メッセージのひとつも、と置いた色紙に書き込んでくれた購入者もたくさんいました。
子供連れの人たちに、ぞうさんは人気が高かったです。
ぞうさんをねだった子供たちの心の中に育っていくものに、わたしは望みをもっています。      ★旅団長

2013年4月21日日曜日

『特定非営利活動法人 大震災義援ウシトラ旅団』へ



★ウシトラ旅団はNPOへ
大震災義援!ウシトラ旅団は2011年4月11日に結成され、以来、多くの支援とご協力をいただいて活動して来ました。
まことにありがとうございました。こころより感謝いたします。
ウシトラ旅団はNPO法人へと生まれ変わり、今後の長期戦に備えます。
任意団体としての「ウシトラ旅団」は東京都による認証が済み、登記を完了した時点で活動を終了し、NPOとして新しい支援活動へ挑戦することになります。
これまでの多くのご支援、ご協力に重ねてお礼を申し上げます。

NPOウシトラ旅団は、3月21日神保町で設立総会を13人の出席で行い、すべての議案が可決されて、現在東京都による「特定非営利活動法人」の認証を得るための審査にかかっています。
設立総会は、これまでウシトラ旅団の活動に積極的に参加してきた人、協力をしてくれた人たちに声をかけ、会員になることを了承してくださった人で、総会に出席できる人たちに集まってもらって開催されました。

その日から、任意団体としての「ウシトラ旅団」の整理と、NPOへ向けての具体的な準備を行って来ました。
設立趣旨書、定款などNPOについての基礎資料は、新たにつくったホームページに掲載してあります。
NPOウシトラ旅団がこれから取り組もうとする事業活動について、柱を立てて整理して掲げてあります。
また、これまでの活動でエポックメイキングになったものを掲載し、2年間の活動を振り返ることもできます。


NPO認証、法人登記は目安として夏7月頃と予想しています。

★NPO会員への参加を!
長期に渡る活動を会員として支えてください。
会員には正会員と賛助会員があります。HPより申し込みができます。

http://www.ushitora-ryodan.org/311/modules/mailform/index.php?controller=form&id=1
なお、会員募集の情報をぜひ拡散してくださいますようにお願い申し上げます。

★メールマガジン
新たにメールマガジンを発信します。メルマガは申請者にはどなたにでもお送りいたします(無料)。
希望される方はHPより申し込んでください。
投稿もできますが、事務局によって管理されます。
必要・有意義な投稿文はメルマガに乗せて発信されることになります。


★ともに進みましょう!
現在、計画しているもっとも大きな「作戦」は、会津美里町の大沼高校演劇部の劇をお盆に下北沢で5日間に渡り上演することです。最終日には昨年4月同様の「ウシトラ活動報告会」を行う予定です。
その前にもさまざまな活動が控えています。
7月仮設の「こどもキャンプ」も大きな課題です。
どうか、新生ウシトラ旅団に、これまでに倍する応援と協力をお願い申し上げます。

2013年4月15日月曜日

心にさくらをさかせましょ・泉玉露仮設花見


★仮設住宅での今年の「花見」

今年の泉玉露仮設住宅の花見は、ちょっと奥ゆかしく、仮設内での開催。
何しろ、花がない所でやっても、「花見」と言ってはばからないくらいに奥ゆかしい。




昨年はかなり大掛かりにやったのですが、
今年は総会の日程と桜の時期が重なってしまい、おまけに会場と仮設を結ぶシャトルバスが手配できず、この形になったのだそうです。

けれども、花見は花見。
いつものクラップスの少女たちや、三春ひょっとこ踊りのEさんなどの「芸達者」が盛り上げました。

さぁて、ひょっとこに従う「おかめ」はだぁれだ? あまりの可愛らしい変貌ぶりに、ボランティア一同呆然(笑)


むろん、テモテやグレイス教会のボランティアも、やっぱり一升瓶を抱えてやって来ました。


駐車場の一角に、ブルーシートの風よけをしつらえ、ヨークベニマルご協力の寿司やオードブル、おっかさんたちの手作りの漬物などが並んでおりました。




いつもこんなイベントの司会役を背負ってきた連絡員の西山さんがめずらしく相当にきこしめしておられます。
呂律が回らぬ司会というのも実によろしい!


この4月で連絡員をやめ、たぶん、ちょっとだけ「肩の荷がおりた」というふうにみえました。
それでも、自治会の事務局には残ったので、相変わらず重責をはたさなければなりません。
先週、自治会総会が行われ、役員さんたちがそろって留任したそうです。

★自治会長たちの覚悟

花見を盛り上げてくれる三春ひょっとこ踊りのEさんが珍しくマイクを持ちました。
いい挨拶でした。
「わたしは30年、踊ってきてひょっとこ踊りの(存在)意味がわかってきたように思いました。たいへんなときにこそ、ほんの一瞬でもいい。笑ってもらえればいい。みなさん、ふつ~にしていればいいんですよ。普通にくらしましょう。もう、こうなんだから(片足を踏み出し、棺桶に片足を突っ込む仕草)」
庶民の中の踊りや祭りの基礎をまた教えてもらった気がします。




川上自治会長は、「元気でいましょうね」の挨拶。
あれこれと話してみましたが、「ここで死者を出さない」が彼の一貫した姿勢です。
仮設住宅はとても年齢層が高いのです。

仮設で死んではならない。そのために自治会はある。
難しいことは言わない。
その一点で、この自治会活動を続けていく、と考えているのです。
この問題は、むしろ仮設から復興住宅へと向かうさなかで、本当にのっぴきならない課題になっていきます。
数人の自治会役員の方々と話してみると、よ~く身にしみて感じておられるようです。

この意識と響きあうようにして、会長はじめ多くの人達が口にした「夜の森桜」の除染皮剥への違和感があります。
あんな桜にして花見に帰ろうもあるもんか。
「なんか、根本的な所で間違っている気がするんだよ」(川上会長)。

クラップスの子供たちに「ありがとう」と丁寧に挨拶する川上会長



★「子ども」とは希望のことである

花見という名の宴会がはねて、そのすぐ脇の第2集会場から子供たちの歌声が聞こえてきます。
第1集会場からこの日のために移されてきた「夜の森桜のトンネル」の大パネルが飾られていました。
小さい子たちは、意識せぬまま、この桜のイメージの中で、いつまでも歌い続けていました。


仮設を出たソウヤもやってきて歌う。ちょっと見ない間にずいぶん大きくなったなぁ。呂と律の旋法を歌い分けられない世界まで行っちゃった西山さんも乱入
数世代がいっしょに暮らせるような住宅と、子供たちが自然にそだっていく、まともな環境をつくりだしていくことに取り組まなければと、あらためて思ったのでした。







2013年3月27日水曜日

お盆にこの演劇を上演!




★『フェスティバル2013 全国高校演劇研究大会』(いわき市)

3月23日・24日に高校生たちの演劇を見に行って来ました。
いくつかの作品を見させてもらったのですが、お目当ては開催県の枠で、最後に上演された福島県立大沼高等学校の『シュレーディンガーの猫~Our Last Question~』でした。

実はこのフェスティバルは地方ブロックの予選で最優秀を取れずに、夏の全国大会へ行けなかった作品の内から推薦されて、上演が行われるものなのだそうです。
会津美里町の大沼高校演劇部がいわば全国大会への道を絶たれた時の「講評や批評」について、「東北でも震災被害が風化しつつある」と報じた新聞記事に、ウシトラ旅団の数人が怒りまくったのでした。
むろん、その怒りは、この作品が一等賞を取れなかったという結果についてではなく、生徒たちが福島の問題に正面から立ち向かった演劇に対して、評価する側が「正面から」向きあおうとしなかったらしいことについてでありました。


避難者の二人。活発で芯の強い絵里(黒ジャージ)は自分を支える好きな歌を、みんなに名前も覚えてもらっていない孤独な弥生(青)に聞かせる

事の結果を報じた福島民報はこう書いていました。
『震災と原発事故を題材にした大沼高(会津美里町)の演劇に対し、他校から「重いテーマを重くやられた感じ、疲れる」「(震災を)見せ物にしている」などの講評が寄せられた。審査員の一人も「疲れた」と感想を漏らしたという。結果は本紙既報の通り最優秀でも優秀でもなく、優良賞だった。
 審査がある以上、優劣がつくのは当然で、結果についてとやかく言うつもりはない。残念なのは、被災地の視点で問題に真正面から取り組んだ姿勢に対し、冷ややかな見方があった点だ。講評者名は伏せられているが、関係者は「被災しなかった地域の生徒の意見ではないか」と推測している。思いを共有してくれていると信じていた東北での否定的な反応に、部員は落胆している。心を占めているのは悔しさより悲しみだろう』

旅団長は、怒っておりませんでした。
嫉妬で目が濁る、んな連中はいるだろうし、風化なんていえば「絆」やらのごたくで塗りたくった支援や心持ちは、すぐに風化するに決まっている。
そんなことより「共感の回路をどう作るか」を考えねばなりませぬ。
というわけで、例のごとく喚いてしまうもんね。
「この演劇、東京でやっちまおうぜ! 評価はそこで見てくれる人にやってもらえばいいじゃん」


「かわいそう」だから原発被災者を演劇にしようとするのか、自問して聡美(左端)が出す結論は


★お盆にやるべ!
ソメビン、走り回り、あっという間にプロデュースをしてくれる人を見つけ出し、あっという間に本多劇場系列の「楽園」で、お盆興行の日程が押さえられたのでありました。
顧問の佐藤先生に連絡を取り、「やろう!」という話になったのでした。
23日には、ウシトラはプロデューサーのHさんと一緒にいわきの一夜。
どんなふうにやりたいか、佐藤先生と話し込みました。
「この子供たちにしかできない演劇です。ありのままの子供たちの演劇として表現するようにしたい。本多劇場なんて、大変な経験になるし、ぜひやりたい」
そんなふうに先生はおっしゃるのでした。

24日には、鶴ヶ島広報隊アライ隊員が聴覚障がい者の運動に取り組んでいる人を引き連れて、上演場「アリオス」にカメラを引っさげて登場したのでした。
(この演劇を聴覚障がい者にもどうにかして観てもらう工夫ができないか、と考えているのです)。




★すごい! まいった! やるぞ!

「拙い作品」と謙遜していた先生の言葉は、とんでもないものでした。
もともと、富岡町から避難してきた女生徒が大沼高校の演劇部に入部したことが、この劇の誕生につながったといいます。
避難者の生徒、それを受け入れた学校の生徒、それぞれの心が深化していく過程が見事に描かれているのです。

出演する8人の生徒さんたちの見事なキャラクター。
たしかに先生が言うように、「あの子たちにしかできない劇」なのでしょうが、きっと現実に起きている事象を真正面から見つめています。
そこには、避難してきた生徒の「同情はいらない」や「怒りじゃない、悔しいんだ」の言葉の意味や、それぞれに違った思いを抱えて、それでも考え続けている受け入れた側の生徒たち、メディアの上調子などが浮き彫りにされていきます。
350人の小さな会津の高校の生徒と顧問が作った劇は、まっすぐに私たちを打ってきます。


旅団長は、終わった途端に二階席にいたHさんに向かって、親指を突き上げていました。
すこし後ろで見ていたソメビンは「参った、やられた。もう涙がとまらない」。
実際、旅団長はラストの5分間、自分の口を両手で抑えこんで、嗚咽が挙がるのをかろうじて我慢していたのでした。
演劇を見て、こんなふうになったのは初めてでした。


絵里が転校してきてダンス部はメディアの寵児。だが、ずっとダンス部を支えてきた陽佳(右端)の様子が変。学校のリーダーである陽佳の心のうちは……。

畳み掛けるように、一人でも生きていくという意志、仲間として生きるというシンプルで根底的な「勇気」が、舞台上に立ち上がってくるラストをたくさんの人達と共有したい。
大沼高校の演劇部のみなさんは、わたしたちウシトラ旅団がやろうとしてきたことを実現しようとする仲間です。


上演直後、大沼高校演劇部員の真っ直ぐな目にたじろぐ、さっきまで泣きべそをかいていたのソメビン

どうしても東京でこの作品をやりたい、必ずやる! と思いを強くしました。
お盆の数日間のぶち抜き公演です。
みなさまのご協力をお願い致します。







2013年3月13日水曜日

3.11 泉玉露仮設合同慰霊祭


★手作りで合同慰霊祭

東日本大震災からまる2年を迎えたこの日、泉玉露応急仮設住宅では三回忌の合同慰霊祭が行われました。
行政はあちこちでそれぞれに日をずらしたりして慰霊祭を行い、東京では政府主催のそれが開催されていました。

泉玉露仮設は自分たちで「やる!」の心意気です。
仮設のおっかさんたちが朝早くからいなり寿司や団子をつくる作業に入り、男衆は祭壇や椅子をそろえて会場の準備をしていました。
ウシトラ旅団の関係者は、Nさんが人形劇のお仲間を誘って、お母さんたちの作業の手伝いに入っておりました。

練馬から出発したソメビン車が、途中で事故渋滞に巻き込まれ、何とかたどり着いた時には、すっかり準備は整っておりました。
昨年の慰霊祭のあと、懇ろに弔ってきた塔婆を伴って北海道からやって来られたお坊さんにご挨拶して様子を聞いてみれば、
何だか、昨年同様のたくさんのお坊さんが来られるらしい。



★いい慰霊祭だなぁ

今年も慰霊祭をやるというので、カッチョイ(自治会・支援者活動調整委員会)で話し合った時に、雨の場合について検討していたのです。第二集会場での開催と、動線を決めていて、本当によかったと西山さん(連絡員)と、手を握り合いました。
前夜から風が強くてテントを張れず、屋内での開催に決めたということだったのです。

始まればおよそ百数十人がびっしりと参列し、祭壇の前には、各宗派のお坊さんや、テモテの木村司祭(聖公会・カッチョイメンバー)が、おすわりになられました。

川上自治会長の開催挨拶が素晴らしかった。
地震・津波の犠牲者への追悼の気持ちと、原発事故によるこれまでの苦労と、それを乗り越えて一緒に生きていこう、というメッセージがそくそくと伝わるものでした。


やがて読経の中で焼香の列が続きました。
思わず旅団長は、自分の兄弟や親戚の十数人を津波でなくしたと語ったHさんのほうに視線が行ってしまいます。
少しずつでも区切りをつけながら、前に進むしかないのだと思いながら。
私にとって、焼香も2時46分からの黙祷も、「必ず、ここにいる人達の生存権を政府に保障させるまで頑張る」と誓うことでした。
昨年も同じようにこの祭壇に向かって誓い、どこまでできたかなとも思うけれど、やり続けるしかありません。

慰霊祭が終わって、仮設の女丈夫、西原千賀子さんと話しました。
彼女は昨年は石巻の慰霊祭に呼ばれ、今年、始めて自分の仮設住宅の慰霊祭に参加したのでした。
「町も一昨日だかにやったらしいのですが、やっぱり、自分たちで手作りしたここの慰霊祭が本当に自分たちの心に叶う、いい慰霊祭でしたねぇ」
私も、まったく同じ感想を持っておりました。





犠牲者を慰霊し、残されたもの・原発事故被災者を励ます早川和尚の法話
http://chirb.it/CB1cdh で法話が聞けます



★仮設外からの弔問客

泉玉露仮設は開かれた雰囲気の仮設住宅です。
富岡町の方々でこの仮設ではなく、借り上げ住宅(みなし仮設住宅)に住んでおられる人や、他の双葉郡の町からいわき市周辺に避難している人たちに対しても、この慰霊祭にいらしてくださいと呼びかけていました。
たぶん、多くの人達がこの仮設での合同慰霊祭にいらしていたことだと思います。

支援者もウシトラ旅団が協力しながらともに活動してきたテモテ教会、グレイス教会や、個々に私たちがつないできた気持ちに溢れた人たちも、なんだか勢揃いの様相でした。
ボランティア団体として入ってきた者の以外でも、仮設を撮影し続けてきた映画監督、いわき駅前でひとりで「原発嫌だ」の声を上げてきた女性、社協関係者、手伝いを何かしたいと思ってもなかなか手ががりがないと思っていたのだけど、と語る御近所の人……。
こういう慰霊祭のような場が、それぞれの立場で考えていることを語りあって突き合わせ、次の行動につなげていく発想の機会でもあります。

ウシトラは、被曝労働の現実を伝えていく「写真パネル」広報への協力、お盆にやらかそうとしている「会津の高校生の演劇」の準備の話をしておりました。


「お盆に会津の大沼高校の演劇部を呼んでぶち抜き公演を東京でやります。生徒たちを励ましに来て下さい!」 
俳優・近藤正臣さんに旅団長は迫る!


★子供たちも、今しばらく、ここで生きていく!                                  

慰霊祭が終了してしばらくして、子供たちは学校から帰って来ました。すっかりお馴染みの顔に、最近はチラホラと新しい顔もみるようになってきています。

昨秋に行われた「泉ふるさと祭り」で、仮設の子供たちは「子供クラフトお店やさん」を出店しました。
そこで上がった収益で手に入れたのが、これ『大海賊の秘宝』というゲームだそうです。
あれから旅団長もよく「ソメビンはどこにいるの?」「ぼく達のお金はどうなってるの?」と催促されたものです。
とにかく、彼らにこのゲームを決めてもらい、売上げ3000円ほどは子供部屋(第1集会場)に置かれる海賊さんのお宝となりました。

その節、ご協力頂いたクラフトの先生はじめ、多くの皆さん、こんなふうにささやかな成果を子供たちに渡しました。
ありがとうございました。



今年は正念場です。
仮設の人々が恒久的に住める住宅の確保。生活の補償、損害賠償問題。健康問題……。
そして、なりより放射能から少しでも離れたところで、子供たちの生活と教育環境を保証していくこと。
それらが焦点化していく一年になるでしょう。

こうやって仲良く暮らしている子供たちを、またバラバラにして辛い思いをさせたくない。
この子たちがまとまって、よりまっとうな暮らしができるように、みなさんの力を結集してください。
ウシトラと一緒に進みましょう!      
                               ★旅団長

2013年3月8日金曜日

3.11 泉玉露仮設合同慰霊祭予告



★泉玉露応急仮設住宅で合同慰霊祭

今年も仮設住宅自治会が独自に「合同慰霊祭」を行います。
富岡町は、郡山市に役場を置いていて、そちらで町主催の慰霊祭を行いますが、泉玉露は住民主催で仮設と周辺にいる人々に呼びかけて、慰霊祭を行なうということです。
仮設だけでなく、借り上げ住宅にいらっしゃる富岡町からの避難者、他町村からの避難者も来て下さい、と呼びかけています。

ウシトラ旅団は昨年も慰霊祭のサポートを行い、ソメビンのおやじ様が書き上げた塔婆は、いま北海道のお寺様に行っています。
その塔婆は、北海道のお坊さんといっしょに空を飛んで泉玉露にやってきます。

「あなた方はお願いする立場ではありません。要求する立場なんです」
昨年のこの日、そんな法話を行なった自身も避難者であ浄林寺の早川和尚が、三回忌となる今年にどのような法話をしてくださるのか、そんなところにも注目をしています。

★12時からほっこりカフェ
自治会のおっかさんたちが、ほっこりカフェとともに、お供えの団子やいなり寿司を作るそうです。
第2集会所での作業になりますので、この作業の手伝いをしながら交流もできます。
ウシトラからは、クリスマス会の折に参加したNさんなど3人のご婦人方が、押しかけることになっています。
泉玉露仮設はオープンな雰囲気の仮設住宅です。
いっしょに大震災被害者の冥福を祈り、被災者とともに生きる気持ちを固めるために、心ある方はぜひどうぞ。

富岡町は郡山市に町役場を置いており、そちらで町主催の慰霊祭が行われるはずです。
それでも浜通りからは遠い。
どうぞ、みなさん、泉玉露へいらっしゃって下さい。


☆駐車場は近所の公園です


☆時程

12:00  ほっこりカフェ開始 
14:00慰霊祭開始
14:46黙禱   
15:00終了