ラストステージを終え、会津に帰る直前。公演をサポートしてくれた人々のあいさつを神妙に聞く。 |
♪ワンツゥスリー、三歩目からは、わたしたち~お別れなんですよ~。 オリジナルメンバーとして『シュレ猫』を引っ張った卒業生3人はやっぱり泣きべそ。 |
★4月6日 やっぱり涙のラストステージ(スペースゼロ公演)
大沼高校演劇部の『シュレ猫』公演は、3月8日郡山、9日会津若松、4月4日相馬市と周り、6日東京・新宿のスペースゼロで大団円を迎えました。
福島民報と「子供のための舞台芸術創造団体」の尽力で、相馬と東京公演ができて、本当によかった。私から礼を言うのも変なのですが、とにかく言いたい。
ありがとうございました!
6日の舞台は、全国からのお客様を相手に、オリジナルメンバーによる素晴らしいラストステージでした。これまで観てきたどの舞台よりも笑いをとり、そして人々の心を揺さぶるすごい演技でした。
ウシトラが贈った花を観客に渡す任務を負って出口で待ち構えていた1年生 |
劇中の写真はありません。
彼らに長く付き添ってきたNHKEテレの落合ディレクターが「今日はカメラを回さずに目に焼き付けます」と言っていましたが、こちらもまったく同じ気持ちでした。
上演前に顧問の佐藤先生に「今日は声をかけるからね!」と伝えてありました。
卒業してからも舞台に上がり続けていた3人の「3年生」に叫びたかったのです。
観客席の嗚咽が暗い会場に広がっていき、やがてクライマックス。
いつまでも鳴りやまぬ拍手の中、ウシトラのオジサンたちは「ブラボー」の声を上げ、名前を呼び、感謝の言葉を叫んでいました。
会場の外に出ると、舞台に上がらなかった1年生たちが目に涙をいっぱいにためて、やはりハンカチを目に当てて出てくる客に対応していました。きっとこの子たちも同じ思いだったのでしょう。
★演劇芸術ができること
前日のトークセッションで演劇で被災地支援をやってきた人たちに交じった佐藤先生は示唆に富む発言を多くしておりました。
・原発事故が引き起こされた浜通りから会津は100キロ離れ、目に見える震災被害はなかった。心に傷を持ってやってきた転校生に、どう接したらいいのかわからずに学校には奇妙な静けさがあったこと。
・迷いながらも震災を劇にするために、先生が書いた「こういう芝居を見たくない」というセリフに「こういうふうには思わない。やっていいはずだ。忘れられるのがいちばんつらいんだ」と演劇部に入部した避難転校生が「異議申し立て」をして、彼女の言葉がセリフになっていったこと。
・支援で劇をやったわけではなく、自分たちの目の前にいる避難者の坂本さんのために生徒たちは演じた。「この人のためにやる」という具体的な対象があり、その過程で自分が当事者になり、そんな当事者を増やしていくことが必要なのではないか。
・被災地でも本音を語れずに沈黙する傾向がある。その心の奥をセリフにして、互いの心をつないでいくことが演劇にはできる。こういうことは政治ではできない。そこにこそ演劇を含めた芸術の力があると思う。
1年8カ月、書き込みいっぱい。ぼろぼろの台本。 女優陣にいっつもいじめられてきた部長・たぐち~! |
上、大事に使ってきた大竹さんの台本。 下・男の子らしい(?)ずたぼろの田口台。「こら、表紙はどうした」 |
それらの一連の発言にウシトラ旅団の面々は深く共感していたのでした。隣の席ではソメビンが思わず拍手しながら立ち上がりかけていたのでありました。
東京と福島、浜通りと会津地方、その距離感があればこそ、ある種クールに問題に向かい合い、なおかつ具体的な顔を思い浮かべて、熱に浮かされたようにやれることをやる!
そんな感じはウシトラ旅団と大沼高校の生徒たちは、よく似ていたのでした。
1年前の3月、いわきで大沼の生徒たちに会って「この子たちはおれたちの同じことを感じ考えている。彼らは仲間だ」と思った直感は正しかったのです。
★ボランティア志願した生徒たち
6日の日程がすべて終わり、会津へと戻る生徒たちを見送った後、東京で新生活を始めた3人とウシトラのおじさん3人は、会場近くのインド料理のお店で食事をしたのでした。
まぁ、名目は御苦労さん会であり、東京暮らし出発の激励会でしたが、3人にゆっくり話を聞いてみたかったのでした。
田口君は大学の演劇科、増井さんはダンスパフォーマンスの専門学校、大竹さんはプロの劇団へ |
陽香役の大竹さんが言ってました。
「シュレーディンガーの猫は今日まで1年8カ月やってしまったのですが、そのうち1年はウシトラさんと一緒に歩んだんです」
この日の、あまりに凄い出来の芝居になるまでをウシトラ旅団は随伴しながら観てきたのでした。
より正確にいえば、大沼高校に連絡をとったのが昨年の1月でしたから、かかわりはもう少し長いのですが、よく俺たちはこの演劇に出会えたものだと感謝しています。
佐藤先生は、初めてウシトラ旅団の名前を聞いた時、「東京の劇団が『シュレ猫をやらせてくれ』と言っているのだ、と思ったと笑いながら語ります。
下北沢で演じること、『シュレ猫』がこんなふうに人々に注目されながら成長していくとは、思いもよらなかった、と言います。
成長の過程に付き合えたことはウシトラにとっても喜びでしたが、そんなことは問題外。
あの劇が、この震災で生み出された人間の関係性のもっとも重要なところをしっかりつかんでいたからこその成果だったと心底から思います。
大沼高校演劇部出身の子たちが立ち上げた「Cat Alive」の呼びかけパンフ。 |
『シュレ猫』をやり続けた彼らは、自分たちで被災者支援のボランティア団体をつくりました。
その名も 「Cat Alive」 おお、シュレ猫は死なずだ!
会長に大竹さん、副会長に主役・絵里を演じてきた増井さん。
「絶対に忘れない!」という劇中のセリフを足場に、彼らは新しい道に踏み出しました。
こんな動きも、演劇をやるために仮設住宅へ行ったり、そこでじっくり話を聞いたことが、踏み出すきっかけになったようです。
もちろんウシトラ旅団は彼女たちのサポートをやりますし、共同の行動もやっていくつもりです。
「機会があったら『シュレ猫』をまたやる?
3人は間髪をいれずに答えました。
「やります。やりたいです!」
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