★みんな、よくやった!
福島県立大沼高校演劇部は『シュレーディンガーの猫~OUR LAST QUESTION』を下北沢の劇場「楽園」を連日満員にして、7回の熱演を終えました。15日、16日には、隣の市のライバル校である会津若松ザベリオ学園演劇部が『彼女の旋律』を賛助公演として、上演してくれました。
応援してくださったたくさんのみなさんに、改めてお礼を申し上げます。
観劇後に見送りの生徒たちに迎えられた観客はみんな涙で顔がぐちゃぐちゃ。
その顔を見て、生徒たちもまた涙ぐむという光景が、毎回、見られました。
感動でものも言えなくなった観客が、並んでいる生徒たちと、一人ひとり握手していく様子をみて、この公演をやって本当によかったと思いました。
★怖かったらしい下北沢公演
公演が決まってから、大沼高校もザベリオも必死に稽古してきました。
公演一週間前に大沼高校へ伺ったとき、稽古場には椅子と、竹刀で組み上げられた「塔」に黒い幕が巻きつけられ、それを挟んで演技が繰り返し試みられていました。
劇をご覧になった人にはわかると思いますが、「楽園」は大きな柱を挟んで二つの舞台が存在するという「おもしろい」(大変な)劇場でした。
台詞を交わす相手が見えないところで、彼らは演じていたのです。
特殊な舞台、東北大会で酷評されて全国大会への道を閉ざされた心の傷……。彼らは不安を抱え込みながら、練習に励んで、東京へやってきたのでした。
でもね、17日の公演のあとのトークショーでどきりとさせられる言葉が、ある生徒の口から出てきました。
彼らは会津美里町にある楢葉町からの避難者仮設住宅と、会津若松市にある大熊町の仮設住宅で、この劇を演じていました。
そのときのことを尋ねた旅団長に、新部長(2年生)は、次のように答えたのでした。
「会津美里の楢葉公演の方が先だったんですけど、その時、正直こちらはすごくビビッていたんです。本当に大丈夫なのかなとか、やってもいいのかなと。東北大会のことがあって、落ち込んでいて、精神的にも参っていたんです。けれども、楢葉公演を乗り越えてから、またどんどん成長して行って、メッセンジャーとして・・ここに来ることができたんで・・本当につらかったですけど・・・(涙声に「ガンバレー」という楽屋裏から3年生の声)楽園に来て本当良かったな・・と思います。』(拍手)。
この後の回の上演後に行なった3年生のトークでは「大熊町のときに『被災者が特別扱いされるようなのって、わたしも嫌だな』という台詞(軋轢を起こしているかつての親友・避難者に向けて発せられる)を、声が震えてちゃんと言えなかったんです」と語った子もいました。
彼女は大熊町の避難者の前で演じ終えて挨拶をした時、おじぎをしたままいつまでも顔を上げずにいました。ようやく上げた顔は、涙の中に顔がある状態になっていました。
震災を見せものにしている、原発事故避難者を利用している、と彼らは言われもし、自問自答も繰り返してきていたのです。
この子たちの優しさには深さと厳しさがあると感じました。『シュレ猫』という作品に取り組むことで培われていったものだと思います。
演劇もさることながら、この若者たちの姿を私はみなさんに見て欲しかったのです。
そのような心を育て、そのような気持ちをつなぐことこそを、ウシトラ旅団は目指すのだと感じいったのでした。
★これがようやくのはじまり
『シュレ猫』という作品、それを演じる大沼高校演劇部との出会いは、ウシトラ旅団にとっても実に幸せなことでした。
ウシトラ旅団は被災民とそれを取り巻く人々の関係をどのようにつくっていくのかを考え続けてきました。単なる支援・被支援を超える関係づくりの試みをボランティア活動の重要な柱の一つとして位置づけてきたのです。会津に、この課題に意識的に向き合っている高校生や顧問の先生がいらっしゃることが、私たちには何よりの励ましでした。
8月19日、宿泊地・代々木のオリンピック記念青少年センターで、彼らを見送ったのち、旅団長とソメビンは、こんな会話を交わしておりました。
「何だか終わった感じがしないんだよなぁ」
「え、あんたもそう?」
たいがい、大きなことをやった後は、疲れとともになんとか無事に終えることができた、という充足感があるのです。でも、今度はその感覚ではないのです。
「う~ん、たぶん、これが始まりなんだぜ」。
演劇をまたやると断言しているのではありません。私たちが取り組んでいる活動が、より深い意味を伴って「これからどう進む?」と、私達自身に迫ってきているという気がしているのです。
これから数回にわたって、公演に至る過程から振り返り、『シュレ猫』が訴えた内容と公演活動が背負った意味について考えてみたいと思います。
と、いったところで、どうせウシトラ旅団の考えることです。たいして内容に深みがあるわけもなく、次回以降も気軽に読んでください。