ありがたいお風呂をただで頂いて、キャンプ地に戻り、ひと遊びすれば、今夜のメインイベントに向けて、一休み。
養鱒公園から合流してきたシゲッチ隊員は、大阪から届いた帽子をいっぱい抱えておりました。
子供たちのキャンプの思い出に、帽子なんぞ、寄付で出してくれないかと、旅団長がモンベルのちょっとえらいさんにお願いしていたものでした。
「はぁい、ちっちゃい子から並んで。自分のお気に入りをかぶってみて」
また、ここでも旅団長は驚いたのです。
さささ、と一列になって、俺が先だの、あれがいいのだの、諍いのかけらもないのです。
当たっているのどうか、わかりませんが、この子たちは避難所暮らしを経験してきた子たちです。
このように、静かに並ぶことも、ささやかなわがままをいうこともないことが当たり前になっていたのではないか。
いや、そんな経験を経て、自分の仲間うちでも小さな子を優先していくというような、心の中のルールがあるのではないか……。
なんだか、しんみりした気分。
そんな話を後日、会計長に言ったら、
「特に田舎の子供は、自分が無視されるとか、ないがしろにされるということはないと、しっかり信頼感があるんだよ。まわりみんなに愛されて育っている」と。
うん、そうかもしれない。
ま、それはどうあれ、「大阪はこっちの方向だな。お礼を言おう」と言えば、打ち揃って、大きな声で「ありがとうございました!」と、おじぎをするのでありました。
★火起こし名人、登場
で、最後の晩。この夜のメシはメインディッシュは自分たちで釣ってきたマス。
おまけにそれを料理する火も自分たちで起こすのであります。
すぐ近くに「こめらの森・南会津」というNPO法人があり、自然体験を通して子どもたちの“根っこを育む”活動というのをやっておられます。
震災後は、特別企画であまりにお安いお値段で、一週間まるごと子供たちを預かって、生きる力をつけようというプランをやり続けております。
その代表が大西さん。
その昔、テレ東のTVチャンピオンで「野人チャンピオン」に輝いた好漢であります。冒険野郎であります。
火起こしはお手のもの。ん千メートルの零下の頂上で、ゴシゴシ火起こしなんぞをやられてきた人であります。
インタナショナル火付け師は、人類が世界各地で行なってきた火起こしの方法、各民族がいかに火を大事に使ったか、それにまつわる伝説や民話の話をしてくれました。
そして、まずは火を燃やすための枝や薪を探してこい! でありました。神聖にして、生活の道具である、人間にとっての特別な存在である火を手に入れる第一歩なのであります。
拾ってきた薪はよりわけて、炉に着火して燃え上がりやすいように組み上げます。
いよいよ、火起こし。
大西さんは天に祈り、地に願います。
声は出さずとも、まだ神々が我らの周囲に普通におわした頃の火へ憧れと畏れを子供たちの胸に刻みつけます。
ソウヤが「恐い、恐い」と半べそをかきながら、ママのうしろに逃れようとします。
そうだ。その感性が正しいんだよ。その感受性が大事なんだよ、とそこにいたスタッフは、口に出さぬままみな思っていたようです。
(*注 子供たちの名前はすべて仮名です)
しかし、まぁ、そこからがやはり大変。
こどもたちの奮闘ぶりを見てやってくださいな。
入れ替わり立ちかわり、ゴシゴシやってもほんの少し、煙が出てくるだけ。
才能を発揮したのが、最年長の5年生リカでありました。
こうして女の子たちの炉には火が入ったのでしたが、男のほうがうっすら煙が出てくるが、火種にするところまでなかなかに行き着かないのであります。
「ご飯が食べたぁ~い」
大きな声で切実な声を上げながら必死に、あじさいの棒切れをこすりつけるのでありました。
しかし、ここでも天性のフレアがあがるのです。
リカの助けを借りたとはいえ、いつも控えめな、ノブオがぐいんぐいんと煙をあげて、ついに火種まで持っていき、シュンとの連携プレイで炎までもっていったのでありました。
見ていると、火起こしは力ではありません。
丁寧にやろうとする集中力が火の神に届き、愛されることでありますね。
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