富岡町・泉玉露応急仮設住宅自治会の『自治会旗』について、少し書いてみます。振り返ってみると、自治会と支援との関係など、この旗はいろいろと考えるヒントになってくれるのです。
冒頭に掲げた写真は、昨年夏だったかと思いますが、富岡町が主催した「仮設自治会のど自慢」の決勝大会に掲げられたものです。各仮設で予選が行われて、この晴れの舞台(?)、被災者は自慢の喉を披露したのでありました。
そこにしっかり自治会旗は掲げられていたのです。
先日の中央メーデーで、仮設のおっかさんたちが作る「さくらさかせるぞう」を売り切ったのも、この自治会旗のおかげが大きかったと思います。連合西北ブロック地協のみなさんはじめ、多くの人の善意と協力で完売できて、感謝しております。
その時、この旗があるとなしでは結果が随分違っていたように思います。
見ての通り、旗と称しているけれど、実は横断幕です。これを追い込み網にして、お客さんを売り場へと誘ったのでありました。
この旗が自治会によって初めて掲げられたのは、2012年1月6日、仮設で行われた餅つきの場でした。自治会が自分たちでやったもっとも大きなイベントでした。
ウシトラ旅団は、まだ泉玉露仮設住宅に入り始めて日が浅く、初めての大掛かりな「作戦」でした。
この餅つきの準備会議の様子について、こんな報告をしています。
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12月の打ち合わせの折に、喧々囂々のお好み主張、時の氏神の如くに現れた副会長の奥様の女丈夫が一言の下に抑え込んで、この三種と具材の決定で事無きを得たのでありました。
いや、この方、素晴らしい!
当日の餅つきも開始から締めまで獅子奮迅の働き。
そう、その12月の打ち合わせの時に言っておられました。
「男は搗くことと食べることしか頭にないんだから、餅つきをやるには女性を集めなければいけません。だんどりと進行は女性しかできません。男はなんでもその人たちの言うことをきいて、動くよという気でいてください。ええ、大丈夫ですよ。声をかければ20人くらいはすぐに集まってくれます」
まったく彼女の言うとおりだったのでありました。
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事前の会議は、自治会役員(男衆ばかり)と、テモテ教会、ウシトラとそのお仲間(いわき自由労組)で、行われたのですが、なんだか船頭が多くてエベレスト山に登りはじめた時に、見かねた西原副会長が「かみさんを連れてくるわ」で、なんとかなったのでした。
いま、「さくらさかせるぞう」制作などで、仮設の女性陣の中心にいる千賀子さんとの出会いでした。
その会議の席でわたしは「賑やかにやりましょうよ。旗や横断幕を作りしましょう」と提案して、それを準備することになったのです。
もちつきの幟と、意気上がるような幕を用意しようと思ったのでした。
私の頭にあったのは黒澤明映画『七人の侍』の○が6つに△がひとつ付いた旗でした。野武士に襲われて、危機に陥る村の藁葺き屋根に翻った旗です。危機に負けず力を合わせようという気になる旗!
わたしは、まだ、できたばかりの泉玉露応急仮設住宅で、人々が一つになれるような旗印を上げたかったのです。
会議の中で横断幕のイメージを出したのは役員の重鎮・横須賀さんだったと思います。「がんぱっぺ! と、サクラ」です。
それから数日、鶴ヶ島広報隊のアライさん(デザイナーにしてブログやHPを一手に引き受けています)にしつこくやり直してもらって、データが完成したのでした。
もう年末、もちつきまで数日。間に合うかどうかという綱渡り。安くに確実に仕上げてくれるところを水戸に探し当てて、連絡をとりました。返って答えが素晴らしかった。
「わたしも双葉の出身です。心を込めて作らせて頂きます」。
ソメビンがよく言う「俺達は人の善意を拾い集めてやっている」の1例でした。
泉玉露応急仮設住宅の自治会旗は、当然のようにイベントのたびにあげられるようになりました。
自治会長の役目を昨年8月に途中で引き受けることになった川上さんが、玉露仮設ののど自慢予選で優勝し、代表として大会に出場したときには、自治会旗は一緒に会場へ向かったのです。
噂によれば「あんた、そんな大変な役を引き受けるなら、離婚だからね」(笑)と脅していたという奥様も、この自治会旗の前、先頭に陣取って、いとしい夫の舞台に声張り上げて応援したのであります。
入賞は逃したのでありましたが、
「あんなりっぱな旗があったのは、うちの自治会だけだったよなぁ」と、みなさん語り合ったというのです。
「あんなりっぱな旗があったのは、うちの自治会だけだったよなぁ」と、みなさん語り合ったというのです。
自治会を代表するシンボル。「生きる!」という意志を表すものとして、根付いてほしかった。
そして、フェイスブックの「富岡町泉玉露応急仮設住宅自治会」の写真はこれです。
そして、フェイスブックの「富岡町泉玉露応急仮設住宅自治会」の写真はこれです。
ウシトラ旅団一周年記念報告会、「一緒に生きようライブ」にもやってきました。被災者のことを忘れないで、と100回言うよりこの旗がここにあることがアピールになりました。こうして、たまに東京に出張ってきて、自治会旗は私たちと一緒にいます。
忘れてはならないことがあると思っています。
仮設暮らしの日常の中にいる人々こそが、この旗の持ち主だということです。
こうしてプレハブの通路・路地で、自分たちが作った漬物やお菓子を持ち寄って、無理矢理にでもおもしろいことを見つけて笑い合って「今日も生きていく」と、心を決めている人たち。
あるいは、餅つきのような大きなイベントを背後でしっかり支えている、お母さんたちの生きようです。
初めての餅つきの後、イベントを支えきったお母さんたちのささやかな打ち上げ。 |
とにかくよく笑い声があがる路地の青空カフェ |
仮設に行く、というのなら、この路地の青空サロンにこそ参加して、語り合って欲しいのです。
写真は、関西からやってきた学生さんたちを案内したときのもの。おっかさんたちに、
「まぁ、かわいいねぇ。泊まっていきなよ。うちは広いから寝られっぞ」なんて、歓待されるのであります。
現場で学べ学べ 学生さん |
「さくらさかせるぞう」の販売を引き受けているグレイス教会の増井さん(牧師さん)に、言われたことがあります。
「泉玉露仮設がどうしてうまくやってこられたのか、記録に残したいですね」。
何より、この仮設住宅の人たちの明るさを引き出した住人たちの努力があったのだと思います。
また、仮設設立の初期にけして表にでしゃばらずに、きちんと活動を行った現地のテモテ教会のボランティア、そこからつながったグレイス教会のあり方がとても大きかった。
私たちはその基礎の上に、外からやってきてできることを少しだけ派手にやったということなのだと思います。
住民の力、支援とは何かをそれなりに考えることの出来た「大人」の仕事でした。
「がんばっぺ! 富岡町泉玉露応急仮設住宅自治会」の旗にはその経験が染め抜かれています。