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2012年5月17日木曜日

5.12「5月カッチョイ」 5.13「もみもみ肉球班」

ウシトラは連日行動。


12日に、自治会・支援者活動調整委員会(カッチョイ会議)に参加。翌13日にのぼセンセの「肉球班」が泉玉露仮設に入りました。


★カッチョイ会議

カッチョイには、森川自治会長、西原副会長、西山連絡員が自治会側から、支援者はテモテ教会のお二人に、いっしょにいらした泉玉露の 泉グレイスチャペルの方、そしてウシトラ旅団から旅団長とソメビン隊長、あとから駆けつけたいわき自由労組の斎藤さんのメンバー。

議題は夏休みに向けての準備が主なものでした。

☆「ほっこりカフェ」
これまでずっとテモテが支えてきた「ほっこりカフェ」の体制が変わります。
自治会自身の手で開催していくことになりました。
週3回、この仮設の住民が集まって自由に話す場をつくってきたテモテのみなさんが、いわばすこ~し身を引いて、自治会に「事業」をわたしていくということです。

テモテは本当にりっぱです。
一番先に、ここへ入り、そして、軌道に載せていきながら、自治会の自主的な運営に任せていく、という方法をとったのです。

「自治会の自立を!」と口でいうのは簡単。
でも、支援者としての思い上がりもみずから許さず、きちんと自然に、手渡そうとしています。
「うまくいかなければ、また戻せばいいんだから」という、おおらかな立場。

こういう感覚(一見、いいかげんにみえるかもしれないが)は、実は非常に大切に思えます。
そのうえで、やるべきところはきちんと押さえて、支えているのです。

☆子供たちへのケア
グレイスチャペルは仮設のすぐ近所にあり、これまでも「さくら咲かせるぞう」の事業を支えてきたところです。いまも、ぞうさんの注文先、販売の引き受けで頑張ってくれています。
夏休みに向けて、今度は、子供たちが勉強したり、遊んだりする場をつくる課題に取り組み始めました。

週数回、放課後や夏休み中に、いわき明星大学や福島工専の学生さんたちの力を借りて、そんな場を継続的に作っていこうというわけです。
もちろん、ウシトラもできるところを手伝っていくつもりです。




☆子どもサマーキャンプ
こちらはウシトラから提起。ソメビンが準備した資料をもとに検討しました。
残念ながら、本当に残念ながら、有力な候補地と考えていた群馬の某所が放射性物質の汚染が高かった。
いまや、関東もこんなところばかりです。

そして、もうひとつの案が「南会津へ行こう!」でした。
こちらは実は放射線量が低い。旅団長の住む東京某所より、空間線量だけなら、こちらのほうが低いのです。
翌日、実際に赴き、ソメビン・旅団長と、先に南会津に入っていた意気地なし隊ワタナベ隊員とで、検証してきました。
7月に、この南会津で富岡の子供たちと一緒にキャンプができたらいいなぁ、と思っています。
どうか、そのときはみなさんのご協力を!

そのほか、盆踊りの準備の話、仮設通信再開(ウシトラが助っ人)、駐車場の整備ということなどが話し合われました。

☆スローガン、どかんと第2集会場玄関に
ソメビンててさまがまた渾身の筆を振るったスローガンが、集会場の扉をあければ目に飛び込んでくるところに張り出されました。
4月の総会で決定されたものです。
「あんまり目立ちすぎて、いいんですかねぇ」と、我らの心配をよそに
「いやいや、ここでいいんです」と、西原副会長。

何しろ、でかくて他の場所には貼れないのでありました。
ソメビン父のまさか深謀ではありますまいが……。



「そんなら、東電賠償の説明会などここで開かれているんだから、東電がきたら、まず、これを声に出させて読ませましょう(笑)」「東電は直ちに補償を行え!」と。

自治会の心持ちや意志を示して、交渉に臨む。うんうん悪くない。

☆話のタネだから
ちょっと大熊町の人たちの仮設住宅を訪ねての帰り。
ソメビン携帯がぷるぷるとなり、西原さんが「どうぞお風呂にはいりに来てください」
「あちゃ、どうするよ。風呂ってことは、それだけじゃすまないだろ。いいのかよ?」
「う~ん……、いや、行こ行こ」
やっぱり軽薄である。そして、やっぱりビールやうまいつまみをごちそうになりながら、話し込んできたのでありました。


やっぱり一応は遠慮の素振り。そしたらやっぱり、「仮設のお風呂もとにかく話のタネに」と、言葉がかかったのでした。
仮設は生き抜く場、現実の生活の場です。
仮設を知る良い機でもありました。
西原ご夫妻、ありがとうございました。



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★もみもみ肉球班



今回の泉玉露仮設での臨時整骨院は、東京からノボ先生、ゆっこさんと私、鉄兵。
福島から小林さん。助っ人の小林さんありがとう。助かりました。


到着後、早速ゆっこさんの手料理とおむすび3個も頬張って腹ごしらえ。
おむすび美味しかった。小林さんも到着して準備。
「今日は人が来るんだろうか」という感じの閑散とした雰囲気だったけど、あれよあれという間に人が集まってくる。






私は4月14日の花見の写真を50数枚焼いて持ってきたのだが、「あらまあ、良く写っている」「私の葬式の写真にしたいね」なんて感じで喜んでもらえた。
「そのときは連絡をください」なんて答えていた私はアホでした(笑)。






小林さんは受付を、ゆっこさんは集まってくる人たちにお茶を出したりして応対。
団らんの輪に自然に入って会話をよどみなく進めて行くところは「天性」か「天然」か。私などよりよほどコミュニケーション能力に優れている。













西原千賀子さん自作の浅漬けなども振る舞われて、集会場は談笑の輪に。
クラフトの話や浅漬けの話など、あちこちで笑顔がはじける。そう、昔で言う井戸端会議である。
そうこうしているうちに三々五々、馴染みの方も、また新顔の方も現れる。


この間、ノボ先生はひたすら患者を診る。
お茶を飲む時間もない。患者さんからの感謝の言葉やしぐさが疲れを忘れさせているのかもしれない。
こうして4時間で16人もの方を診た。お疲れさま。










私はといえば、前回の I さんの部屋を尋ねてみた。あいにく仕事で会えなかったが、奥さんからは差し上げた写真の礼を言われた。
仮設の塀に干した布団を写真に撮った。
そう、仮設には布団を干す竿もなければ場所もない。布団の出し入れも窓からだ。これでは高齢者にとっては布団も干せない。これがもう一つの現実。






臨時整骨院の第二集会場を離れて第一集会場の方に行ってみると、子供たちが何人か集まってアイスやジュースを飲んでいる。
カメラを向けると「撮って」「見せて」の大騒ぎ。
走ったり翔んだり、それぞれがそれぞれに自分をアピールする。
この子たち,たいした役者である。少しの時間だったけど楽しい時間を過ごせた。
みんな、またね。










最後に真面目な話を二つ。
応急仮設住宅自治会スローガンは4月の自治会で決まったもの。
実はこれ、ソメビンさんの尊父が書かれたもの。
第二集会所を入った正面に貼られていた。
すごい。ご苦労さまでした。










もう一つは原発被災者の会・富岡の「趣意書」が掲示板に貼られていた。泉玉露でも署名の協力を呼びかけていた。
一言で言うと、放射性廃棄物の中間貯蔵施設の建設に同意する条件として、復興ビジョンと賠償をきちんと示せという主張である。


玄関口で副会長の西原さんと話をしていたら、ちょうど原発被災者の会・富岡のメンバーの方が通りかかったので少し話を聞けた。
富岡の人口1,5000のうち7,500の署名を目標としているが1万を越えるのではないかとおっしゃっていた。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

運営を渡していくのは,すごく大事。