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2014年3月19日水曜日
仮設住宅 臨時整骨院開設
3月16日(日)いわき市泉玉露の富岡町応急仮設住宅にて、臨時整骨院が開設されました。
ウシトラ旅団は年間の事業計画に、原発事故からの避難者支援事業として、この「臨時整骨院」を掲げています。
富岡町泉玉露仮設住宅には2011年12月より入り、継続して支援活動を行なってきました。
この臨時整骨院は豊島区で開業している内藤先生の協力で行われています。いつも患者さんとよく話し、その場しのぎの施術ではない、心の通う診察が行われます。
どうして痛くなっているのか。どうすると楽になるのか。日々の生活での注意点。患者さんが納得するように、丁寧な説明が信頼感を生みます。
「地元の先生は問診してくんねえんだ。ちゃっちゃとやって、痛くなったらまた来い。そんな具合なんだよな。」
「先生、こっちで開業してくんねえかな?」こんな声が出ます。
診療待ちのみなさんと色々な話が聞けるのもこの臨時整骨院の特徴です。仮設暮らしの中でみなさんがどう感じているのか、どんな変化があるのか。貴重な情報が得られます。
23年度は東北3県に入ったボランティアは延べ95万8千人、24年度には25万7千人に減り、昨年は11万8千人まで減ったと新聞記事にありました。ここ富岡町の仮設住宅でもやってくるボランティアは激減しています。
新聞によれば、交通費や宿泊費の問題で活動を断念したボランティア団体・グループが非常に多いということです。
ウシトラ旅団のこの「臨時整骨院事業」も赤い羽根ボランティアサポートから助成を受けて実施していますが、これも申請や審査を経て決定されるわけで、ある意味一般の心ある人には一種ハードルとなっているのかもしれません。言ってみれば思い立ってもおいそれとは実行に移せない状況になっている気がします。
「最近ボランティア、来てますか?」
「そういやあ、あまりこないね。」
「災害復興公営住宅の募集が始まるような報道がありますが、町から何か言ってきてますか?」
「何もないよお。私は知らないねえ。」
「小名浜に公営住宅のモデルルームが公開されていますけど、見にいかれました?」
「見たけど、いつどこにできるのかもわかんないのに・・・・ああ、いい部屋ですね、って言うしかないわ・・・・」
「オリンピックで建設関係はみんな東京へ戻ってるって話もあるし・・・・だいぶ遅れるんでないの・・・・」
仮設住宅で避難生活をおくっている人たちに必要なものはなんでしょう?今何をしたらいいのでしょう?
もっともっと考えなくてはいけない。そんな1日でした。
内藤先生、お疲れ様でした。次回もよろしくお願いします。
2014年3月14日金曜日
『シュレ猫』 郡山公演顛末記
★3.8郡山公演
郡山青少年会館で行われた公演は、時折、吹雪いたり晴れ間が出たりという、大変な天候のもと、たくさんの方々に来ていただきました。
午後1時半と5時開演の二度の公演に、合わせて250人位の観客がおいでになったと思います。
この公演は一般のお客さん向けに、福島県内で初めて行われたものでした。
ウシトラ旅団は、どうしても、浜通りから原発事故により避難してきた人と、その町の人々といっしょに観てほしいと思ってきました。
「成功させる会・郡山」には、地元で演劇活動をやっている人たちや、浜通りからの避難者の支援をやっているボランティアの人たちが参加していました。
中でも富岡町(郡山に役場をおいている)に関わる人たちが大きな力になってくれました。
表には現れてこない演劇部スタッフたちも実は素晴らしい子たちです。 公演の意味をよく考え自分たちの仕事に全力! |
ウシトラ旅団の活動は富岡町の人々との関係が深く、「シュレ猫」がまた、富岡町から避難した坂本幸さんが大沼高校に転校したことがきっかけで出来た劇。
ありがたいというか、うれしい偶然というか、人のつながりの妙を感じます。
また、クラウドファンディングで応援してくれた人たち、会場で「これからの活動に!」とカンパをしてくださった方々、本当にありがとうございました。
★また一段と、うまくなっていた生徒たち
キャストは昨年8月の下北沢と少し違っていました。
数人の三年生が引退し(というより、掟破りに「どうしてもやりたい!」と数人の三年生がまだ演じている)、そこを一年生が埋めているのですが、いやいや新鮮にして見事に演じます。
三年生や二年生は一皮もふた皮もむけた演技でした。
劇中には笑いを取る場面がけっこうあるのですが、そこを実に軽々とやってのける。凄い。
これがあるからラストの緊張感と感動に観客はやられてしまいます。
克哉を演じる佐瀬くんに、観客の反応は見えてる? と聞いたら
「はい。ひしひしと感じます。舞台にもすすり泣きが聞こえてくるんです」とのこと。
彼はもう一年、高校で勉強して、そして消防士になる大学へ進むそうです。
「震災のことがあって、これなら人の役に立つ仕事ができるかなと思って……」と語ります。
人はどんなふうに励まされ、勇気を湧き上がらせるか。 教えられることの多い感動的なラストシーン。 |
二年生はもちろん三年生と演技をともにしながら育ってきました。
その彼を劇中では「克哉君、かっこいい!」と言いながら、ふだんは鼻面引き回しているようにみえる(笑)、斎藤さんが、「あんたがいちばん泣いてたもんねぇ」と言ったことがありました。
富岡町から避難してきた坂本さん(彼らより二年先輩)が、自分の体験を話してくれた時のことでした。
彼らはこうして互いをみて育ち、演劇に打ち込んできました。
すばらしい感性と、心が備わっていかないわけがないのです。
★彼らはまた新しい出会いをした
賛助公演の『富岡の空へ』は、わたし達が通っているいわき市の泉玉露仮設住宅にいらした佐藤紫華子さんの詩をもとに創られた朗読劇でした。
今回はそこに、いま郡山で一人で暮らすという吉野明日香さんが自作の詩で参加していました。
事故後やはり何度も引っ越しを重ね、岐阜で母と暮らしていたそうですが、その母を病気でなくしたのだそうです。
これも不思議な縁ですが、吉野さんは坂本幸さんと同じ中学校に通っていて、よく知っていたのです。そんなことを知らずに、ゲネプロ(本番同様の練習)での彼女の詩の朗読に、大沼の女優陣は目頭をそっと拭っていました。
泣かせた娘と、涙を拭っていた女優のタマゴ |
そしてまたまた実は……、吉野さんは郡山市の富田仮設住宅敷地内にある「おだがいさまFMラジオ局(富岡臨時災害FM局)」のパーソナリティをやっていて、すべての演技が終わった後、大沼の生徒たちの前にインタビュアーとして登場したのでありました。
前日、そこに伺い、三年生三人が前宣伝をかねて、お世話になったばかりでした。
大沼の生徒は、避難者がたくさん聞いている災害FMで、演じる前の気持ちと、これからの心構えを伝えることができたのです。
前日の三年生は、その後、三春町寄りにある緑が丘仮設住宅へ向かいました。
ここで、いま避難者が直面している課題を、自治会長さんにじっくり聞いたのです。
北崎自治会長は、いつもの笑顔を交えながら、それでもけっこう深刻な実態を隠さずかたってくれました。人の生き死にの話もあり、高校生にはショックだったかもしれませんが、きっとこれは彼らに財産になると思います。
むろん、自治会長は、翌日の公演に仮設の仲間を引き連れて来てくださいました。
★避難者と市民と自分たちを結ぶ
終演後に見送りに立つ生徒たちに、観客が声をかけていく情景は感動的でした。
声をかけずにいられないというふうに、握手をしたり抱きついたり。
数多くのアンケートにはびっしりと書き込みがありました。
東京・下北沢のときと違うのは、そこに書かれている内容がよりリアルで切実なものが多い、ということでしょうか。
受付のところまで来て話していった大熊町の女性がいました。
彼女はこう言って帰ったのです。
「避難先の人たちとの関係にずっと悩み苦しんできました。今日の演劇で、その解決の糸口が見えてきたように思います」。
彼女は涙を流しながらそう言って帰りました。
佐藤先生にその話をすると彼は「そんなつもりじゃなかったんですが……」と、やはり涙ぐんできたそうです。『シュレ猫』は被災者やそれを取り巻く人たちとの関係のなかで育っていく演劇なのでしょう。
生徒のほうも、この演劇が持つ意味をひしひしと感じていたようです。
会津へ送るバスの中で、今回の公演の感想をひとりずつ聞いてみたら、そのことに関わる話が多く出てきました。
素晴らしいサポートをやり、しっかりした意見を述べたスタッフ役も含めて、大沼高校のみんなの感想を紹介したいのですが、涙をのんでいくつかを拾わせてもらいます。
「今回はこれまでと違っていました。ぼくの役はどちらかといえばクールというかネガティブな台詞が多いので自分の心の中と違うのに、傷つけてしまうのではないかと心配してました。でも、最後の反応がすごかったので、ちゃんと伝わったんだなと思いました」(康介役・片桐くん)
「若松より仮設住宅も多いと聞いていたし、不安と緊張が大きかった。でも、ここでやれてよかった。嬉しかったです」(麗華役・丸山さん)
「お客さんとともにわたし達も震災に負けずに前を向いて歩いていきたいと、あらためて思いました。いい公演でした」(聡美役・斎藤さん)
「2月4日にオーデションをやって1ヶ月で弥生役をやりました。ほんとに私がやっていいのかと不安ばかりでした。でも、見送りの時に「ありがとう」って言ってもらえて、すごく励みになりました。がんばってやります」(弥生役・大崎さん)
「被災していないわたし達が演じていても本当のところはなかなか分かるわけがない。でも、その人達といっしょにやることで『やっていける』って思いました。震災のことを伝えていろいろ考えてもらうという役割を果たせそうで、今回は自信につながりました。熱いものも経験出来たし、これからも福島県民として誇りを持って芝居をやり続けたいと思います」(陽佳役・大竹さん)
「三年生三人は仮設住宅におじゃましてきました。そこで現状を聞くことで、今日の芝居は前よりもっと深くできた気がします。被災者の前でやるのはプレッシャーがあったけど、見送りの時に『気持ちを伝えられたんだな』って、ありがたかったです。思いを伝えてそれをシェアすることで、成長していくことができる。わたし達にとってもいい経験でした。大人への階段をちょっとだけ登った公演でした」(絵里役・増井さん)
本当に大沼高校のみなさん、ありがとうございました。
ウシトラのおじさんたちも、この半年の間にこんなに成長したみなさんに再会出来て、ほんとうれしかったです。
4月4日相馬市、4月6日東京の公演、頑張ってください。
2014年3月11日火曜日
仮設自治会による合同慰霊祭
この時期は各地で慰霊祭が行われているようです。今年は3月11日が平日ということもあって、9日の日曜日にとりおこなわれた所が多かったようですね。
私たちが支援に入っているここ、いわき市泉玉露の富岡町応急仮設住宅では「自治会による」慰霊祭が本日
3月11日に行われました。
「自治会による」というところがとても特徴的で大切な意味を持っています。
通常慰霊祭は町という単位で自治体が行ないます。富岡町は臨時役場のある郡山市で慰霊祭を行ないました。
他の双葉郡の各町も同じように町主催で慰霊祭を行ないます。住民はそこに参加するという形です。
しかしここ泉玉露の富岡町仮設では自治会を中心に住民が自主的に慰霊祭を行うのです。そこへ支援者が協力して「自前」の立派な合同慰霊祭がとりおこなわれてきました。
12時に始まった慰霊祭はひと通り焼香をすませると、一旦休憩に入りました。
朝早くからおっかあ達は参列するみなさんのため、お稲荷さんを準備していました。
みなでそれをいただき、しばし歓談です。いただきながらも、震災からここまでの3年を振り返る話題がやはり多いのに気が付きます。
今回はウシトラ旅団の監事、中澤さんの奥さまが朝から仮設のおっかあ達の手伝いに入ってくださいました。ごくろうさまでした。
その後どこからともなく情報が入り・・・「TVで富岡やっとよ!」というわけでワイドショーにチャンネルを合わせます。
瓦礫のままの駅や海岸が映されるとみなさん食い入るようにTVを見つめます。分かってはいるのでしょうが「3年経ってもなんにも変わんねな、やっぱな」という言葉にみなさんうなずきます。
そのまま、あの2時46分をむかえ、黙祷・・・・・・・・・・・・・・・・・
富岡町でも多くの方が亡くなっています。住民のみなさんは塔婆に故人の名前を書いて、供養していただきました。
本当に丁寧な御詠歌と共に故人のお名前が読まれました。
今回この自治会による慰霊祭は、地元いわきの葬儀社、教会(キリスト教会)、スーパーマーケット、ウシトラがサポートさせていただき、富岡のみなさんと一緒に東日本大震災による犠牲者を供養することができました。
そして遠く北海道からは今年も孝恩寺のご住職がかけつけてくださいました。法具とともに車で・・・・・
本当にありがたいとこです。
ありきたりの言葉になって少し残念にも思いますが、やはり絆なのです。人のつながりなのです。
行く先不安な被災した人たちが自主的に自分たちの手でやる、という「意志」に可能な限りこたえたい。
一緒に生きていくという確認をしていきたいのです。
2014年3月2日日曜日
ミツバチの集めたミツロウで蝋燭作り!
仮設住宅におじゃまする度にいつも感心させられるのですが、みなさん季節・時節の感覚をとても大事にされているのです。そうした避難前の日常を失わせない、という意志も感じられます。
2月28日(金)いわき市泉玉露にある富岡町の応急仮設住宅におじゃましました。本日の任務は・・・・・・・・・・・・・・・・・
南会津には「こめらの森」という自然体験教室を行なっているところがあります。1週間子供たちを預かって、古民家に宿泊しながら食事作りから風呂焚き、農作業などを自分たちで行ない、時に川で遊び山歩きなどしながら田舎の暮らしを体験する、というなかなかに有意義な場を提供してくれています。
南会津、といえばウシトラ旅団が夏に行なっている「仮設こどもサマーキャンプ」の実施地でもあります。2012年のキャンプではこの「こめらの森」代表の大西さんが子供たちに「火熾し」を指導してくれました。自分たちで熾した火で煮炊きをして夕飯を作るというソーダイな計画でした。つまり火が熾こせないと、メシにありつけないのであります。
キャンプでの「火おこし教室」
そんなご縁で、この度仮設住宅に大西さんが来てくれることになりました。しかも今回はミツバチが集めたミツロウを使ってロウソクを作ろう!という企画です。
「こめらの森」では3・11にむけて、「東日本大震災で被災したり、亡くなられた方々への哀悼とこれからを生きる子どもたちを支援する」という目的で、各地でロウソク作りを行なっています。
1人2本のロウソクを作り、1本は3・11に自分で灯し、もう1本は震災の支援をしてくれた台湾へ送り彼の地で追悼の灯としてもらう、という計画です。
まず缶の中のミツロウを温め溶かします。そこに芯となる紐をたらして浸し、持ち上げて冷やす。また溶けたロウに浸し・・・・・と徐々にロウを厚くしていきます。
こうしてロウを太く重ねていくのですが、単純作業だけにある程度根気が必要です。小さい子もいましたが、なんとか大人たちがなだめすかしながら作りあげることができました。
単純作業には古今東西「ワークソング」「労働歌」がつきものですが、このロウソク作りの最中も鼻歌がいくつも出てはみなさんで合唱していましたね。
「♪あれは三年前、止める、あなた、駅に残してえ~♪・・・・・」「駅無いわ、草ぼうぼう!」みんなであははは、と笑い飛ばしていましたが、私はやっぱりドキッとしてしまうのでした。あれは三年前です。三年も経ってしまいました。
太くなったロウソクには着色したミツロウをデコレーションします。みなさん思い思いのデザインで可愛らしく仕上げていました。
今回は「こめらの森」・大西代表による企画をウシトラ旅団としてサポートさせていただきました。生憎金曜ということもあり、塾にいく子や習い事に通う子も多く、子どもの参加が少なかったのですがみなさん楽しんでいただけたようです。
大西さん、ご苦労さまでした。今後ともよろしくお願いします!
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