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2011年6月3日金曜日

仙台の被災友人を訪ねて

足利足軽隊のS隊員より、宮城県の被災者を訪ねた報告がありました。
読んでいたただければわかるとおり、まっこと二人は、一見、何の役にも立たぬお気楽旅行をやってきたのでありました。

しかし、旅団長は言う。
実は、彼ら二人は、彼らなりの方法で、とっても役に立つ被災者の支援をやってきたのではないか。
ついでに、温泉に行き、うまい飯も食い、りっぱな被災地経済支援もやってきたのである。
まさに「やれることをやる! 好きなことを勝手にやる! できることを一緒にやる!」の旅団行動綱領のりっぱな実践者である(笑)。

ま、でも、とにかく「足利足軽隊」の隊名称はここで変えることにする。
新隊名は「極楽トンボめおと隊」を下賜するものとする。
★旅団長

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仙台・塩釜にいってきました


我が夫婦は、5月の28、29日に仙台と塩釜にいってきました。ただただもののわからぬ呑気な観光気分で、ただただいってみたいと思うだけで、いってみました。またタイミング悪く台風が来ちゃって……。


行きは新幹線MAXやまびこは2階建て客車から移り行く景色を眺めながらの旅。栃木北部あたりから屋根にブルーシートをかぶせているお家が見え始めました。
また放射能が気になる福島でしたが、郡山、福島駅周辺を通過したとき強く思ったのは「なんも変わらないじゃん」ってこと。ホント当たりまえに水田の緑があり、山の木々があり、川が流れていました。


仙台は雲が低く立ち込めるも雨はパラパラ。そこでマイミクシィのマリさんとお会いし仙台名物『牛タン』を一緒に食べました。
マリさんはあの大震災にてお家を津波で流されてしまったおひとり。目のまえで愛犬“かん太”くんが濁流に飲まれたショックは……。ところが翌日マリさんは避難所に向かう車のなかで、かん太くんが瓦礫のなかを元気に歩いている姿を発見。
「かん太!」と叫んだところ、彼はチラとマリさんを見るだけで「まわりにいる人に尻尾ふって愛嬌をふりまいていた」というお話に我が夫婦はホッとできました。



そのマリさんに我が夫婦はいろいろ突っ込んだお話をきいてしまいました。マリさんはていねいにお答えしてくださいました。
津波がバリバリ音たてて家々を飲み込んでいく音、一晩中鳴り響く津波警報のサイレン、消防団員の叫び、常に震えているような地面のユレなどなど、いま思い出しても泣きたくなるくらい怖かったと。
また仮設住宅が余っている実態(アパート等への引越しでもお金がでるため仮設住宅には入らない)は東京では伝えられていないお話でした。


ヒドイなと思ったのは「この服誰が着るんだ!」というボロ服を送ってくる人が多く、避難所にはボロ服のダンボールが山と積まれ悪臭を放っており、避難所の人たちはそれを見るたびにガッカリするとのこと。
阪神淡路方面から送られてくる支援物資は「どれも使い勝手が良く気持ちが良いもの」だとマリさんは話していました。
また今回の大地震は「来るぞ来るぞ」と言われている宮城県沖地震とは「違う」というのも気になりました。日本はどんだけ地震大国なんだ?



お宿は秋保温泉。そのまえに津波が川をのぼった映像が記憶に新しい名取川源流になる磊々峡なる景勝地へ。雄々しい岸壁に見とれ15分ほど散策。宿に着くやすぐ風呂へ。アツすぎずヌルすぎずの適温に1時間ほど浸かりました。
夜は仙台牛のしゃぶしゃぶをメインにした豪華料理で、ビールとお酒いただきながら美味しくいただきました。食後、艶かしいオーラぷんぷん発したピンク・コンパニオン4嬢がウロウロしていて、なんだろうと、俺、鼻の穴ふくらまして目で追ったところ、福島原発事故収束に向け活躍してきたばかりとおもわれる福島某市消防団員の慰労会場の中へ消えていきました。存分に慰労していただきたくピンク・コンパニオンの活躍を切に願った次第。


翌日は開通したばかりの仙石線で塩釜へ。雨はシトシトってかんじで気分は良く『雨に唄えば』よろしく足取り軽く市内を散策。塩釜港にある土産屋で復興支援祭りなるイベントが開かれていて、塩釜産魚介類を買い込みました。
そこのオバちゃんとお喋り。他地域にくらべ津波の被害が少なかった理由を聞くと「松島のとなりにある塩釜は内湾に数多くの島があって津波の勢いを抑えたのではないか」と地元の人たちは話しているのだとか。
また市役所で公開されていた塩釜の古い地図を見ると、今回津波が押し寄せたところはかつて海だったとのこと。今こそ先人の知恵に思いを馳せるときではないかと思いました。



散策の最後は塩釜の町の由来ともなった御釜神社へ。塩釜は古くから国策で塩を作ってきた町で、御釜神社にて1000年前に使っていた製塩釜を見ることができるという。
100円の拝観料を払うと守役のオバサマが出ていらして釜の歴史を語ってくださる。「お釜の水はふだん澄んでいるのだけど、天変地異が起こる直前には色が変わる伝説がある」との説明に俺は「では3月11日のまえも変わりましたか?」ときくとオバサマ「もちろん」と仰ってました。大好き!


ひととおり散策を終え、仙台へもどる車内に高校のサッカー部っぽい男の子たち5人が乗ってきて、そのうちのひとりが「頭いてぇ」といったあと「完全に放射能にやられた」と。もちろん若者ギャグなのですが他の4人は「え?」って雰囲気醸したのちノーコメント決め込んでました。
ギャグにならない現状。また次の駅でカワイらしい女子高校生たちが乗ってき、そうなると男の子たちの態度は自らの存在をアッピールするべく変わるわけで、彼女たちの気を惹くべく大仰な態度を取りはじめました。
彼らのひとりが前面に出て行こうとしたさい、ひとりの男の子が「オメ自分の顔みたことあんのけ?  その顔イケてると思ってんじゃネ?」といったのにつづき民謡っぽい音程にあわせ「えげつねぇほどナルシストぉ」と歌い上げたそれに俺はあやうく吹き出しそうになりました。頑張れ若者!


帰りはまたMAXやまびこにて。昼ごはんは仙台駅にて行われていた駅弁祭りで弁当を買いましたが、仙台には申し訳なくも俺は米沢名物の牛肉弁当を買ってしまいました。たいへん美味しゅうございました。奥さんは牛タン弁当をガツガツかきこんでおりました。

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