★交流学習会(みんぷく研修所)
大熊町、富岡町の視察を終えて、楢葉町、広野町の様子を窓越しに眺めながら、いわきへ向かって6号線を南下しました。
いわき市中央台にある「3.11被災者を支援する連絡協議会(みんぷく)」研修所での交流学習会は、郡山から参加するという福島連帯労組や、仙台から来たという人に、地元のいわき自由労組、除染労働者などなど、おまけに韓国のテレビ放送局や通信社の記者もくっついて、なんと総勢80人ほどにも膨れ上がったのでした。
「この人数は交流会とは言わない。集会って言うんだ」なんて吐露する人もいて、(そうなんだよな。実は会場のプレハブの底が抜けるのではないかと心配されているんだぁ)と、私も胸の内でつぶやいていたのであります。
みんぷくの赤池さんに原発事故後の浜通りについて、説明をしてもらいました。
赤池さんはこのみんぷくの事務所が立つ中央台(開発新興住宅地)で、震災と原発事故直後から、消防団員として楢葉や広野の被災者の支援活動をやってこられた方です。
いまも被災者がどのような問題を抱えているかをよく知っており、それをどう解決しようとしているかを行政の動き、支援の側の動きの両方から見ておられます。
震災以後の流れと現状について、教えてもらうには最適です。
もう一つのテーマは被曝労働の問題です。
これは、いわき自由労組の書記長の桂さんから、地元の労働組合としての訴えを聞き、除染労働者のAさんと、Bさんに具体的な話を聞きました。
分かっているつもりでも本当に暗澹とした気持ちになり、怒りが湧いてきます。
被曝を軽減するという方策はまるでとられていないも同様、そして待遇も賃金も、ウソで塗り固めたやり方が労働者に押し付けられています。
興味深いやりとりがありました。泉玉露仮設住宅で「損害賠償勉強会」を主催している堀内さんが、除染労働者の問題について労基署の対応を質問したことです。
いわき自由労組・桂さんの「労基署交渉は星の数ほどやってきた。結局、除染手当(危険手当)問題でも管轄外として取り合わない」という回答を聞き、
「自治体へ働きかけが必要だ。自分も町長や職員にこれについて迫るよ。できることをやっていく」と、うれしい応援表明がありました。
除染労働で働いている人の半数は地元の人達です。
つまり、この問題は浜通りの人々の人権の問題でもあり、これからのいわき市や相双八ヶ町村の未来のあり方にもつながっていることなのです。
堀内さんの敏感な反応は被災者が抱えている損害賠償の問題と同様のものだと感じたのだと思います。こうしたことに一緒に知恵を出し、進んでいくことがとても重要だと思います。
11月10日には「町長を呼んで町政懇談会をやるんだよ。今度は逃さねぇよ。みっちりやっからな」という堀内さんをわがマイクロバスで仮設住宅へ送ると、ツァーのみなさんはバスから降りて彼を握手攻め。
堀内さんもいつまでもバスを見送ってくれたのでした。
★帰りのバスで聞いたツァーの感想(ほんの少し)
・もう帰れない、と簡単に自分は言ってきたのだけど、観念的だったと反省した。りっぱな町がここにはあったのだ。その重みをもう一度、噛み締めなければと思った。
・線量の高いところに初めて入る経験をした。除染労働者の話を広く伝えたい。このような企画をまたやってほしい。
・いわきへは震災直後に山谷の支援者も入っていた。県外ボランティアはもういらない、と言われたのだけど、今でも関わりをもちたいと願っている。被災地とつながるために何ができるのかを考え、今後の取組みにつなげていきたい。
・ゴーストタウンのような現場に行ってみて胸に迫ってくるものがあった。むなしさを感じた。被曝労働者が実際の作業でマスクもろくにしていないなど、驚くような話を聞けた。ゼネコンはいま福島関連で物資を収めるときに、「人を準備できるか」と要求しているそうだ。オリンピック準備で労働力を東京へシフトさせざるをえず、福島で働く労働者をどう確保するかの問題が出てきているのではないか。被曝労働者の事も含めて、日本のしくみを変えていくことを考えなければと思う。
・自分は南相馬出身で家も津波にやられているし、集団移転の問題などの課題が切実だった。みんぷくの赤池さんの話がわかりやすかった。原発事故による苦しみが広がっていることと、そこをどうしていくのかについていろんな人が考え関わっていることがわかった。識者と専門分野というだけでなく、生活全般をどうしていくのかに取り組まなければならないと思う。被災者のための新しい住宅、仮の町構想などを誰がどう描くかのか、こういうことで食い違いがある。未来のイメージをどう描くかに注目していきたい。
・貴重な体験をさせてもらった。自分なりに誰かに伝えなければと思った。夜ノ森のサクラの紅葉、こんなにきれいなのに人が住めない。被曝労働者の話はこんなことになっているのかとショック。自分の頭の中にいろんなことがぐちゃぐちゃに出てきているけど、教員としてしっかり考えて、子供たちによりよい未来をつくるようにしていきたい。
・ウシトラ旅団の現地との長い付き合いによる、よく作られたツァーだった。感謝したい自分が住んでいるところで運動することでつながっていくことを目指してきた。職場の地下通路で毎日、福島産の野菜を売っている。12月1日に荒川で反原発の集会をやるので、被曝労働者の話も伝わるようにしていきたい。
・いろんなものがギュッとつまったツァーだった。見て学んだことを組合員に返して、福島の問題が風化させないために、今日のことを消化して明日からの糧にしたい。
・(報道取材のために)福島には10回ほど通ってきたけれど、戻ったら普通の生活があるというギャップの中にいた。これからもとっと頻繁に通いたい。日本でも海外でももっと報道していきたい。
・除染労働の仕組みをきいて深刻な状況と矛盾を知った。盛りだくさんのツァーだった。
・ひとりではなかなか行けないところに案内してくれて感謝。サクラの紅葉、たわわな柿の実、りっぱなお家、すばらしい様子なのに人の姿だけがない。目で見て自分なりに感じることができた。運転手さん、ありがとうございました。
・気持ちが重いまま参加したのだが、来てよかったなと思う。大熊町の様子など、何をやっていったらいいか、突き詰めて考えてみたい。
第2原発近く。常磐線はすっかり草に埋もれて線路が見えない |
・福島(浜通り)に来たのは2回目。今回はスケジュールがきちんと立てられて、内容もよかった。これまで津波の被害などみても、当事者じゃないのでどうやっていったらいいのかと思うところが多かった。これから反原発のありかたを考え直していきたい。
・TV、新聞などで見るのと全然違ってリアルに迫ってきた。濃い内容を準備したスタッフと運転手さんにお礼をいいたい。
・風景に打ちのめされた思いがした。富岡の様子と(いわき市の)「道の駅よつくら港」の演出されたような不自然さ。当事者なのに当事者ではないようにされてしまっている気がする。今日のような体験は大事だ。東京でも想像力を研ぎ澄ますことが必要だと思う。被災者との出会いも、3.11直後に足立の武道館で、止められるのを振り切って炊き出しを強引に始めたことでできた。人と出会い、対話をすることをやっていかなければ。みなさんとこれからも協力をしていきたい。