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2013年3月27日水曜日

お盆にこの演劇を上演!




★『フェスティバル2013 全国高校演劇研究大会』(いわき市)

3月23日・24日に高校生たちの演劇を見に行って来ました。
いくつかの作品を見させてもらったのですが、お目当ては開催県の枠で、最後に上演された福島県立大沼高等学校の『シュレーディンガーの猫~Our Last Question~』でした。

実はこのフェスティバルは地方ブロックの予選で最優秀を取れずに、夏の全国大会へ行けなかった作品の内から推薦されて、上演が行われるものなのだそうです。
会津美里町の大沼高校演劇部がいわば全国大会への道を絶たれた時の「講評や批評」について、「東北でも震災被害が風化しつつある」と報じた新聞記事に、ウシトラ旅団の数人が怒りまくったのでした。
むろん、その怒りは、この作品が一等賞を取れなかったという結果についてではなく、生徒たちが福島の問題に正面から立ち向かった演劇に対して、評価する側が「正面から」向きあおうとしなかったらしいことについてでありました。


避難者の二人。活発で芯の強い絵里(黒ジャージ)は自分を支える好きな歌を、みんなに名前も覚えてもらっていない孤独な弥生(青)に聞かせる

事の結果を報じた福島民報はこう書いていました。
『震災と原発事故を題材にした大沼高(会津美里町)の演劇に対し、他校から「重いテーマを重くやられた感じ、疲れる」「(震災を)見せ物にしている」などの講評が寄せられた。審査員の一人も「疲れた」と感想を漏らしたという。結果は本紙既報の通り最優秀でも優秀でもなく、優良賞だった。
 審査がある以上、優劣がつくのは当然で、結果についてとやかく言うつもりはない。残念なのは、被災地の視点で問題に真正面から取り組んだ姿勢に対し、冷ややかな見方があった点だ。講評者名は伏せられているが、関係者は「被災しなかった地域の生徒の意見ではないか」と推測している。思いを共有してくれていると信じていた東北での否定的な反応に、部員は落胆している。心を占めているのは悔しさより悲しみだろう』

旅団長は、怒っておりませんでした。
嫉妬で目が濁る、んな連中はいるだろうし、風化なんていえば「絆」やらのごたくで塗りたくった支援や心持ちは、すぐに風化するに決まっている。
そんなことより「共感の回路をどう作るか」を考えねばなりませぬ。
というわけで、例のごとく喚いてしまうもんね。
「この演劇、東京でやっちまおうぜ! 評価はそこで見てくれる人にやってもらえばいいじゃん」


「かわいそう」だから原発被災者を演劇にしようとするのか、自問して聡美(左端)が出す結論は


★お盆にやるべ!
ソメビン、走り回り、あっという間にプロデュースをしてくれる人を見つけ出し、あっという間に本多劇場系列の「楽園」で、お盆興行の日程が押さえられたのでありました。
顧問の佐藤先生に連絡を取り、「やろう!」という話になったのでした。
23日には、ウシトラはプロデューサーのHさんと一緒にいわきの一夜。
どんなふうにやりたいか、佐藤先生と話し込みました。
「この子供たちにしかできない演劇です。ありのままの子供たちの演劇として表現するようにしたい。本多劇場なんて、大変な経験になるし、ぜひやりたい」
そんなふうに先生はおっしゃるのでした。

24日には、鶴ヶ島広報隊アライ隊員が聴覚障がい者の運動に取り組んでいる人を引き連れて、上演場「アリオス」にカメラを引っさげて登場したのでした。
(この演劇を聴覚障がい者にもどうにかして観てもらう工夫ができないか、と考えているのです)。




★すごい! まいった! やるぞ!

「拙い作品」と謙遜していた先生の言葉は、とんでもないものでした。
もともと、富岡町から避難してきた女生徒が大沼高校の演劇部に入部したことが、この劇の誕生につながったといいます。
避難者の生徒、それを受け入れた学校の生徒、それぞれの心が深化していく過程が見事に描かれているのです。

出演する8人の生徒さんたちの見事なキャラクター。
たしかに先生が言うように、「あの子たちにしかできない劇」なのでしょうが、きっと現実に起きている事象を真正面から見つめています。
そこには、避難してきた生徒の「同情はいらない」や「怒りじゃない、悔しいんだ」の言葉の意味や、それぞれに違った思いを抱えて、それでも考え続けている受け入れた側の生徒たち、メディアの上調子などが浮き彫りにされていきます。
350人の小さな会津の高校の生徒と顧問が作った劇は、まっすぐに私たちを打ってきます。


旅団長は、終わった途端に二階席にいたHさんに向かって、親指を突き上げていました。
すこし後ろで見ていたソメビンは「参った、やられた。もう涙がとまらない」。
実際、旅団長はラストの5分間、自分の口を両手で抑えこんで、嗚咽が挙がるのをかろうじて我慢していたのでした。
演劇を見て、こんなふうになったのは初めてでした。


絵里が転校してきてダンス部はメディアの寵児。だが、ずっとダンス部を支えてきた陽佳(右端)の様子が変。学校のリーダーである陽佳の心のうちは……。

畳み掛けるように、一人でも生きていくという意志、仲間として生きるというシンプルで根底的な「勇気」が、舞台上に立ち上がってくるラストをたくさんの人達と共有したい。
大沼高校の演劇部のみなさんは、わたしたちウシトラ旅団がやろうとしてきたことを実現しようとする仲間です。


上演直後、大沼高校演劇部員の真っ直ぐな目にたじろぐ、さっきまで泣きべそをかいていたのソメビン

どうしても東京でこの作品をやりたい、必ずやる! と思いを強くしました。
お盆の数日間のぶち抜き公演です。
みなさまのご協力をお願い致します。







2013年3月13日水曜日

3.11 泉玉露仮設合同慰霊祭


★手作りで合同慰霊祭

東日本大震災からまる2年を迎えたこの日、泉玉露応急仮設住宅では三回忌の合同慰霊祭が行われました。
行政はあちこちでそれぞれに日をずらしたりして慰霊祭を行い、東京では政府主催のそれが開催されていました。

泉玉露仮設は自分たちで「やる!」の心意気です。
仮設のおっかさんたちが朝早くからいなり寿司や団子をつくる作業に入り、男衆は祭壇や椅子をそろえて会場の準備をしていました。
ウシトラ旅団の関係者は、Nさんが人形劇のお仲間を誘って、お母さんたちの作業の手伝いに入っておりました。

練馬から出発したソメビン車が、途中で事故渋滞に巻き込まれ、何とかたどり着いた時には、すっかり準備は整っておりました。
昨年の慰霊祭のあと、懇ろに弔ってきた塔婆を伴って北海道からやって来られたお坊さんにご挨拶して様子を聞いてみれば、
何だか、昨年同様のたくさんのお坊さんが来られるらしい。



★いい慰霊祭だなぁ

今年も慰霊祭をやるというので、カッチョイ(自治会・支援者活動調整委員会)で話し合った時に、雨の場合について検討していたのです。第二集会場での開催と、動線を決めていて、本当によかったと西山さん(連絡員)と、手を握り合いました。
前夜から風が強くてテントを張れず、屋内での開催に決めたということだったのです。

始まればおよそ百数十人がびっしりと参列し、祭壇の前には、各宗派のお坊さんや、テモテの木村司祭(聖公会・カッチョイメンバー)が、おすわりになられました。

川上自治会長の開催挨拶が素晴らしかった。
地震・津波の犠牲者への追悼の気持ちと、原発事故によるこれまでの苦労と、それを乗り越えて一緒に生きていこう、というメッセージがそくそくと伝わるものでした。


やがて読経の中で焼香の列が続きました。
思わず旅団長は、自分の兄弟や親戚の十数人を津波でなくしたと語ったHさんのほうに視線が行ってしまいます。
少しずつでも区切りをつけながら、前に進むしかないのだと思いながら。
私にとって、焼香も2時46分からの黙祷も、「必ず、ここにいる人達の生存権を政府に保障させるまで頑張る」と誓うことでした。
昨年も同じようにこの祭壇に向かって誓い、どこまでできたかなとも思うけれど、やり続けるしかありません。

慰霊祭が終わって、仮設の女丈夫、西原千賀子さんと話しました。
彼女は昨年は石巻の慰霊祭に呼ばれ、今年、始めて自分の仮設住宅の慰霊祭に参加したのでした。
「町も一昨日だかにやったらしいのですが、やっぱり、自分たちで手作りしたここの慰霊祭が本当に自分たちの心に叶う、いい慰霊祭でしたねぇ」
私も、まったく同じ感想を持っておりました。





犠牲者を慰霊し、残されたもの・原発事故被災者を励ます早川和尚の法話
http://chirb.it/CB1cdh で法話が聞けます



★仮設外からの弔問客

泉玉露仮設は開かれた雰囲気の仮設住宅です。
富岡町の方々でこの仮設ではなく、借り上げ住宅(みなし仮設住宅)に住んでおられる人や、他の双葉郡の町からいわき市周辺に避難している人たちに対しても、この慰霊祭にいらしてくださいと呼びかけていました。
たぶん、多くの人達がこの仮設での合同慰霊祭にいらしていたことだと思います。

支援者もウシトラ旅団が協力しながらともに活動してきたテモテ教会、グレイス教会や、個々に私たちがつないできた気持ちに溢れた人たちも、なんだか勢揃いの様相でした。
ボランティア団体として入ってきた者の以外でも、仮設を撮影し続けてきた映画監督、いわき駅前でひとりで「原発嫌だ」の声を上げてきた女性、社協関係者、手伝いを何かしたいと思ってもなかなか手ががりがないと思っていたのだけど、と語る御近所の人……。
こういう慰霊祭のような場が、それぞれの立場で考えていることを語りあって突き合わせ、次の行動につなげていく発想の機会でもあります。

ウシトラは、被曝労働の現実を伝えていく「写真パネル」広報への協力、お盆にやらかそうとしている「会津の高校生の演劇」の準備の話をしておりました。


「お盆に会津の大沼高校の演劇部を呼んでぶち抜き公演を東京でやります。生徒たちを励ましに来て下さい!」 
俳優・近藤正臣さんに旅団長は迫る!


★子供たちも、今しばらく、ここで生きていく!                                  

慰霊祭が終了してしばらくして、子供たちは学校から帰って来ました。すっかりお馴染みの顔に、最近はチラホラと新しい顔もみるようになってきています。

昨秋に行われた「泉ふるさと祭り」で、仮設の子供たちは「子供クラフトお店やさん」を出店しました。
そこで上がった収益で手に入れたのが、これ『大海賊の秘宝』というゲームだそうです。
あれから旅団長もよく「ソメビンはどこにいるの?」「ぼく達のお金はどうなってるの?」と催促されたものです。
とにかく、彼らにこのゲームを決めてもらい、売上げ3000円ほどは子供部屋(第1集会場)に置かれる海賊さんのお宝となりました。

その節、ご協力頂いたクラフトの先生はじめ、多くの皆さん、こんなふうにささやかな成果を子供たちに渡しました。
ありがとうございました。



今年は正念場です。
仮設の人々が恒久的に住める住宅の確保。生活の補償、損害賠償問題。健康問題……。
そして、なりより放射能から少しでも離れたところで、子供たちの生活と教育環境を保証していくこと。
それらが焦点化していく一年になるでしょう。

こうやって仲良く暮らしている子供たちを、またバラバラにして辛い思いをさせたくない。
この子たちがまとまって、よりまっとうな暮らしができるように、みなさんの力を結集してください。
ウシトラと一緒に進みましょう!      
                               ★旅団長

2013年3月8日金曜日

3.11 泉玉露仮設合同慰霊祭予告



★泉玉露応急仮設住宅で合同慰霊祭

今年も仮設住宅自治会が独自に「合同慰霊祭」を行います。
富岡町は、郡山市に役場を置いていて、そちらで町主催の慰霊祭を行いますが、泉玉露は住民主催で仮設と周辺にいる人々に呼びかけて、慰霊祭を行なうということです。
仮設だけでなく、借り上げ住宅にいらっしゃる富岡町からの避難者、他町村からの避難者も来て下さい、と呼びかけています。

ウシトラ旅団は昨年も慰霊祭のサポートを行い、ソメビンのおやじ様が書き上げた塔婆は、いま北海道のお寺様に行っています。
その塔婆は、北海道のお坊さんといっしょに空を飛んで泉玉露にやってきます。

「あなた方はお願いする立場ではありません。要求する立場なんです」
昨年のこの日、そんな法話を行なった自身も避難者であ浄林寺の早川和尚が、三回忌となる今年にどのような法話をしてくださるのか、そんなところにも注目をしています。

★12時からほっこりカフェ
自治会のおっかさんたちが、ほっこりカフェとともに、お供えの団子やいなり寿司を作るそうです。
第2集会所での作業になりますので、この作業の手伝いをしながら交流もできます。
ウシトラからは、クリスマス会の折に参加したNさんなど3人のご婦人方が、押しかけることになっています。
泉玉露仮設はオープンな雰囲気の仮設住宅です。
いっしょに大震災被害者の冥福を祈り、被災者とともに生きる気持ちを固めるために、心ある方はぜひどうぞ。

富岡町は郡山市に町役場を置いており、そちらで町主催の慰霊祭が行われるはずです。
それでも浜通りからは遠い。
どうぞ、みなさん、泉玉露へいらっしゃって下さい。


☆駐車場は近所の公園です


☆時程

12:00  ほっこりカフェ開始 
14:00慰霊祭開始
14:46黙禱   
15:00終了