★双葉町のみなさんとともに
南台仮設住宅は、昨年9月に勿来インター近くの南台に、双葉町からの避難者用に作られた応急仮設住宅です。
259世帯、かなり大きい仮設ですが、例にもれず高齢者が多い。
ここで支援を行なってきたグループに、「なこそ復興プロジェクト」があります。
彼らが主催者になり、午前10時と午後1時30分からの2回にわけて、勉強会が行われました。
講師の伊藤久雄さんは、まったく疲れも見せず、国の賠償基準の考え方と実際の計算例、これから住民はどのように考えて動いていったらいいのかについて、しっかり話をしてくれました。
午前の部は40人、午後からは20人。
午前と午後の2度続けて、参加された住民の方もいらっしゃいました。
ウシトラ旅団は、ソメビン、会計長、旅団長。講師の友人Hさんが参加してくれました。
うれしいことに、震災直後からボランティアで来ていた筑波大学の学生さんたちが数人も、熱心にメモを取りながら、お勉強。
伊藤さんは「国の賠償基準は、帰還、現価値(残存価値)の補償などが前提になっている。まとまって自分たちで声を上げなければ、住民が求めるような生活再建には進めません」とわかり易く説明。参加者はいちいち頷いていました。
出された質問にはそれぞれの双葉町での生活が如実に反映されます。
「営農休止の補償」「農機具などの補償」など具体的な質問なのです。
最後にお話された、たぶん90歳くらいのおばあちゃんは、涙をこらえて言葉を震わせ、とぎれとぎれに訴えられました。
「私のところは共同墓地ではなく(墓地も大きな補償問題です)、庭にご先祖がいます。私がこうしているのもご先祖さまのおかげです。そこにもう帰れない、としたらどうしたらいいのか」
そして、講師や私たちに、「ありがとうございました」と深々とお辞儀をされました。
その場にいるものがみな胸をつまらせていました。
500年ほどの歴史をそこでつないできた人たちが、苦しみを背負わされています。
とにかく、彼ら彼女らが、自分の思いの丈を話せる場としても、この勉強会をきっかけにしてほしいと願います。
★人のつながりで、支援の拡大を!
勉強会の主催者である「なこそ復興プロジェクト」は、NPO勿来まちづくりサポートセンターが震災直後から被災者支援に動き、彼らが中心になって民間主導「勿来ボラセン」を組織してきました。
夏に解散した後も、復興プロジェクトとして支援を続けていわけです。
まちづくりセンターには、講師の伊藤さんの友人などが以前から関わっており、その方々が復興プロジェクトを支えてきているのです。
このプロジェクトに参加している人が、泉玉露仮設の2回目の勉強会に参加後、伊藤久雄さん・ウシトラに連絡をつけて、南台での勉強会が実現したのでした。
会場となった社協の施設・双葉町サポートセンター「ひだまり」 |
これまでの活動で、復興プロジェクトと、南台の自治会会長・社協・連絡員などの間には厚い信頼感があるようにみえました。
ウシトラ旅団としても、これから力を合わせながら進みたいと思います。
双葉町は町役場を埼玉県から、このいわき市に持ってくることを決定し、その準備が進んでいるようです。
これからの双葉町(井戸川町長ら)の動きがどうなっていくのかをしっかり見極めながら、進まなければなりません。
★帰りの車中で
今回の行動に参加されたHさんは、阪神淡路・山古志村と被災地に関わり、エキスパートとして、南台の仮設を作るときにも来ていたいた方でした。
定員いっぱいの車中でしたが、いい話がたくさん聞けました。
彼曰く
「阪神の時も『自治』は仮設にありました。それが仮設が閉鎖されることで、なくなっていったのです。今回の福島の場合、町の方針によって少しの違いはありますが、基本的に住民自治の基本である地区のまとまりは、避難でバラバラにされてしまった。
いま、自分たちで意見をまとめ、解決策を探っていく、要求をする、といったことは仮設住宅が果たす役割」。
実は、仮設住宅に入って行く時、旅団長たる私や、なさけな隊のソメビンはそれをかなり強く意識していました。
仮設の外には、その10倍の人数のみなし仮設(借り上げ住宅)住民がいます。
その人達の心も、要求も、纏めあげていくテコとして、仮設の存在を考えていたのです。
これからが正念場です。読者のみなさんの力をお貸しください。
アイデアも、人も、金も!