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2012年7月29日日曜日

子どもサマーキャンプ日記(1)

子どもたちと、パパ、ママ


★山村道場へ到着
意外に大人しい子どもたちを引率して、キャンプ地の会津山村道場に到着したのは、予定よりも30分ほども早かった。
途中、「道の駅 下郷」で持参のお弁当を食べて、「もう、会津は過ぎたの?」「いえいえ、あの山のあたりだよ」と、会津の山々を眺めてのキャンプ地入り。順調順調!

「もうすぐだ」と、語るとがぜん、テンションが上がって来ました。
出迎えてくれたのは、さきにすぐ近くの「こめらの森」(「子どもを一週間預かって、里山体験をさせている)に入って手伝いながら、こちらのキャンプの準備をしてくれていた、意気地なし隊の渡辺さん、そして東京から早くにやってきたソメビン。
彼らも何故か、嬉しそうにしています。

参加者は、泉玉露からの参加者は12人。小学5年生が最年長、タロウとアンナの班長さんです。一番下は、ソウヤ5歳。お兄ちゃんたちのやるとおりについていくのがうれしいのだとか。
まことに、ガイダンスの時のお返事が「はい!」と誰よりりっぱで、「お返事はソウヤに学べ」が隠れたスローガンでありました。
(*注 子どもたちの名前は仮名にしてあります。)

また小さい子のお父さんとお母さんの2人がお手伝いに一緒に来てくれました。

一番年かさだった6年生が体調を崩して、参加できなかったのが残念だったのですが、タロウは見事に班長の役を引き継ぎました。

出迎えた渡辺さんは「マリオ」の自己紹介とともに、「○○グー!」(サムアップのサイン)に「いいね!」のサムズアップで応えるコールサインでもって、一発で子どもの心を掴みます。
ううん、つかみはオッケーのうえに、「子どもたちだけでけっして森に入るな」と、どうしても必要な注意を意識させました。
実は、子グマ目撃が数日来あって、注意しなければあかんかったのです。

ウシトラの計画なのでありますから、まぁ、分刻みの行動なんてのには無縁、ざっとしたものであります。
「ウサギを見に行こうか!」と、飛んで行きました。
山村道場はそのむかし、大きなウサギを育て、(たぶん)兵隊さん向けの毛皮を生産していたらしくて、その末裔たちが芝の一角で暮らしているのでありました。

子どもたちは大喜び、金網の隙間や上から、周囲の草を差し出しては、身体をなで「かわいい、かわいい」を連発。
近くで、トンボやカエルを捕まえて遊びはじめたのでありました。

そうこうしているうちに、池袋発の車両長バスが看護師の鈴木さんと、記録係鉄兵をのっけてやってきました。
重いカメラを準備して、鉄兵が子どものところへやってきたころには、みんなは池のおたまじゃくしに夢中でした。



★今晩のおうち
子どもたちはテント泊です。
仮設からの父母や手伝ってくれるスタッフは、なかなかにりっぱなロッジに休んでもらうことにして、旅団長、ソメビン、そしてマリオ(今回はこの呼名でいこう!)は、久方ぶりに子どもたちと同じように地面に寝ることにいたしました。

ソメビンより「寝たいところさがそ!」と、声がかかり、子どもたちはややとまどい気味。
無理もないよねぇ、小学生には広すぎるテントサイト、用意されていたテントは子どもたちには運べないほどでかい。
おまけにそれとなく、奥には張らせない配慮がわが大人3人組には働いていたのでした。
まず、心配はないとはいえ、「クマが来たら、まず俺らが相撲を取る」の気持ちだけはありましたゆえ、森よりに大人3人のテント、炉と建物近くに子どもたちのテントを張ってもらったのでありました。
風向き、斜面の状態なんてのを教えつつ、それとなく「自分たちの寝たいところ」に、決定させてテントを張らせる、という高等技。









「重ォいよ」
「届かなぁい!」
「ねねね、カナヅチかしてぇ」
「折れちゃった」
かくして、子どもたちの涙の奮闘努力なのでありました。

しかし、ここでもやはり班長ふたりは不満も言わず、率先垂範。
あたかも旅団長にリーダーたる心得を体を使って教えてくれているかのようでありました。





いやいや、どの子もまるで自分の役割がはじめからわかっているかのように、よく働いたのでした。

「集中、はぁい、注目!」と一声かければ大人の話が聞ける。
旅団長はまさにいっちばん最初に
「ばらばらに話を聞きに来たり、大事な話を聞き逃したりしたら、旅団長たちは何度も同じ事をしなければいけないだろ。だから、話を聞くときには、集中してね」
と、いうセリフを一回言っただけなのでした。

キャンプの始まりの瞬間から、この子たちにおじさんたちは、「やられてしまった」のでした。
いったい、これは何なんだろう……。

その夜、鉄兵は
「すごいぞ、あの子達、何かやるのにもちゃんとどうしたいかはなししてて、民主主義があるんだよなぁ」
しみじみと、語ったのでありましたが。 


(* 子どもたちのいい表情の写真がいっぱいありますので、facebook の艮旅団を覗いてみてください。
http://www.facebook.com/ushitoraryodan )

2012年7月24日火曜日

さぁ、キャンプだ、ホイ!


いよいよ、こどもサマーキャンプが始まります。
旅団長は、本日、泉玉露応急仮設住宅に入り、明日の出発に備えます。
向かうは、南会津の山村道場。
広々とした草地と、大きな樹木が周囲をとりまく絶好のキャンプ地です。

ここを選んだのは、さまざまに理由があったのですが、その中でも大きな理由は、とにかく放射能汚染が少ないということでした。
実際に測ってみましたが、なにしろ、東京より低いのではないかと思える数値なのです。

ここで、泉玉露の子供たち13人と、付き添いのお父さん、お母さんの2人。
そしてわがウシトラ旅団のスタッフが入れ代わり立ち代わり、一緒に3日間を過ごします。

今回も、この企画に協力してくださる方は、看護師さん、栄養士さん、小学校の元教頭で理科の先生、はたまた日本拳法の師範というジツリキある人々が名乗りをあげてくれたのでありました。
日本拳法師範は、薪割り、飯炊きなんでもやると言っていますので、素手で薪割りをやらせようと思います。「チョエッツ!」って、違うか(笑)。







大熊町・好間工業団地には、ガールスカウトの人たちが支援に入っており、仮設に緑を増やすことなどに取り組んでいるようです。暑い夏の日差しを避けるヨシズ掛けも見ました。いい目の付け所だと感じます。


残念ながら、大熊町の子供たち(好間工業団地応急仮設住宅)は、このまま子供たちだけで出すことが心配だということで、参加を断念されました。


もともと、参加申込みが2名と少なかったこともあるのですが、ずっと入り続けてきた泉玉露仮設のような信頼感が、まだまだウシトラ旅団に対して、ないということだと思います。
活動領域を広めながら、大熊の人たちと一緒に進み、本当に信頼してもらえるところを目指さなければならないと思っています。


もう一つは、それぞれの自治会の個性というか、意識の違いもそこには存在しているように感じます。
自分たち自身の手で、自治会活動や生活を作っていくというときの、人や組織の体制、意識というのは、本当に難しいところがあります。



キャンプを準備している最中、いわき市で開催された「ふくしまフォーラム」というものにもチラリと参加しました。
泉玉露仮設と行ったり来たりでしたので、まるで、つまみ食いのような参加の仕方だったのですが、たくさんあった分科会で私が参加した「被災者支援」では、「3.11被災者支援いわき連絡協議会」が立ち上がったことを知りました。


事務局員が常駐する事務所もすでに準備しているそうで、これから、ここがいわき市における支援活動のセンター的な機能をはっきしていくことになると思います。


原発被害でいわき市に逃れてきている双葉郡の人たちを、町の垣根を越えて結び合わせ、自分たちで立ち上がっていくことを支援する、という発想でしたので、大いに期待しています。
そこには、行政主導でこれまで、あまり効果を上げてきたとはいえないやり方で、不満プンプンだったありかたを越えて行こうとする意志がみられます。


むろん、ウシトラ旅団も、この連絡協議会に参加することになると思います。




会津名物・こづゆ  
講師や仮設住民と打ち合わせしつついただいたのです。よろしいお味でした。


そして、またまた、その頃、ウシトラ旅団は会津若松にも出没したのでありました。
大熊町から避難してきている人たちと一緒に、「これから」についての勉強会をしたのです。
「仮の町」構想が語られ、あれこれと思惑やら想像やらが先行していますが、実際にはどのような問題がそこに発生するのか、補償はどうなるのか、といったことを、地方自治や補償問題に詳しい講師を派遣して、勉強と個別相談を始めたのです。


これは、とても重要なことであり、かつ、被災者自身の関心も高い実践的な問題ので、会津若松だけに留めず、いわき市などを中心に広めていこうと考えています。


ウシトラ旅団は、子供たちと遊びつつ、大事なことにも取り組み続けていくのであります。



これも会津名物の玩具、はりこの「赤べこ」。
虎さん相手に一歩も退かぬのであります。
これこれ、喧嘩はよしな。俺たち、ウシトラだろ?!