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2013年1月7日月曜日

1.5 泉玉露仮設餅つき大会

        

あけましておめでとうございます。

昨年、多くの皆さんにご協力をいただくことで、ウシトラ旅団は活動することができました。
お礼を申し上げます。本年も変わらぬご支援をお願い申しあげます。

★2013年最初の行動「泉玉露仮設住宅餅つき大会」
仮設住宅は2度めの正月を迎えました。
原発事故避難者の中には、町によっては年末年始の間だけの特別措置で、ふだんは宿泊を許されていない自宅で過ごした人たちがいました。
(本音を言えば、「一時的とはいえ、そんなことをやっていいんだろうか?」という思いはありますが…)。

しかし、富岡町の町民はそうゆうわけにはいきません。
それぞれの避難先で新年を迎えました。
私たちが入り続けている、いわき市にある泉玉露応急仮設住宅の人々も、基礎が傾き始め、結露に悩むこの寒い住環境で、新年を迎えました。

           

と、いってメソメソなんぞしていられない。
1月5日の自治会主催の餅つき大会を、みんなが元気になる最初のイベントといたしましょう、というわけです。

自治会主催ではありますが、小名浜のテモテ教会、玉露のグレイスチャペル、社協、そして私たちウシトラ旅団が、企画から準備、運営まで関わった共同行動といったほうがいいと思います。

冷えるという予報を覆し、うららかないい天気。ありがたや。
「私は晴れ女!」と豪語しておられた某婦人のおかげかも知れません。「よ、アマテラス!」なんぞという軽口を仮設住宅の一室で交わしていたとおりになりました。


           
        
ウシトラ旅団は、この日は総勢30数人の大人数になりました。
せっかくに機会だから、これまでに付き合いのできた人たちに声をかけて、いっしょに行っていただいたのです。

この仮設に入るようになって1年数ヶ月、家族やら遊び仲間で行動を支えてきたウシトラは、いつの間にか、それぞれの課題や現場を持つ人々とつながる関係が強くなり、その力を発揮するところまできていたのです。

           
 ★やり続けることが力になった
前日からテントや用具を運び込み、おっかさんたちが米を洗い、野菜を切りという下準備がなされていた餅つきは、小名浜のチアリーディンググループ、クラップスの演技で開始されました。
この子たちともすっかりお馴染みになりました。


今年は昨年を質も量も上回る餅つきになりそうだ、という予感がありました。
12月の準備会議に30人もの住民が集まり、とてもいい話し合いができ、具体的なことを決めていったのです。
これは、昨年の役員会とテモテ、ウシトラ旅団が参加して行なった会議とは、大きく質が違っていました。
昨年の経験の上に、より準備の過程から、住民が主体的に取り組む構造が出来上がってきていたということです。

準備会議は、実は「拡大カッチョイ会議(自治会支援者活動調整委員会)」として、全体で一気に意志一致しようという方針で行われたものでした。それからの具体的な動きは、とりわけ3世代に渡る女性陣ががっちり進めていったのでした。



     
出し物の演技が続く中でも餅つきは進みます。

アマテラスと天手力男命(?)は、周囲から冷やかされながら、さすがに息のあったところを見せるのであります。   



           
           
今年は貸切バスを準備するので、いつもお世話になるミヤシタ車両長には、「家族一緒に楽しんでくれ。酒でも飲んでればいいよ」なんて言っていたのですが、やっぱり、準備した「子どもくじ」の場について、しっかり仕事をしています。

その隣では、仙台から来てくれたイレちゃんが、これもおんなじように、子どもの相手をしてくれています。
このおじさんたちは、やっぱり子どもが好きなのです。   


           
       
「餅つきウシトラ・ツァー号」でいらっしゃった「むさしの福島ともだちプロジェクト」のお三方は、仮設のお母さんたちに混じって、雑煮の提供。
彼女たちも、
原発事故による避難した子どもと保護者の再会・交流を支援する、という活動をやってこられた武蔵野市の方々でありました。

このプランの参加者募集を「とみおか子ども未来ネットワーク」が行なうということで、富岡町住民との関係ができてきたようです。
とみおか子ども未来ネットワークは、簡単には出てこない被災者の胸の奥をじっくり聴き出しながら、富岡の人々をつないでいこうとしている、比較的若い人々が中心になったグループです。

そんなところとも、ウシトラが仮設に行ったり、あちこちに顔を出している中で、つながって来ました。



         
           
三春町のひょっとこ踊りの方々、一年ぶりに電話をしたらとたんに「待ってました」とばかりの反応だった水戸獅子舞の横須賀さん。
見ず知らずのところへ図々しく声をかけてきたのもの、ウシトラの活動でした。
情けな隊のソメビンが言ってました。
「善意や心意気はいたるところに転がっている。それを拾い上げてつなぐことが俺たちの役目だった」


           
   

ボランティアで仮設に入っている太極拳の先生は、仮設の人たちとすっかりお馴染みで、一緒に演舞です。      
 キャンプや花見で、いつも世話になってきた看護師の鈴木さんも今日は杵を持っておられました。
帰りのバスで聞けば「けが人が出なくてよかったァ。餅を喉につかえさせる人もいなかったし」。
普段は救急にいらっしゃる彼女は、緊急に備えてきっちり準備して行っていたのです。
 
         
       
泉玉露仮設が見下ろせる高台の別荘(?)にいらっしゃるケーシー高峰師匠は、差し入れのみかんを持って、仮設に時折来られます。
軽妙な語りはいつも爆笑を誘います。彼の姿を拝見するたび、東北の力を感じさせられます。

           
           
★餅つきの場は、人々が語り合う場
東北人の言葉というのが確かにあります。
長い時間、相手の心の中に入っていく会話があちこちでかわされていました。
会津若松の仮設住宅に住む大熊町の木幡仁・ますみご夫妻もいらっしゃっていて、双葉郡のこれからについて、語っておりました。
なんでも、富岡町から避難して水戸にいる木田節子さんにご用事があって連絡をしたら「餅つきに行ってみようよ」と誘われたのだそうです。

「この仮設は雰囲気が明るいでしょう?」
「んだな。俺んトコなんか(会津若松市)は、外に出るのに雪掘っているからな」
仁さんとそんな会話をしましたが、仮の町構想で、いわき市が希望候補地の一等賞になるのも、浜通りの人々のこれまでの暮らしと意識がかいま見えます。

相変わらずいわき市は、事故収束に向けての動きでも、双葉郡一帯の人々の将来に向けての準備でも、矛盾をもろもろに抱えた焦点の地です。
いわきでさまざま動きを作っている人たちが、餅を頬張りながら、学び合う機会でもあったのです。
    



             
             
           
                
今回の餅つきにはウシトラは貸切バスを出しました。
そこには、福島の子どもたちをいわゆる保養に連れ出してリフレッシュしてもらおうという活動をしている人たちのうち、練馬、武蔵野市、湘南の3グループが乗り合わせていました。

疎開裁判の会に参加している人、南相馬出身でみごとなリポートを書き続けてきたライター、そして、一番の大人数になった経産省前のテントで反原発・再稼働阻止を訴えている人々、とさまざまな人達がやってきました。

いっぽうで、いわき市で動いている人たちも顔を見せていました。
鮫川村の焼却施設建設に反対の声を上げている人、元東電社員で原発労働者の置かれている状況について支援を訴えている人、この餅つきを支えてくれるいわき自由労組は、被曝労働を考えるネットワークの一員です。

それらの人々がそれぞれに交流しながら、互いの協力を約束しあっていました。
どうやら、元東電社員のYさんは、金曜日にいわき駅前でしゃべくりまわっている、ひまわりさんと一緒に鮫川をさっそく訪れたようです。
焼却施設についても技術的なことに精通しているYさんは、ひまわりさんたちの強い味方になってくれるでしょう。
一方で、被曝労働を考えるネットワークや、いわき自由労組は原発でいまも働く労働者の支援に力を貸してくれると思います。


★学ぶことが多かった交流会
ウシトラがやってきたことは、それらの人々をつなぐところで、多少なりとも役に立っているようです。
東京や仙台からの参加者、地元いわき市で動いている人たち、大勢、打ち揃って仮設の声を聞く交流会をやっていただきました。

いつもどおり、西原千賀子さんは絶好調。
「みなさん、仮設をどんなふうに考えてこられましたか? 元気なくして、しおれているように思っていませんでしたか。違うんですよ。
でも、私たちには、まだ今日を生きるのがせいいっぱい。先が見えないんです。やれることを元気にやっていくしかないんです」

川上自治会会長
「やはり大変なことはあるのです。この仮設が一昨年の9月できてここで6人の方が亡くなっていきました。とにかく元気でいましょうね。助けあっていきていきましょうね。そこがここの暮らしの基礎です」

原発とともに生きてきた町の者は複雑な思いがあると、いつも語る西原副会長は
「とにかく、ここの人々がどうなっていくのか、こんなひどい事故で引き起こされたことがどうなっていくのか、とにかく『見届けていくというのが私たちの気持ちです」
 
水戸から来ていた木田節子さんは実は、ここの仮設に入る抽選に漏れて、水戸住まいとなったのだと、発言していました。

原発による被災者でも、当たり前のことですが、さまざまな考えや、とっている行動の違いがあります。
なぜ、そうなのか。
簡単に答えは出はしないのですが、すくなくとも、この仮設という場で、被災者の言葉に耳を傾け、やれることを一緒にやりながら、考えながら進むことをウシトラ旅団はやり続けるつもりです。

ありがたいことに、その思いは東京からの参加者の皆さんにも通じたようでした。
「行ってよかった」「勉強になった」。
たくさんの感謝の言葉を頂きました。

ここの主人公は仮設の住民自身。
たくさんの人々を結びつける力を持っていますが、それに甘えてはいけない、と自分に言い聞かせて置かなければなりません。
住民の気持ちや行動をけっして妨げないようにしながら、一緒に進んでいく。
そんなに簡単ではない仕事を果たす道を、東京から行った人たちと、いわきにいる人達とともに歩きたいと願います。








帰りのバスの中でも、自己紹介とともに、それぞれに考えたことが話されました。こちらも勉強になることが多くありました。

頂いたメールを紹介しておきます。

「むさしの福島ともだちプロジェクト」のFさんからのものです。

昨日はたいへんお世話になりました。
予想通り、ほんとに役に立たない私たちで、逆にごちそうになりっぱなしでしたが、とても楽しく有意義な一日でした。
泉玉露のかたたちは、ほんとうに元気で前向きですね。特に西原さんご夫妻の力はすごいと思いました。こういうかたが入っているところと、そうじゃあないところではまったく、ぐんとかわってくるんだろうなと思いました。

そういう人たちを外からきて支援し続けるウシトラのかたたちも、すごい!と思いました。あの仮設の不便な生活にお年寄りの避難民のかたたちが、ずっと耐えてまだ先が見えないということを考えるとそれだけで気持ちがこちらまでふさいでしまうのですが、昨日は、それでも「今」を精一杯明るく生きていこうとしている仮設の方々に、逆に元気をもらい、叱咤された気持ちになりました。

バスに乗せていただいて、なにもかもお膳立てしていただいて、ほんとうに、ありがとうございました。すごくたくさんの準備が要ったことと思います。
くれぐれも皆様によろしくお伝えください。また機会があったらゆっくりお会いできればと思います。とりいそぎ昨日のお礼まで。

★ありがとうございました
感謝の言葉はこちらから差し上げなければなりません。
現地で、本当に裏方に徹して、準備をしてくれたいわき自由労組をはじめにした、たくさんのみなさん、ありがとうございました。
今年は、もっと迷惑をおかけいたします。堂々と迷惑を掛けます。
ウシトラ旅団では、やるべきプランがあれこれと出ており、その準備にかかっています。
餅つきは今年の第一歩。これからまた一緒に進みましょう。